(1)
船の上で少し湿り気を帯びた風を感じながら、俺は後ろを振り返った。
今俺は、2つの大陸を隔てる海の上にいて、後ろで段々小さくなっていく故郷から目の前に広がる大陸を目指し、海を渡っていた。胸には期待と不安と寂しさが広がっていた。
15歳を迎え成人となった俺は、あるものを探す旅に出たのだ。
両親やその友人たちから戦いの手ほどきは受けている。魔物や盗賊に襲われることが珍しくない世界であるが、1人でやっていける自信はある。しかし探し物の手がかりはごく僅か。果たして見つける事が出来るのか。
そして故郷を発つ寂しさもあった。生まれた時から15年間生きてきた場所である。家族や、数は多くないが友人たちと別れるのは、やはり寂しかった。それでも探し物を諦める選択肢はなかった。
そんな少々複雑な心境の中で、思い出すのは成人を迎えた時に両親から語られた話である。
「大事な話がある」
そう父親に告げられたのは、成人の祝いの食事を終え、家でくつろいでいた時の事である。
話が少し変わるが、物心ついた頃から自分が、両親や周りの人たちと違うことに気がついた。
ある時、両親にそれについて訪ねてみたが、何だかはっきりしない答えが返ってきたことを覚えている。
「1人1人違っていて当たり前、1人として同じ人はいない」
と、言うような答えだったように思う。
しかし、そんな言葉では片付けられないくらい、自分と両親達の違いは大きかった。
周りには頭から角が生えている人達がたくさんいる。爪が鋭く獣のような人、身体が鱗で覆われている人、鋭い歯を持つ人、しっぽがある人など様々だ。
もちろん自分の頭には髪の毛しかないし、爪は平べったく、鱗もなく、歯にも牙はなく、しっぽもない。
皆が皆この特徴を持っているわけではないが、自分は1つとして同じ特徴を持ってはいなかった。
両親は比較的自分に近い外見をしているが、角と鋭い爪があり背中には羽があった。
やはり自分は両親達と根本的に何かが違うのだろう。それを確信するのにそう多くの時間はかからなかった。
ただ両親がその事について話さないのは、何か理由があるのだろうとも思った。だから思った。両親がちゃんと話してくれるまで待っていようとも。
話を戻すと、大事な話とは俺の出生に関わることであった。
両親によれば、生まれて間もないであろう赤子の俺が、彼らの家の前に捨てられており、産着に包まれ、『ヴァン』という文字の刻まれた金属のプレート以外、何も身につけてはいなかったそうだ。
そしてその赤子を不憫に思った両親は、わが子として俺を育ててくれたのだ。その時、プレートに書かれているのが俺の名前だと判断し、ヴァンという名前を付けてくれたそうだ。
つまり俺と両親には血の繋がりはなく、両親たちとの外見の違いは、種族によるものだとも教えてもらった。
彼らは魔族 ―様々な種族の総称ではあるが― と呼ばれる種族であり、前述のような外見的特徴を持っている。その外見に違わず、魔族は皆が強靭な肉体を持っており、優れた戦士である。またその名が示す通り、魔に通ずる種族であり、ほぼ例外なく大きな魔力を持ち優れた魔法使いでもある。
対して俺は、その様な外見的特徴を持たず、特に強靭な肉体も大きな魔力も持たない、ただ大陸に一番多く数のいる人間という種族であるようだ。個の力は余り大した事がないが、数が多く集団となってその力を発揮する種族だという。生まれてから一度も人間というものを見たことがないのでよく分からないが。
ちなみに俺は生まれた時から両親たち魔族に鍛えられているので、並みの魔族では相手にならないくらい強くなることができた。友人たちとケンカになった時も負けることはなかった。力加減を考えろとよく両親に怒られたものである。
両親の話を聞いている時、俺は茫然とした表情をしていただろう。薄々感じていたいたとはいえ、まさか両親が養い親で自身が捨て子だという事実は、そう簡単に受け入れらるものではなかった。
その俺の表情をどう受け取ったのか、両親は必死に俺への愛情を語ってくれた。血のつながりなど関係ない。魔族や人間など関係なく俺を愛していた事。正真正銘両親の子である魔族の兄弟とも変わらぬ愛情を注いできたこと。
面と向かって両親から愛情をぶつけられるのは若干の恥ずかしさはあるが、そんなことは百も承知であった。
俺の方こそ、血のつながりなど関係なく彼らを本当の両親だと思っているし、間違いなく彼らの子供だと思っている。もちろん実の子ではなかったという事実を知った後でもそれに変わりはない。ただ余りの事実に頭が追い付かず茫然としてしまっただけなのである。
俺のその想いを伝え、両親、特に母が落ち着いたところで、父は俺に2つの選択肢を提示した。
この地に残り魔族として暮らすか、否か。
その言葉に併せて、父はあるものを俺に差し出した。
それは、銀色に輝く金属片のようなもので、俺の名前が刻まれている。先ほどの話に出てきた俺の唯一の持ち物だったものだ。父に促されその裏を見ると、ガラスの様なものが埋め込まれ、その中に精巧な絵が描かれていた。
