第8話 魔帝インデッハ
神木教会では樫の木を信仰のシンボルとしている。日差しを浴びて神の力を宿す性質ゆえだ。
首都アートの周囲には樫の木が群生し、結界のごとく森を形成している。
これは他の地域でも同様で、生活圏に樫の木を植樹する風習が存在する。
森林王国と呼ばれる由縁だ。
シネイドと出会った翌日。首都を離れた複数の馬車が行列をなして整備された街道を走行していた。脇を固める騎兵や歩兵と共に行軍する。
いまや都会の喧騒はすっかり失せ、のどかな田園風景が広がっていた。
ブリードは馬車の一つに乗り込んでいる。
ディアリンと揉めた聖騎士団の同僚達――コルムとブレンダン、ショーンも居合わせていた。
「魔族との戦は二年ぶりか」
コルムがポツリと切り出した。
ブレンダンが侮蔑もあらわに吐き捨てる。
「またぞろノコノコ討たれにやってくるとは……懲りん連中だな!」
「彼奴らは瘴門を通って地下世界マグ・メルからこの地上へと進軍してくる。派遣しうる兵数に限りがある関係上、戦力を逐一投入する愚を侵さざるをえん」
「しかも、兵法も糞もないイノシシ共だ。相手取るのは容易い」
席の端に座るブリードの耳に、自然と彼らの会話が入ってくる。それを機に、整理がてら自らの知識をなぞり始めた――
かつて人は唯一神ルーの庇護の下、繁栄を謳歌していた。
しかしそこに一点の影が差す。おぞましき獣が遥かな天空より地上に降り立ったのだ。
ソイツこそが魔族の祖たる魔帝インデッハである。インデッハは地上を思うさま蹂躙した。
その状況を憂えた唯一神ルーは人にインデッハに対抗しうる加護を与えた。
当時の勇敢な戦士達は唯一神ルーに深い祈りを捧げると、インデッハに戦いを挑んでいった。
今も語り継がれる長き戦いの果て、インデッハは深い地の底へと封じられる。
地上が闇夜のごとき絶望に閉ざされようと、太陽はまた昇る。人々は戦勝を――希望を取り戻した事を祝った。その宴は三日三晩に渡って続いたという。
対照的に、インデッハは今もなお天を仰いで呪詛を垂れ流している。
そして散発的に地上へと続く出入り口――瘴門を出現させ、配下を送り込んでくるのだ。マグ・メルから動けぬ自身の代わりに人を滅ぼさせる為に。
――以上が人と魔族を巡る因縁であると、ブリードは簡潔に回想を締めくくった。
「で、でも……噂によれば此度の軍勢を率いているのは魔王だそうじゃないか。だ、大丈夫なのか!?」
不意に、ショーンが怯えた声を上げた。
魔族が出現して半年。すでに何回か王国軍との小競り合いを繰り返しているが、魔族の指揮官はよりにもよって魔王を自称しているらしい。
「ハハッ……魔族ごときに何を臆しておるのだ、小心者め」
ブレンダンがショーンを軽く小突く。
「魔王とは最上級の魔族だ。半年程度で魔王が通れる規模にまで瘴門が拡大するはずもなし。これまで地上に魔王が現れた前例はない。間違いなく、魔王を僭称しておるのだろうさ。こちらが怖気づくのを期待して。丁度、今のお主のようにな」
コルムに諭され、ショーンが俯いてしまう。
周囲にはショーンの弱気をからかう空気が漂っていた。
戦を間近にして弛緩した雰囲気は見過ごせない。ブリードはおもむろに口を開く。
「魔王出現の是非は措くとして……弱腰も問題かもしれんが、慢心もまた毒だ。そんな様子では勝てる戦も勝てなくなるぞ」
「…………」
直後、車内が水を打ったような沈黙に閉ざされる。
こちらとしては窘めたつもりだったのだが、好意的に受け止めてられていない事は周囲の不快そうな表情から容易に察せられた。
「さすが英雄殿はいついかなる時も真摯な心構えを崩さぬご様子ですな。このコルム、いたく感服したしましたぞ。ブリード・『マック』・オディナ殿」
コルムがブリードの名を呼ばう。わざわざ個人名と姓の間に貴族の称号たる『マック』を挟んだのは一種の皮肉だろう。
「それとも貴様は聖騎士でありながら、魔族の肩を持つのか?」
ブリードは決然とコルムの目を見返す。
「私は貴方達の身を案じているつもりだが? 油断できる戦などない」
「大きなお世話だ! せいぜい、戦場で背中からバッサリ斬られんように気をつけねばなァ」
嘲笑したきり、コルムはブリードを無視して仲間達と話し込んでしまう。
ブリードは屈辱のあまり唇を噛んだ。大きな功を打ち立てた今となっても、ディアリン以外の同僚はブリードが魔族の手先として、いつ裏切るやもしれないと疑っているのだ。
一体、いつになれば認めてもらえるのだろう。自分のやっている事は本当に意味があるのだろうか。
徒労感に襲われ、ブリードはわずか目を伏せた。すぐさま頭を振って自らの弱気を恥じる。
聖装を扱う適性を見出され、成人年齢である15歳になったと同時、聖騎士に任命されて早三年。ようやく、忌むべき白の立場が向上するキッカケを作る事ができたのだ。これからではないか。家族もできた。自分の進む道は自分だけのものではない。
その為には今回の戦、絶対に負けられない。ブリードは馬車の正面を見据え、魔族の待ち受ける戦場に思いを馳せた。