(13)
「フラン!!」
俺はダニ野郎を睨みつけ、力の限り叫んだ。
相手は肩をすくめながら笑みをどんどん深くしていく。俺の焦っている様子がよほど嬉しい様だ。
フランは、ナイフに怯えながら、縋るような目で俺を見つめている。
「てめぇ、その手を放せ!」
ナイフが彼女の頬にピタリと突き付けられているため下手に動けない。動こうものなら、あいつは躊躇いなくフランを殺すだろう。
「動くなよ。下手な動きをしてみろ。こいつの命はねぇぜ?」
そう言いながらナイフの腹でフランの頬をペチペチと叩いている。ナイフが触れる度に彼女はビクリと身体を強張らせる。
「お前が、この娘を気にしてたみたいだったからよ、一応攫っといたんだ。もしもの時、人質として使えるんじゃねぇかってな」
ダニ野郎が何を言っているのか、一瞬、理解する事が出来なかった。
同時に身体から血の気が失せていくのが分かった。
冷や水をかぶせられたように身体が震え、息が止まる。
「お前は異常だ。もし追ってこられたら全滅しかねねぇ。そのための保険だったが、攫ってきて正解だったな」
奴の言葉が頭の中で何度も繰り返される。
俺から逃げるために攫った?
仲良くしている女を盾にすれば、俺から逃げられる?
まるで、俺と知り合ったから攫われたみたいじゃないか。
「この娘も運が悪ぃな。せっかく助かったのに、お前と知り合ったせいでまた攫われたってんだからな」
脚が震えてきた。呼吸が乱れて息苦しい。
少しでも力になれればと彼女のそばにいた。それが彼女を再び苦しめる事に繋がった。
もっと彼女のそばにいれば、守ってやれただなんて、とんだ思い違いだった。
そもそも俺が近づかなければ、彼女が再び攫われる事はなかったのだ。
「武器を捨てて、そこから一歩も動くな。少しでも動いたり、魔法を使おうとしてみろ。この娘が苦しみながら死ぬことになるぜ」
ダニ野郎は自分の勝利を確信して、余裕の態度を崩さない。
目の前が真っ暗になる。
情けなくて、彼女の目を見る事ができなかった。
けれど、彼女から強い視線を感じ、不意に目があった。
それは、俺を責めるような目ではなかった。
その目を見て、俺は許された気がした。そもそも責められてなどいないと、そう思えた。
心が熱くなった。
震えが止まり、朝の冷たい空気で胸が満たされる。
ふと笑みが零れた。
「なに笑ってやがる! 武器を捨てろって言ってんだ! こいつがどうなってもいいのか!」
ダニ野郎が突然、吠えた。
余裕を取り戻した俺が気に食わないとでも言いたげに、射殺さんばかりに俺を睨んでいる。
けれどそんなもの怖くも何ともない。
さっきは取り乱したが、いつもの俺なら、ダニ野郎くらいどうにでも出来る。例え人質を取られてたとしても。
「分かった分かった。これでいいだろ?」
相手が痺れを切らす前に、肩をすくめながら武器を捨てた。
見せつけるように、高く遠くに、刀を放り投げた。
同時に、鞘を全力で、ダニ野郎に投げつけた。
高く投げ捨てた刀に気を取られ、全力で投擲された鞘に、ダニ野郎は気付くのが一瞬遅れた。
俺は鞘を投げると同時に全力で駆け出していた。魔力による身体強化は、最大のまま維持していたので、通常ではありえない速度で駆けて行く。
鞘がダニ野郎の腕を砕き、ナイフが手から落ちる。
ほぼ同時に俺が到着し、うめき声を上げる前に、ダニ野郎を蹴り飛ばした。
勢いよく吹っ飛び、転がりながら森の奥へ消えて行く。
ダニ野郎から解放され、倒れそうになるフランを抱きとめる。口を縛っていた布を外してやる。
「フラン、大丈夫か! 怪我はしてないか!」
ざっと全身を見る。顔など目立つ所に殴られたような形跡はない。フランも、大丈夫と頷いている。
