(8)
オークとの戦闘が終わった後、その死体は穴に埋め、俺とルージュの魔法で燃やしていった。
攻撃魔法が苦手だと言ったルージュであるが、死体を焼くくらいの魔法は十分に使えるようだ。俺は魔力の節約のために水出しに専念しろと言われたが、ルージュ1人では少し時間がかかりそうだったので、俺も手を貸す事にした。これくらいの魔法を使った所で、本来の仕事には影響しないと言い張った。
その後の旅は順調そのもので、盗賊にも魔物にも出会う事はなかった。
何度かの小休止の度に、水をたくさん出し馬たちにたっぷりと飲ませてやった。もちろん俺たち人間も冷たい水で喉を潤した。
野営では、飲み水を出した後、汗や砂埃を落とすために、皆の頭の上から大量の水を浴びせてやった。
ルージュは余り魔力量が多くないらしく、今までは濡らした布で身体を拭くだけだったらしい。それに比べ俺は、大量の水を何度も出せるので、かなりさっぱり出来たと、ラドワ達には喜んでもらえた。
もちろん唯一の女性であるルージュにはそんな事をするわけにはいかないので、彼女は1人テントの中で身体を拭いていたようだ。
水浴びに喜んだのはミュスカや御者の男たちも同様で、気持ちよく寝られると喜んでいた。
翌日、この日も特に問題はなく、昼鐘3つが鳴るまでに目的の町に到着した。
町に着くと、ミュスカはこの町の商人たちとの話し合いのために、御者たちを馬車に残して町の奥へ行ってしまった。俺たち冒険者は、明日の朝まで自由にしていいと言われている。
「よし、まずは飯だ。飯を食おう!」
ミュスカと別れた後、ラドワがそう切り出した。旨い飯屋を知っているようで、そこに連れて行ってくれるようだ。
日頃から身体を動かし鍛えている俺たちは、それを維持するためにもしっかりと食事は摂らなければならない。道中の食事はミュスカが用意してくれたが、1日の活力となる最低限の食事で、それも携帯食料だ。味気はなく、それほど旨いものではない。だがある意味、俺にとっては故郷を思い出す味気のなさで、懐かしくはあった。
ラドワ達はこの町には何度も来た事があるようで、行きつけの店があるようだった。
彼らに連れられやってきた店はお世辞にもきれいとは言えない店だった。見るからに古く、建てられてから相当長い時間が経っていそうだ。所々、真新しい木材や石材が見られるので、修復を繰り返しているのだろう。
古めかしい扉をくぐると、店の中はなかなかの盛況ぶりだった。
ラドワ達の行きつけとあって、中は冒険者らしき者たちや肉体労働者らしき者たちが多く見受けられた。身体が大きく、腕も脚も筋肉で膨れ上がっている者が大勢いる。
空いているテーブルを探しながら、店内を進んでいると、見知った顔を見つけたのかラドワが手を振り上げた。
「おやっさん、元気か! また来たぜ!」
「おう、ラドワか。よう来た! 元気にしとったか」
ラドワの声に応えたのは、顔や腕に戦傷のある年のいった男だった。初老に近い年齢だろうが、かつては戦士だったのか、背筋は伸び、時折鋭い眼光が顔をのぞかせている。
「いつもの頼む! あっ、今日はもう1人前追加でな!」
「あいよ!」
よほど馴染みなのだろうか、その短いやり取りだけをして、テーブルへと向かっていった。
店の奥の、壁際の丸テーブルに座った。ラドワが先に座り、その隣にルージュが座った。
「ヴァンくん、こっち」
と、ルージュに手を引かれ、俺は彼女の隣に座る事になった。そして俺の隣に、何故だか愕然とした様子のヴェルデとティントが座っていった。
彼らはとても表情豊かだが、状況と表情が一致していない事がよくある。何故だろう。
「ヴァンはこの町は初めてだったな。この店の料理は隠れた名物なんだ。食わねぇのは絶対に損だ」
「そんなに旨いのか? こっちの料理はフィサンで食べたくらいなんだ」
「ほんとに美味しいよ~。私たちもリーダーに教えてもらったんだけど、もう虜になっちゃうよ」
ラドワ達は本当にこの料理が好きらしくルージュも強く勧めてくる。ティント達に聞いても、味は間違いない、との事だ。しかしどんな料理かは来てのお楽しみ、と教えてはもらえなかった。
「黒パンと雄鳥の煮込み5人前、お待ちどうさん」
鼻孔をくすぐる芳しい香りと共に、料理がテーブルに運ばれてきた。大きな深い器に入った料理と、黒いパンの乗った皿がそれぞれの前に置かれる。
腹が大きな唸り声を上げた。そして口の中が洪水に陥った。
先程から店の中に漂う良い香りに空腹は最高潮になっていたが、それを更に超える空腹が襲ってきた。
