(3)
俺は今、猛烈な空腹感に襲われていた。
通りのあちらこちらから、脳天を揺さぶる芳しい香りが漂ってきていた。
初めての香りがほとんどだが、否応なく食欲を刺激されていた。
事の起こりは、ギルドを後にしてすぐのことだった。
冒険者としての仮登録を終えた俺は、とにかく町中を歩き回ろうと考えていた。
このフィサンの町を拠点に冒険者としてやっていくわけではないが、そのイロハをある程度覚えるまではこの町を拠点にしようと思っている。なので拠点となる町の土地勘は身につけておくべきだと思ったからだ。
そのためには歩き回り足で覚える必要がある。そんなわけで一度、町の中心に向かいそこを起点にいろいろと町中を探検することにしたのである。
ギルドを出て町の中心に向かうと、そこは大きな広場だった。その広場を中心に、馬車が通れるように整備された大きな通りが、東西南北に伸びていた。その大通りから枝分かれするように、様々な路地が伸びていた。
手始めにギルドがある東側を見て回ろうと、再びギルド方面へ歩いて行った。その時、何やら良い香りが鼻先をかすめた。ギルドからそう離れていない、2つ3つ路地を超えた道からだ。
ギルドを出た時に昼鐘3つがなったように、ちょうど昼飯時であり、俺も少し空腹を感じていた。探検の前に腹ごしらえをしようと、その匂いを辿って道を歩き出したのだ。
そして辿りついたのが、様々な食べ物の店が軒を連ねる通りであった。店先で商品を買い、歩きながら何やら食べている人や、店の中から満足そうに腹をさすりながら出てくる人もいる。何が食べられるのか分からないが、とにかく通りの至るところからとてつもなくいい匂いが漂っていた。
そして俺は、猛烈な空腹感と食欲に襲われていたのである。
とにかく何かを食べなければ耐えられなかった。ふと目に着いた露店に吸い寄せられるように歩き出した。
店に近付くと、ジュワジュワ、肉の焼けるような音が聞こえてきた。しかし俺の知っている音とはどこか違っている。時折パチパチとはじける音や、カラカラと乾いたような音も聞こえてくる。
更に近付けば、肉とは別の、何か穀物が焼けるような香ばしい香りが襲いかかってきた。
客の1人が店主らしき人物から、何か黄金色のものを受け取っている。骨のついた肉の様だ。大きさや形からして鳥の脚だろうか。男はすぐさま、鳥肉らしきそれにかぶりついた。俺の所まで、ザクザクという音が聞こえてきた。
ザクザク?
どうして鳥肉を食べて、そんな音がするのか。訳が分からないが、ますます興味と食欲がわいてきた。
「いらっしゃい! 兄さん、1本どうだい?」
店主らしき男から声をかけられた。男は何やら液体の入った鍋の前に立ち、その中に鳥肉らしきものを入れていた。
鍋の中にそれが入った瞬間、鍋の中で大量の泡が発生した。ジュワジュワという音がうるさい位に鳴り響き、それに合わせるように鳥肉の周りに泡が発生している。一体どうなっているのだろう。
「兄さん、この町は初めてかい? これはフィサンの名物で『鳥の衣揚げ』ってんだ。一度は食わないと損だよ!」
物珍しそうに鍋の中を見つめている俺を、初めて町に訪れた者だと判断したようだ。
そして鍋の中の鳥肉らしきものはやはり鳥肉だったようだ。しかし衣揚げとは一体なんだろうか。ただその正体を探るよりもその味を知りたかった。値段を見れば1本、小銀貨2枚とある。1度の食事では少し高い気もするが、それだけ旨いのかもしれない。ちなみに小銀貨10枚で銀貨1枚となる。
「1本くれ!」
路銀を入れた袋を探りながら店主にそう伝える。
「あいよ、毎度あり!」
店主は威勢よく応え、鍋の中から頃合いであろう肉を1本取り出した。持ち手となる骨の部分に薄い木の皮のようなものを巻き付け、そしてそれよりも大きなものの上に肉が乗せられた。
小銀貨2枚をちょうど渡し、鳥の衣揚げを受け取る。肉からはまだジュワジュワとした音がしている。また肉はとても熱く、木の皮ごしでも熱が伝わってくる。
「熱いから気ぃつけてな」
これだけ熱いものにいきなりかぶりついたら、口の中が大変なことになるだろう。
ふーふー、と少しでも熱を冷まし、頃合いかと思ったところで肉にかぶりついた。
ザクリッ。
肉の外側からそんな音が聞こえた。そして歯に伝わるのは適度な硬さを持ったものをかみ砕く感触だ。
ザク、ザク、ザク……
咀嚼する度に、その音と触感が小気味よく伝わってくる。
そして何と言ってもその肉の旨いこと!
肉は柔らかく全く筋張っておらず、噛めば噛むほど肉のうま味と肉の汁が口の中いっぱいに広がっていく。肉に味付けがされているのか、ほんのりとした塩味や甘さを感じることができる。他にも何やら複雑な味を感じるが、一体何なのか全く分からない。
気づけばあっという間に肉はなくなり、骨だけになっていた。
「これは一体何なんだ?」
肉を食いつくした俺は、店主にそう言って食ってかかった。なぜ肉の外側があのように硬くザクザクしているのか、なぜこんなに肉が旨いのか、と。
俺が余りに旨そうに食っていたのか、一瞬店主は茫然としていたが、気持ちのいい笑顔を見せて、俺の質問に応えてくれた。
「まず肉に予め味をしみ込ませてるんだ。海の水から作った塩と、豆を発酵させて作った調味料だな。こうすることで肉のうま味が強くなるんだ。
そしてその肉を熱した油で揚げるんだが、その前、芋の煮汁を乾燥させて出来た粉と卵を混ぜた液体を衣として肉につけてやるんだ。
そうすると外はザクザク。肉の汁も衣の中に閉じ込められてより旨くなるってわけだ!」
店主は嬉しそうにそう語ってくれたが、正直その半分ほどはよく分からなかった。
魔大陸では、焼くか煮るかで、味付けも塩だけ。それでも殊更不味いと思ったことはなかったが、どうやらそれしか知らなかったからなのだろう。
今まで鳥肉は何度も食べたが、この衣揚げを食べた後では、故郷の肉を食う気がしない。それほどまでにこの衣揚げは旨かった。
「あんたは、世界一料理が上手いのか?」
余りの旨さにそんな事を聞いてしまった。ただこの男が世界一の料理上手であれば、俺がこれだけの衝撃を受けたのも頷けるというものである。
しかし店主は一瞬目を丸くした後、照れるように鼻をかき大声で笑った。
「そうだな。この衣揚げに関しては俺が世界一かもな! でもこれと同じくらい旨いもんは他にもいっぱいあるぜ!」
まさかそんな言葉が返ってくるとは思ってもみなかった。しかも他にもたくさんあるとは。故郷に帰った時に、今までの食事が食べられるか不安になってくる事実である。
「この通りにはこの町の旨い名物がいろいろ揃ってるんだ。しばらくいるならいろいろ食べてみな!」
そう言って店主は、衣揚げを作る作業に戻っていった。
俺はこの店から他の店へと視線を巡らせた。空腹はある程度収まったが、まだまだ満腹にはほど遠かった。懐の路銀の重さが、何だか心もとなく感じてきた。
しかしここで我慢をするという選択肢はなかった。目の前には未知なる味の世界が広がっているのだ。冒険者である俺がそこに足を踏み入れない理由はない。減った分は稼げばいいだけである。
使いすぎないように気をつけよう、と少しだけ自戒し、通りの奥へ足を踏み入れていった。