「よかった……俺のせいで、怖い目に合わせて、ごめんな……」
何とか無事にフランを助ける事が出来た。それでも彼女を危険な目に合わせたのには違いない。誤らずにはいられなかった。
けれど彼女はただ首を横に振るだけだった。
そして彼女が何か言おうと口を開きかけた時、迫りくる馬の足音が聞こえてきた。
俺を囲んでいた盗賊たちだ。合わせて矢も迫って来ていた。
ほとんどが俺達には当たらない矢だったが、何本かは俺やフランに突き刺さる軌道だった。
それらを手でつかみ取り、折り曲げて地面に打ち捨てる。
「馬車に隠れててくれ」
馬に乗った盗賊が近づくまであと少し。その間にフランを馬車の中に入れる。流れ矢が当たってしまっては話にならない。
フランは酷く不安な表情をしていた。
俺が前に盗賊を殺した時の事は覚えていないのだろうか、俺1人で盗賊に立ち向かう事を心配しているように見える。
「大丈夫だ、すぐ終わらせてやる」
盗賊など何て事はない、と口の端を吊り上げて不敵に笑う。
フランはまだ不安そうだったがもう時間はない。盗賊はすぐ近くまでやってきている。
急いで幌を閉じて、盗賊達に向き直る。
眼前に、疾走の勢いを殺さず、俺の首めがけて振るわれた剣が迫っていた。
屈んでやり過ごす。
頭のすぐ上を剣が通り過ぎて行った。
続けて馬が迫ってくる。次の盗賊は短槍を握って突進してきた。
屈んだ体勢から飛び上がる。盗賊と顔の高さが同じになり、盗賊の目が驚きに開かれる。
その顔を蹴り飛ばし、馬から落とす。
短槍を奪い取り、着地と同時に相手の首に突き立てる。
足元の盗賊がもがいて、すぐに動かなくなった。
辺りを見回す。
突撃して来たのは2人だけ。残りは少し離れた場所で様子を見ていた。が、1人がやられるのを見て、馬に鞭を入れた。
俺は短槍を引き抜き、後ろを振り返って投げつけた。馬を反転させようとしていた1人目の盗賊の胸に、槍が深々と突き刺さった。
盗賊が馬から崩れ落ちるのを横目で確認し、残りの盗賊達へ向けて走り出す。
一番近い盗賊に正面から向かい、馬の頭を飛び越えて、盗賊の顔面を踏みつける。そのまま落馬させ、盗賊の頭に着地し体重を乗せて踏みつける。
そこに盗賊が馬から降りて向かってきた。馬に乗り1人1人突っ込むのは下策と判断したのだろうか。
その反対側からは、何人かの弓持ちが剣を抜いて迫って来る。
好機だ!
弓持ちに注意しつつ、挟み撃ちで向かってくるちょうど中央に位置取り、小さく呪文を唱える。
「大地よ、汝を踏みしめる愚か者を貫け…!」
詠唱が完了した時、盗賊達は剣の間合いの2歩ほど手前。動くそぶりを見せない俺に、何の警戒もせず剣を振り上げている。
そんな隙だらけの盗賊達に向けて、無数の石の槍が飛び出した。
俺を中心に全方位に向けて突き出た石の槍に、盗賊達は勢いそのままに飛び込んだ。
首から下を穴だらけにされその殆どが一瞬で絶命。刺さりどころが良かった者、ある意味悪かった者は、苦しみながらも死ぬには至らなかった。
魔法を解くと共に崩れ落ちる盗賊達。辺りに聞こえるのは、わずかなうめき声と、残り数人となった弓持ちの驚愕の声だけ。
その残りも早々に片づけよう。そう新たな魔法を使おうとした時、聞きなれば野太い声が森から聞こえてきた。
耳に意識をやれば、その声が段々と近づいてくるのが分かった。俺の名前を呼び、どこだどこだ、と繰り返している。
「ヴァーン! 無事かー!」
森の境目から冒険者の男、ラドワが姿を現した。
ラドワは森の広場を見渡し、俺と盗賊を見つけると、号令と共に斜面を下り始めた。
彼の後に続き、大勢の冒険者がやってくる、その数20人以上。ラドワ達と別れた後、応援に来た冒険者と共に駆けつけてくれたのだろう。
しかし盗賊はほとんど倒してしまっているので、彼らの活躍の場は余りないだろう。