深い器に盛られているのはスープだろうか。濃い茶色をしており、器の底が見えないほどに色が濃い。同じ色に染められた肉、野菜、豆らしきものが所々に浮かんでいる。
スープはとろみがありかなり濃厚そうだ。そしてまたツヤツヤと照り輝いている。香ばしさ、甘さ、焦げの香りが、一体となって辺りに漂っている。
初めて見る料理で、ほとんど真っ黒といってもいい外見には全く食欲をそそられないが、その複雑で芳しい香りには、逆らう事が出来ない。早く食べたくて仕方がない。
「旨そうだろ? さっ、熱いうちに食おうぜ」
ラドワの言葉で食事が始まった。
俺は一気にかき込みたい衝動を抑えて、努めてゆっくりとスプーンを器に挿しこんだ。
まず初めにすくったのは、茶色く染められた肉だ。雄鳥の煮込みと言っていたから、鳥肉だ。それもオスの肉だ。オスはメスと違い肉が硬く筋張っている。肉汁も少なくボソボソとしている。
ところがこの煮込みはどうだ。口に入れ噛んだ途端、何の抵抗もなくほぐれていく。歯など必要ないくらいだ。それに加えて噛むたびにうま味が口の中に広がっていく。肉のうま味、脂の甘さがどんどん溢れ、焦げに似た風味が味に深みをもたらしている。
次にすくったのは芋らしきものだ。一口大のそれは、やはり茶色く染まっている。やけどをしないように口の中に放り込む。それはやはり芋で、口の中でホロホロと溶けるように崩れた。スープをしっかりと吸いこんでいるのか、粉っぽさは一切ない。芋のうま味に肉のうま味が加わり、その旨さはまさに極上だ。
次にすくったのは、大粒の豆だ。外側は薄皮が1枚あるかのように硬く、噛めばプチリと弾け、中はやはりとろけるまで煮込まれている。
最後にスープをすくった。ほぼ黒といってもいいほどの艶やかな茶色の液体。トロトロとしており、飲めば舌にスープがまとわりつき、いつまでもうま味を感じていられる。全ての食材の味わいが溶けだし、このスープだけで料理が完成しているようにも思える。またその濃度がとても濃く、これは飲むものではない、食べるものだ。
忘れていたパンの存在をふと思い出した。
麦の粒が残る、黒茶色のパン。スープの味が口の中に留まり続ける中、かじりつく。中身がぎっしり詰まったパンは重く弾力があり、その味わいはほのかに酸味がある。
口の中に残っていた濃厚な肉と脂のうま味が、すっと消えた様に感じた。そして口の中の水分がどんどんパンに吸収され、途端にまたスープが欲しくなる。
後はその繰り返しだった。
肉を食い、スープを飲み、パンを食べる。またスープを飲み、芋と肉を頬張り、パンにかじりつく。時にはパンをスープに浸し、一緒に口の中に放り込む。
気づけば、はやる気持ちを一切抑える事が出来ないまま、雄鶏の煮込みに夢中になっていた。
食事の後は各自自由行動ということになった。
店を出る前におやっさん -とラドワに呼ばれていた男- にあの料理をどうやって作るのかを聞いてみた。
詳しい作り方は秘密らしいが、野菜などと一緒に、雄鳥を丸ごと、骨や内臓も一緒に煮込んでいるらしい。それもただ煮込むだけでなく、果実で出来た酒と香りの強い野菜を入れ、1日以上の長時間じっくり煮込むらしい。
おやっさんにとにかく旨かった事を伝え、店を後にした。おやっさんは大声で笑い、笑顔で見送ってくれた。
宿に着き荷物を下した後、俺は町を見て回る事にした。するとルージュが案内を買って出てくれた。
ありがたいと思いつつ、疲れていないかと尋ねれば、大丈夫だと言い先に歩き出してしまった。慌てて追いかけるとルージュは満足したように笑顔を浮かべた。彼女の言葉に甘え町の散策へと出かけて行った。
背中からとても強い視線を感じたが、それはもう気にしない事にした。
夜になると再びおやっさんの店で食事を取ることになった。今度はミュスカも一緒だった。
商売が上手くいったのかミュスカはかなりご機嫌だった。雄鶏の煮込みを食べながら、それを作るのに使った果実の酒を一緒に飲んでいる。
ラドワ曰く、その組み合わせは最高らしく、彼も本当に飲みたそうにしていた。しかし依頼中に酒を飲むわけにはいかないという、彼の強いこだわりがあるようで、泣く泣く我慢していた。
リーダーに倣いラドワのパーティーは誰も酒を口にしなかったので、俺も酒を飲む事はしなかった。故郷でも酒を飲んだ事はなかった。年齢的には酒を飲む事はできるので、機会があれば飲んでみようと心に決めた。
しかし今の俺には、この雄鶏の煮込みと黒パンがあれば、それだけで幸せだった。周りの声も気にならないくらい、夢中で料理を食べ続けた。
そうして心身ともに満たされ、宿で心地の良い眠りについた。