(14)
「フラン!!」
咆哮の余りの恐ろしさにフランは地面に座り込んでしまった。慌てて彼女のそばへ駆け寄る。
「土よ! 我護る盾となれ!」
「水よ! 炎を遮る盾となれ!」
同時に矢継ぎ早に魔法を唱える。咆哮と共に森の奥で魔力が膨れ上がるのが分かったからだ。
せり上がった土壁が炎を遮り、その後ろに広がった水壁が熱さを和らげる。
時間が短く作る事が出来たのは、小さな盾でしかなかったが、何とかフランを守り切る事はできた。しかしその代償に、炎に肌を焼かれ苦しみながら倒れ伏すラドワ達の姿が目に入った。
それと同時に、森の中から2つの影が姿を現した。
「無傷かよ……ほんとにクソ生意気な新人だな、おい!」
右腕をダラリと下げ、身体中の擦り傷や打撲が痛々しい、フラフラとした足取りのダニ野郎だ。左手に鞭のようなものを持ち、相変わらずいやらしい笑みを浮かべている。
それに続いてもう1つの影が姿を現した。
その姿に俺は、いやこの場にいた全ての人間が驚かずにはいられなかった。
それは、この世界の頂点に君臨する、最強の生物。
強靭な肉体に強固な鱗を纏い、大空を翔けその吐息で全てを滅ぼす。天災の邂逅にも等しいと呼ばれる存在。
腕や脚は人の胴周りよりも太く、赤い鱗に包まれている。大きく裂けた口からは刃の様な鋭い牙がのぞき、頭からはねじくれた角が2本突き出している。頭の高さは、四つん這いの状態でも大人2人分はあり、見上げなければならないほどだ。背中にある大きな翼は今は折りたたまれ、身体の後ろでは丸太の様な尻尾が地面を叩いている。
空を飛び、炎を操る赤き龍、赤龍が、その姿を現した。
突如として現れた赤龍に、辺りは静寂に包まれた。その余りの存在に皆が一様に呆けて、龍を見ていた。
が、それも一瞬の事ですぐに悲鳴が上がり出す。子供の悲鳴が、冒険者の悲鳴が、馬のいななきが聞こえてくる。龍の威にあてられた馬が走り出したのか、制止の声や子供達の声が段々小さくなっていく。
フランに目をやる。
地面に座り込み、青ざめた顔をしている。少なくともすぐに立ちあがる事はできないだろう。
ラドワ達に目をやれば、いまだ地面に伏したまま。ラドワは何とか苦しげな表情でダニ野郎を睨みつけていたが、それでも龍の姿には愕然とした様子を隠せないでいる。
俺も、始めて目にする龍を前に、震えが止まらなかった。絶対的強者に対する根源的な恐怖。始めて感じるそれに、俺も他の冒険者達と同じような顔をしているだろう。
「さすがに龍が出てくるなんて思ってなかったようだな、いい面してるぜ。それにラドワも、いい格好じゃねぇか、えぇ?」
龍を目にした俺達の様子を見て、ダニ野郎は嬉しそうだ。自分の勝ちを確信している顔つきだが、事実、龍を味方につけたダニ野郎に勝つ事は至難だろう。
「こいつはよぉ、偶然、卵を見つけてよぉ、俺が孵したんだ。それから今まで俺が育ててきたから、俺の言う事しか聞かねぇ」
龍を前に愕然とする俺達の様子が余程嬉しかったのか、聞いてもいないのにベラベラと龍について話し始めた。
曰く、龍はまだ子供だが俺達の勝てる相手ではない。
曰く、親であるダニ野郎を守るから、ダニ野郎を先に殺す事はできない。
曰く、ダニ野郎を殺せば、龍が怒り暴走する。
曰く、ダニ野郎をどうにかしたければ、とにもかくにも龍をどうにかしなければならない、などなど。
とにかく俺たちに勝ち目はなく龍による死が待っている事を強調し、ダニ野郎は自分の優位性に酔っていた。
そのおかげで、ラドワ達は立ち上がれるまでには回復していた。それでも龍と戦うなどもちろんの事、通常の戦闘も満足に行えないくらいにはボロボロだ。足元もおぼつかなく、今にも倒れそうだ。
「フィサンで大活躍のラドワのパーティーも、さすがに龍の息吹には太刀打ちできなかったみてぇだな」
ダニ野郎の嘲りにラドワが憎々しげに顔を歪める。安い超発ではあるが、太刀打ちできなかったのもまた事実なのである。
「さて、俺が身元を偽ってギルドに登録していた事がバレた以上、本来ならてめぇらを生かしておくつもりはねぇんだが、ラドワ達は見逃してやってもいいぜ」
ダニ野郎の言葉にラドワは眉をひそめた。ラドワはどうにかしてこの場を逃げ出し、ギルドへ報告する方法を考えていたはずだ。ダニ野郎の言葉を訝しんでも不思議ではない。俺だってそう思う。
「俺はもうこの辺りから、おさらばしようと思ってよ。ボロボロのお前らが町に戻ってから討伐隊が組まれるまでの時間がありゃ、余裕でトンズラできる。
それにてめぇらは気に食わねぇ野郎共だが、直接仕事を邪魔された事はねぇからな。まっ、お情けってやつよ」
ダニ野郎が更に愉悦で笑みを歪める。ラドワ達も表情を歪める。
