悲鳴
魔の領域は開かれる。
四角い屋根が見える、煉瓦造りの大きな建物。
人気のない森の奥に、マットンの一味の本拠地はあった。
「ふー、やっと着いたな!我等がパラダイス!」
研究所の前に複数止まった馬車の一つから、白衣の男が降りて来る。
一味のリーダー。楽しい研究がモットーの、快楽者。
「ままっ!遠出した甲斐はあったけど!」
彼は出入り口のドアに近づき、器認証を済ませる。
そして、背後の【研究材料】へと目を遣った。
「おい!きびきび歩けっ!」
「……っ!!」
調達班の男二人に両腕を掴まれながら、歩かされるフィル。顔には布の目隠しと、棒状の鉄製口枷が。両手は背中に回され、鋼鉄の板型手錠を嵌められている。
彼女の足取りは頼りなく、体は僅かに震えていた。
その姿を見る首謀者は、呆れのような色を顔に出す。
「おやおや、そんなに怯えちゃって」
マットンは、自分の前にまで来たフィルを眺めながら。
「怖いかい?助けて欲しいかな?」
「ッ!!」
言葉にフィルは全力で頷く。そして、目隠しの下からは涙が。
これが、最後のチャンス。
「……はぁ、がっかりだな。やっぱりこれか」
「!?」
涙は良心に届かない。最後の命綱が千切れる音が鳴った。
マットンは溜息を吐き、落胆する。
「今までも、捕らえた者達が醜態をさらすのを見たんだ。知性もなく必死になってね。本当の知性とは、どんな状況でも失われないんだ――それを実践するのは、中々難しいんだがね」
得意げな顔のマットン。彼は肩を下げながら、フィルの髪に右手で触れる。
びくりと、彼女は怯えきった反応。
「――ま、多分最終的には【形】を失うけど、我慢してな。これも、楽しい研究の為なんだよ!仕方ない!」
心底楽しそうに笑いながら、マットンはフィルの頭を撫でた。
笑いには研究に対する期待を、手には【研究動物】に対する愛を込めて。
「よし!いざ!研究所へ!」
彼は出入り口に向き直り、部下達に指示を送る。
「ジュアが帰ってくるまでに色々調べたいから、とりあえず実験室2に……」
研究に対する希望は、直ぐそこにあった。
「案内してくれるんですか?優しいですね」
「――はい?」
女性の声が背後から。部下はどちらも男、ならばフィルだが口枷は。
「だれ?」
マットンは冷静さを保とうとして、逆に間抜けな声を出してしまう。頭の回る彼には、次の光景が見えていた。
「――固いですね、これ。歯が折れちゃいます。ふふふ」
不気味に過ぎる、猛獣の笑い。
砕かれた口枷と二人の男が、地に落ちる。というか、それによって発生する音も聞こえていた筈だが。彼の脳が理解を拒んだのか。
「なに。なんで?」
呆けた顔での問い。冷静さが砕けていく。
彼女の両手首に付いた、鉄屑のように。
「わざとですよ、捕まったの。まさか、大会で見せたアレが全てだとでも?わざわざ弱めに【アピール】したのに。そうした方が襲ってくれるでしょう?」
馬鹿にするような口調で、彼女は言う。
■狙っていたのはフィルの方で■
■狙われていたのは自分たちだとマットンは理解したくない■
「はっ、はぁ?毒は?才力封じは?あれ?」
「事前に解毒薬を作って飲んで、備えておきました。でも、少し気分悪いです……」
「えっ?えっ?あの毒は」
「知ってはいません。から、自分で自分に効く毒を作りまくって、試しました」
「はっ?ひっ?ふっ?へっ?」
混乱するマットンの頭、フィルの言葉が理解できない。
しかし、彼女が危険なことは分かった。
「――ほおおおおおォォッ!?」
錯乱状態で才奥に頼る。
指を鳴らすだけで、敵を排除する力。
「が?」
鳴らそうとした右手が、赤い噴水に変わっていた。
「がッあああああああッ!?」
「ダメですよ。危ないものは没収です」
取り外された【パーツ】は、無造作に投げ捨てられる。あまりに感情が薄い動作は、内面の歪さを表現した。
「もう才奥はないですか?普通は一つですけれど」
「はッぎゃあああっ!?」
そんなものに関心を払う余裕すら失ったマットンは、頭を振り乱しながら研究所内へ逃走する。
「だれかッ!?手をッ!?あれをッ!?」
どうにかしてくれと。他力本願を極めた行動に、怪物は失笑しながら。
「――ちょっと、遊びましょうか」
反転した獲物が辿った道を、少しずつ埋めていく。
「はっ!!ハッ!!ふッ!!」
通路に響く足音は、急ぎの最中。
追ってくる怪物は、何処にいるかも分からず。
(おもちゃ・オモチャ・玩具)
追う彼女は、笑いを浮かべて遊んでいる。
行く手を阻む、玩具の群れを使いながら。
(球体関節が見える、外れ掛けたネジが危ない――どこを見てるのその顔は?)
