閑話 サーチと殺と紅美の時間
私には名がない。小さい時から殺人マシンとして育て上げられた私に名前は必要なかった。ただそれだと個体の識別に支障をきたすということで、殺人マシンとしては優秀だった私には殺の呼び名が与えられた。やがてその呼び名が裏社会に知れ渡るようになり、いつの間にか私は「世界一」とも称されるほどのアサシンになっていた。
「……そうなのよ……名声も手に入れた。お金もある。可愛い娘にも恵まれた。なのに……なのに……」
「なんで胸が育たないんだー、でしょ。ほらほら、紅美が起きちゃうわよ」
「あーあー、ごめんなちゃいねー、よしよしだねー」
「……冷酷無比と言われたアサシン殺が、ここまで親バカになるとはね……」
「うっさい。こーいうのはね、産んでみないとわかんないもんなのよ」
相棒の紅娘にだっこされると、不思議と寝ちゃうのよね、この娘。私だとすぐ起きちゃうか泣くか………チキショォォォ!!
「やっぱおっぱいか! おっぱいなのか!」
紅娘のたわわなソレを見やって、私は項垂れるしかなかった。
「それより殺、本部から呼び出しだよ」
「ま、またあ? 最近私ばっかじゃん」
「使える若手が育ってないからねぇ。私も早く引退して、結婚生活を満喫したいんだけどねぇ……」
「……ねえ、紅娘。そのことで話があるんだけど……」
「? 何よ?」
「……私も引退を考えてるんだ。でね、二人で飯店を始めない?」
「は、飯店をかい!? た、確かにあんたなら料理はできるだろうけど」
「紅娘のダンナさんは料理人でしょ? 調理は私とダンナさんとで、経営はあんたが担当で。どうかしら?」
数字に強い紅娘なら、飯店のやりくりは訳ないだろう。
「いいねいいね、その話乗ったよ」
「そう? なら話を進めようよ」
「私が準備をしとくさね。とりあえず殺は依頼をこなしてきなよ」
「うん、わかった!」
……よし、よしよしよし!
早くこの仕事から引退して、紅美と紅娘と、平和に暮らすんだ。ああ、楽しみだ。
……これで胸が膨らんでくれればなぁ……。
「…………」
「ああ、お帰り。見てみなよ、この内装。もうすっかり飯店っぽいだろ?」
「…………」
「あんたが仕事に言ってる間に、内装は工事完了したのさ」
「…………」
「……って、どうしたんだい、殺。まさか仕事失敗したとか?」
「…………紅娘、上の部屋に来て」
「! ……わかった」
上の部屋とは、盗聴を完全に遮断できるように設計された部屋の通称。
つまり、アサシン関係の会話をする部屋なのだ。
「な、何だって……こ、紅美をかい?」
「……ええ。本部が預かって、私と同じようにアサシンとして教育するって……」
「…………そ、そんな馬鹿な話が」
「ロバートがね……『お前らみたいな便利な道具を手放すわけねえだろ!』……って……」
「……要は……私達が逃げないための人質って事かい、紅美は……」
「いえ、紅美のことはもう決定事項だから、一週間以内に引き渡せって……」
「な……」
「ロバートのヤツ……『足枷なんて邪魔なだけだろ?』って……!」
「……あんのクソ野郎……! 殺がどれだけ紅美を可愛がっているか、知っててわざと……!」
「…………もういい」
「シ、殺?」
「……もういい……もう許さない。本部を、組織をぶっ潰す……!」
それを聞いた紅娘は、目を閉じて大きく息を吐いた。
「……そのうちあんたから言い出すんじゃないかと思ってたけど……」
「紅娘は手を出さないで。私一人でやるから」
「手を出すつもりも貸すつもりも無いよ。どうせあんたの事だ、自分に何かあったら紅美を頼むって言うつもりだろ?」
「は? そんなつもりないわよ」
「……ああ、そうだったね。あんたなら「負けるはずがないから、少しの間預かってて」……当たりだったみたいだね」
「ええ。紅美、少しの間待っててね。お母さん、必ず戻ってくるから」
……そして私と紅娘は裏社会からも姿を消した。
「…………」
「ロバート様、申し上げます」
「……何だ?」
「今度はイギリス支部がやられました。ほぼ壊滅状態です」
「ちぃ……! もう残ってるのはこの本部だけじゃねえか! 兵隊どもは何をしてやがる!」
「さ、流石に殺が相手では……」
「喧しい! それより紅娘の方は!?」
「姿を隠した切りです」
「ち……! 折角殺の娘を一流のアサシンに育てようと思ってたのによ!」
「殺の娘ですからね、どれだけの才能を秘めているか……」
「あら、そんな才能、無いほうがマシよ」
ザスッ
「がふっ!?」
「あんたもロバートの秘書なんかしてるから、早死するのよ〜……」
ドシュ! ブシュ
「……っ……」
バタッ
「はーい、ロバート」
「シャ、殺!」
「あんたの手に噛みついた狂犬が、ついにあんたの喉元までやってまいりました〜♪」
「ク……クソが!」
バァン!
「ぐは!」
「動かないでね。動いたら撃つよ〜……ってもう撃ったけど」
「ごふ……! そ、そういうお前も……ま、満身創痍だな!」
「まーね。思いの外恐怖のヤツがネバってくれたから」
「ま、まさか恐怖まで……」
「うん、ぶっ殺したわよ」
私の一言を聞いたロバートは、その場に崩れ落ちた。
「……もう……終わりか」
「そうよ。あんたが私に……私の紅美に手を出そうとした時点で、あんた達の終わりは決まってたのよ」
「……ク、クソクソクソ! クソがぁぁぁ!」
「それが最後の言葉でいいかしら? 冴えない遺言ね……バイバイ」
ダァン!
引き金を引こうとした瞬間、私は背中に熱い衝撃を感じた。
「な………テ、恐怖!?」
そこには銃を握ったまま息絶えている恐怖の姿があった。私に一矢報いるために、わざわざ這ってきたわけ!?
「ふ、ふははは、ふはははははは! 終わりだったのはお前の方だったな、殺! 死ねえ!」
ロバートが銃を取り出し、私に向ける……が。
「……ぐ……」
一瞬早く私の投げた針がロバートの頭蓋を貫通し、決着がついた。
「……お、終わった……」
私は組織に牙を剥いた。
どうせ処断される運命だ。生きるために私は戦った。
いま、組織のトップを殺した。
私は勝った。
だけど。
「……ぐぶ……ゴボッ」
大量の血を吐いた。
……私も致命傷を受けていた。
「……あーあ」
なんて人生なんだろう。
良い様に利用され続けた人生。
最後に反抗してみたけど、結局自由にはなれなかった。
あーあ。
馬鹿みたい。
……ふー。
もう、痛みも感じないなあ。
もう、死ぬんだなあ…。
「……そうだ」
来世。
来世こそは、巨乳になってやる。
ビキニを着て、はしゃぎまわって。
面白い人生を送ってやる。
絶対に。
……絶対に。
「……あはは……さいごの、さいごに、あたまにあるのか、む、むねと……ビキニのことか………ダ、ダメな、ははおやで、ごめんね、こ、こうみ……………っ……」
こうして、殺は死んだ。
「……ホンットに今考えても、ろくな母親じゃないなぁ……ホンニャンに育ててもらって正解だったかも」
「サーチ、飛行機に乗り遅れるよー!」
「あ、はーい」
そして現在。
私と紅美との止まってた時間は、再び動き出した。
明日から新章です。