「ヴァン、無事か! 全くお前は無茶しやがって!」
ラドワ達が怒っているような安心しているような複雑な表情で俺のそばにやってくる。他の冒険者達は残りの盗賊に殺到している。一度は巧みな連携で冒険者を翻弄した盗賊だが、多勢に無勢。すぐに討伐されてしまうだろう。
ラドワ達はやはり俺が1人で盗賊の所へ向かったのを心配してくれたようだが、無傷の俺と辺りの惨状を見て心配無用だった事を悟ったようだ。
「あの馬車に攫われた子供たちが乗ってる。全員かは分からないから、確認してくれ」
フラン達の乗る馬車を指さし、一緒に向かう。
馬車の幌を開けると、怯えた子供達の目が一斉に向いた。そしてその目が強面の男の顔を捕らえると、更にその怯えが深まった。慌ててフランに事情を説明してもらい、何とか助けに来た事が伝わり事なきを得た。
子供達が落ち着いた所で話を聞くと、攫われた子供達はここに全員いるようで、すぐ町に戻る事になった。
そうしているうちに盗賊を倒した冒険者達も馬車の周りに集まって来た。強面が増えた事で若干子供達が怯え出したが、ルージュを始めとした女性の冒険者が何とかそれを和らげていた。
すぐに町に戻る事が伝えられ、それぞれ動き出した。
馬車に馬をつなぎ、馬車を斜面の上に上げるために一旦、子供達を馬車から出した。そして馬と冒険者達で力を合わせて、馬車を斜面の上へ押し上げて行く。
その間に女性や比較的顔の怖くない冒険者で子供達をまとめ、馬術が得意な者達が町に知らせるために馬を走らせていった。
「ラドワ、そういえばダニ野郎が盗賊だったんだ」
ふと、森の奥に蹴り飛ばしたダニ野郎を思い出した。
他の盗賊は止めを刺したが、あいつだけは確実に殺してはいない。ひどい怪我をしている事は間違いないが、死んではいないだろう。
「何だって! あの野郎、盗賊だったのか!?」
その事をラドワ達に話すと、驚きと怒りの籠った声を上げた。盗賊がギルドに入り込んでいたとなれば当然の反応だろう。
ラドワは大声で各パーティーのリーダーを集めた。彼らにダニ野郎の話を共有し、ラドワのパーティーがその捜索、捕縛を行う旨を伝えた。皆その提案を受け入れ、子供達の護衛に全力を尽くすと答えた。
どうやらラドワはここにいる冒険者の中でもなかなかの実力者で、皆からも頼られているようだ。
確かラドワのランクは6だったが、ランクが5になれば一流の冒険者と言われているので、その一歩手前のラドワは確かに実力者なのだろう。
リーダー同士の話し合いが終わりその2人が子供達の所へ戻った時、フランが俺達の方へ駆けよって来た。
「どうしたんだ? みんなもう行ってるぞ」
馬車は斜面を登り切り、子供達が中に乗り込んでいる。間もなく出発だろう。
フランはそれを気にせず、何か言いたげに口を開き、しかし言葉が出てこないのか数瞬の沈黙の後、目を逸らして口を閉じた。
後ろから聞こえてくる出発の掛け声に一度振り返った後、再び俺に向き直り意を決したように口を開いた。
フランが言葉を発しようとしたその時、唸り声の様な音が森の奥から聞こえてきた。
ゾクリ、と総毛立った。
「フラン! ここから離れろ!」
慌てて森の奥を振り返ると同時にフランを馬車へと促す。ラドワもとてつもない何かを感じたのか、油断ない視線を森の奥へ向けている。
何かがいる。とてつもない何かが、森の奥に潜んでいる。
馬車へと戻るフランを横目に見つつ、森の奥へ意識を集中させる。
突如、耳をつんざくような音が響き渡った。
グルゥァアアアアアァァ!!
唸り声の様な音ではなかった。まさしく、本物の獣の唸り声。それもとてつもなく巨大な獣の。
それと同時に巨大な炎が森から飛び出し、辺りを赤く染め上げた。