両親を含めた誰もが、これが一体何なのか、分からないそうだ。ただ1つ分かったことは、このプレートを作るには非常に高度が技術が必要で、少なくとも魔族の間には、恐らく人間にもその様な技術はない、ということだった。
余りに高度な技術で作られているが故に、これが一体何であるか分かる者は殆どいないであろう。しかしもしそれが分かりさえすれば、俺の生みの親や縁ある者たちへの決定的な手がかりになるだろう。
そう言って父は再び提示したのだ、これからの俺が歩む道を。
この地に残り、魔族として生きていくのか。
この地を離れ、自身が何者であるかを探す旅に出るのか。
両親の話を聞いた後、自分でも不思議なくらい、すぐに決断を下すことができた。
俺はその場ですぐに、自分を探す旅に出ると、両親に宣言した。
今さら生みの親を見つけ出し彼らと一緒に暮らそうだなんて思っていない。もちろん故郷を見つけそこで暮らそうとも思っていない。
俺の両親は魔族の2人であり、故郷は魔族の暮らすこの地なのだ。
ただ俺は一体何者なのか。なぜ捨てられたのか。それを知りたいと思った。後は、生まれて間もない赤子を捨てるなんて、何を考えていたのだと文句を言ってやりたいとも思った。
とにかく旅に出ることを決めたのだ。俺はすぐに、成人の祝いの日の翌日から、友人知人への挨拶と、旅の支度を始めた。
とは言っても、知人の数も余り多くなく、2~3日で挨拶回りは終わってしまった。旅の準備も1人で持てる荷物など高が知れている。護身用の武器、調理用の小鍋やナイフ、布団代わりの毛布と数日分の着替えなど、大きめの鞄1つで収まる量だったので、1日もかからず準備をする事ができた。
一番多く時間を取られたのは、旅立つための連絡船の待ち時間だった。
この世界には2つの大陸が存在している。
1つは大きく湾曲した三日月の様な形 ―北側の大地が一番太く南にいくにつれて段々と細くなっている―の大陸で 『統一大陸』と呼ばれている。数多くの人間が住まう大地であり、いくつかの国家が存在しているようだ。人間の他にもエルフやドワーフ、亜人といった魔族以外の種族もこの地に住んでいる。
もう1つは統一大陸の北東に浮かぶ、険しい山脈と痩せた大地を持つ、楕円形の大陸である。この地には魔族だけが住まい、またその厳しい環境から、魔大陸と呼ばれている。魔族も好き好んでこんな大陸に住んでいるわけではなく、遥か昔の戦争で敗れた魔族は迫害を受け、追いやられるようにしてこの大陸に住みついたらしい。何度か統一大陸への進出を試みたらしいが、戦争で数を減らした魔族は、人間たちの圧倒的な数の前に撤退を余儀なくされたようだ。
この2つの大陸は海によって隔てられており、当然船がなければ渡ることはできない。しかし過去の歴史から大陸間を行き来する定期船の様なものはなく、基本的に大陸を渡る手段はない。
しかし昔から魔族と取引をする商人がおり、月に2回ほど魔大陸へ船がやってくる。俺はその船に乗って大陸を渡る事になったのだ。ただ前回の船が来たばかりであったために、次の船が来るまで2週間近く待つ必要があったのだ。
そして次の船が来た時、俺は成人をしてから1カ月もたたないうちに、魔大陸を離れ自分を探す旅に出たのであった。
船に揺られていると、段々と統一大陸が近づいてきていた。今までは水平線に薄らと大陸が見えていた程度だが、今では町らしきものも見えるようになっていた。
俺は胸元からプレートを取り出し、もう一度よく観察した。
銀の様な金属は一片の曇りもなく、細かな傷の1つすらない。刻まれた文字も、筆で書かれたかのようで曲線は非常に滑らかだ。
裏を返せば、その中央にはガラスのようなものがはめ込まれている。しかし一般的なガラスと比べ物にならないくらいの透明度であり、まるで何もないかのようである。
またその中には1つの世界が広がっていた。1本の木が世界の中心にそびえ世界を覆うように枝葉を伸ばしている。そしてその木の根、幹、枝葉の頂から、それぞれの大地が広がっている。3つの世界を木が支えているような世界だ。
何度見てもどうやって作ったのか想像がつかない代物だ。これがある程度の大きさのものであれば、木彫りの像に着色をしたと言われれば、すごい技術だと納得しなくもない。しかしプレートに収められた世界は、小指の先ほどの大きさの空間でしかない。しかもその精巧さは現実に在るものを小さくしただけかのようである。
確かにこのような加工が出来る者などそういないであろうし、なかなか見つけることはできないだろう。しかし見つけることができれば、俺を知るための大きな手がかりになるのは間違いないだろう。
俺の旅は困難なものだろう。今でも胸は不安でいっぱいだ。しかし目の前に広がる新しい世界に、気分が高揚しているのもまた確かだった。後1日の船旅で、新天地に降り立つことができる。
落ち着け、と自分に言い聞かせるように大きく呼吸をしながら、大きくなっていく町の姿を見つめていた。旅の鍵となる、銀色にきらめくプレートを握りしめながら。