フィルには、そうにしか見えない。他者は無能過ぎて・無価値過ぎて。天秤が偏った瞬間に、同じ生物として認識できなくなるのだ。
(まるで大きなオモチャ箱)
世界はそのように在り、彼女はその中で呼吸を行っている。
仲間達だって、例外ではないのだろう。
(船長とマリンは、大切な――玩具)
理由は、見てて楽しいから。それに愛着も湧くものだし。
(特に船長は、愛しい愛しい玩具なの。最悪な姿が最高ね)
「なんでだッ!?なぜェッ!?」
いつの間にやら、場所は研究所の一階深奥へ。巨大な機械・【才生機】が置かれた部屋前・通路で、マットンとフィルが火花を散らす。
「通じないィッ!?」
などということはなく、才奥を連発するマットンを軽く流すフィル。左の指を何回鳴らしても、彼女の体を壊すこと敵わず。
応急手当てをした手首から命が落ちていく。
(でも同時に憎んでいるのね、時々壊したくなるほどに――)
飽きたフィルは片手間で対応していた。
だが、声と指鳴らしが少し鬱陶しいので。
「……才を操る技、ですよね?それの暴走を促し、破壊現象を起こす」
マットンの疑問に答えることにした。
「――惜しいわね。私、つい最近に暴走制御を行ったばかりなのよ」
マリンの修行に暇つぶしで付き合った際、完全に制御を覚えたとフィル。
当然マットンは納得出来ない。
(才力使用後に起きるッ、才が自然に流れ込む現象ッ!その際に暴走させる、私の必殺ッ!才物もなしでッ!しかも自分の暴走をなんてッ!制御なんて不可の筈だッ!?だッ!)
自分でも。ジュアでも。到底無理な行い。
(そんなことを、涼しげな顔で!?)
あまりに外れた事を前に、冷や汗が川のように流れるマットン。
彼女の中には、それ以上の外道が眠っているとも知らずに。
(今日は調子良し。器を参照――使用する技を選択)
才奥の一・◆?◆――条件未達成の為、使用不可。
才奥の二・◆?◆――条件未達成の為、使用不可。
才奥の三・◆?◆――条件未達成。
才奥の四・◆?◆――未達成。
才奥の五・◆痛み◆――使用可
才奥の六・
才奥の七・
才奥の――。
「これにしましょうか――頼むわね、ルナ」
何でもないことの様に、彼女は己の才奥を引き摺りだした。
「!?」
同時に、天井を突き破る鉄塊が彼女の眼前に落ちてきて。
「それはッ!?補助具かッ」
「わかっていても、どうしようもないわよ――逆転する痛み」
長方形の箱型鉄塊は、前面に付いたドアを重々しく開き。
「ぎゃッ!?」
中から鎖が付いた鋼鉄輪が射出され、マットンの胴体を捕えた。
「うわあああァッ!?」
悲鳴を上げながら彼は箱の中に入れられ。そのドアは閉められる。
「――さあ、応じた罰を貴方に」
(???)
マットンはあらゆる映像に流されていた。
訳が分からないが、分かるのは。
(これは、私の記憶かッ)
【お願いだァッ!!命だけはっ!ぎゃっ】
前後左右・上下に流れる、記憶の川。
【いやァ!!痛いッ!!痛いッ!!】
様々な実験動物たちが、五月蠅く喚いている光景だ。
彼にとっては。
【帰りたいよォッ!】
だが、此処の基準は彼女だ。
【――マットン。何か隠していないか?】
裁きは下される、冷静冷酷に。
「安心して、死ぬことはないわ。練兵場と同じ、終わったら治る」
執行人は、箱に座りながら耳を澄ませる。
中から聞こえる、痛みの音色に。
「死んだ方がましかもしれないけど。――ふふ」
怪物による蹂躙は完了した。
招かれた魔の化身によって。