ギルドに仇なす罪人をみすみす見逃すだけでなく、本来殺される所を見逃される。それも、普段ダニ野郎と蔑んでいる奴からの情けで見逃されるのだ。屈辱な事この上ない。
しかしこの事態をギルドに報告せずに死ぬわけにはいかない。そう言った葛藤がラドワ達の中にあるのだろう。
「けどなぁ、てめぇは別だぜ、クソ新人」
ラドワにはヘラヘラ、ニヤニヤとした笑みを浮かべていたダニ野郎が、俺にははっきりと敵意の籠った視線を向けてきた。
「てめぇのせいで仲間がみんな死んで、ここ一番の大仕事が台無しだ。それからたった今思い切り蹴り飛ばされたのと、ギルドの中で恥をかかされた恨みがあるからな」
ダニ野郎の恨み節に、自業自得だろうと内心毒づく。
「楽には死なせねぇ……たっぷりいたぶってやるから、覚悟するんだな」
ただでさえ醜いダニ野郎の顔が、この上なく醜く歪んでいった。
ダニ野郎への苛立ちと、龍と戦うハメになった自分の不運に、自然と表情がひきつる。
「ラドワ! フランを連れて早く逃げてくれ! 嬉しくない事に俺にだけ用があるみたいだし、それならフランを守りながらでも町まで行けるだろ」
ダニ野郎が殺す気なのは俺だけだ。それがどこまで本当かは分からないが、俺が生きている間はフラン達が狙われる可能性は低いだろう。だから出来るだけ早く、フラン達にはここから離れてもらわないといけない。
「ふざけんな! お前1人残していけるわけねぇだろう!」
ラドワが吠える。気持ちはありがたいが、今はそんな事を考えている場合じゃない。
「あんたらに龍が殺せるのか? 無理なら早くフランを連れて逃げてくれ!」
「っ……なら、お前が逃げろ! ここは俺達が食い止める」
ラドワは言葉に詰まりながらも譲らない。ただラドワ達では力不足だ。
「龍の息吹を防げなかったくせに何言ってんだ! しゃべってる時間が無駄だ、早く行け!」
最初の息吹が龍の本気だったのかは分からない。
それでもラドワ達は防ぐ手立てを講じる間もなく、その身を焼かれる事になった。そんな彼らでは時間稼ぎもままならないだろう。そうなれば、フランを守りながら逃げる事になり、最悪フランもろとも殺されてしまう。
仮に運よくフィサンに辿りついても、龍を相手取れる冒険者が都合よくいるとも限らない。この時も、最悪の場合、町の壊滅や半壊を引き起こす可能性がある。
「いいからさっさと行け!」
ラドワの表情は苦い。同時に腹をくくった顔でもある。
フランに、ラドワ達と逃げるように促す。ラドワ達もこっちへ向かってくる。
その時、
「言い忘れてたぜ……その娘は置いてけ」
ダニ野郎のいやらしい声が投げかけられた。
一瞬、周囲の音が消えた。
「仲間がいなくなってしばらくは独りなんだ。そんな夜は寂しいからよ、慰めてくれる相手が欲しいんだ、ひっひっひ……」
ダニ野郎は下卑た笑みを浮かべて、気色の悪い視線をフランに向けている。
「娘を連れて逃げたら、そっちから先に殺す。だから命が惜しけりゃ、娘を置いてさっさと逃げな、ラドワさんよ」
「この下衆が! そうまでして生きようとは思わねぇ! てめぇの情けなんてまっぴらだ!」
「けっ……せっかく生き残る道を用意してやったのに、バカな奴だぜ……」
ラドワが怒りを爆発させ、剣を抜いてダニ野郎を睨んでいる。対するダニ野郎はヤレヤレといった様子で肩をすくめている。
「そうだ、クソ新人。てめぇにも生き残る道を用意してやるよ」
そんな中、いい事を思いついたように口の端を吊り上げた。
「その娘を俺に差し出しゃ、てめぇも殺さないでおいてやるよ。こっちには龍がいるんだ。どうあがいてもその娘は俺に攫われる。なら、自ら差し出して命だけは助けてもらうのが、利口ってもんだと思うぜ」
ダニ野郎はどこまで行ってもクズだった。
俺がフランを差し出し、無様に命乞いする様子を見たいのだろう。それを見て、俺を口汚く罵りたいのだろう。
守るべき人を自ら敵に差し出す。
確かに無様で、屈辱的で、それでも命には代えられない。そう思う奴は確かにいるだろう。
自分の命がかかれば、無様でも屈辱的でも生き永らえようとする奴はいるだろう。大勢いても不思議ではない。
けれど俺はそんな道は絶対に選ばない。
無様だとか、屈辱的だとか、そんな事は関係ない。
守る相手を売る、守ると言った誓いを破る。
それがどれだけ己の魂を汚すのかを、俺は両親たちに教わった。
例えどれだけ無様で屈辱的な事があっても、魂だけは汚してはならない。
その結果、例え自分の命を失う事になっても。
「俺は、彼女に助けてやるって言ったんだ。絶対に守ると誓ったんだ。お前にその誓いは汚させない。
彼女は渡さない。死んでもお前には渡さない。
無様に死ぬのはお前だ、ダニ野郎」
もとより、死ぬつもりも、フランを渡すつもりもない。ダニ野郎を殺すつもりだ。
フランの前に立ち、改めてダニ野郎の死を宣告した。




