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第1話 奴隷

 ダーナ王国の首都アート。街の目抜き通りの一角。聖騎士団長ポーリク・マックールは隙のない足取りで雑踏の中を進んでいた。


 街の警邏は職務外の事だが、王国軍が西部で魔族と戦っているというのに自分だけ安穏と過ごすわけにはいかない。


 行き交う人々はみな唯一神ルーの祝福――日の光を浴びて活気に満ちた表情をしている。


 ポーリクはそんな彼らの姿を見るのが好きだった。両親が早逝し、年の離れた妹とは死別したも同然の自分にとって、人はあまねく家族であるから。


 ――だからこそ、それを乱す行為を決して看過できない。


 向かう先、往来の中央でなにやら騒ぎが起きている。


「この役立たずめ!」


 商人風の出で立ちをした男がうずくまる少年を罵倒し、その背を何度も鞭打っている。


「せっかく買ってやったというのに……まともに荷運びもできんのか、クズが!」


 少年がうめき声を上げながら震えていた。粗末な身なりと首輪から察するに、彼は奴隷であり、男に買い取られたのだろう。


 どのような経緯で少年は奴隷に身をやつしたのか。親の借金の肩代わりをさせられている、あるいは貧しい農村の出身で口減らしの為に売られた――などなど、可能性は色々と考えられるが、想像したくもなかった。


 道端に複数の荷物が散乱していた。あれらは男の荷物であり、少年はそれらを取り落としてしまったのかもしれない。


 そして小間使いとしての不備をああして責められている訳だ。


 そもそもあんな小さな子供に持ち運べるような荷物量ではない。あまりに理不尽な仕打ちだが、社会通念上は別に間違ってはいないのだろう。奴隷とは人ではなく、物なのだから。虫唾の走る話だ。


 わざわざこんな往来で迷惑もかえりみず怒鳴り散らしている点を鑑みると、男は歪んだ自己顕示欲の持ち主であると推察できる。


 ポーリクは駆け寄り、振り上げた男の腕を掴んだ。


「あっ、ぐうぅ……っ!」


 込められた力の強さに、男が鞭を取り落とす。こちらへ振り向いて抗議の声を上げる、

「なにしやが――」

途中で絶句していた。こちらの面と格好を目にしたせいだろう。


 ポーリクは腕を放してやる。


「不当な仕打ちは騎士として見過ごせないな。奴隷は物ではない、人だ」


 いかなる人間も差別されるべきではない。そんな思いを強くして男を諭した。


「へ……へえ、左様でございますか。お、お見苦しいところをお見せして……すみません、でした」


 こちらが聖騎士だと気付いた途端、男が卑屈な笑みを浮かべた。


「すぐに消えますんで、ご勘弁願えないでしょうか――オイ、行くぞ」


 少年を無理矢理立たせ、そそくさと立ち去ろうとする。


「待ちたまえ」


 ポーリクは男を呼び止めた。


「いくらだね?」

「え!?」

「この子をいくらで買ったのかと聞いている」


 しばし戸惑いを見せていた男だったが、ポーリクの視線の圧力に押され、素直に金額を白状した。


 ポーリクは自らの懐を漁りながら、ある決意を固めていた。


 常々、感じていたのだ。人が人の階級を定めるなど間違っている、と。


 人の上に立つべきは唯一神ルーのみだ。


 だというのに貴族は平民を見下し、平民は奴隷を侮る。階級の違う者を同じ人間とすら見做さない。こんな事がまかり通っていいのだろうか。


 しかしポーリクの個人的な思想とは相反し、神木教会の上層部は奴隷制を許容している。曰く、生まれの貴賤は唯一神ルーによって定められたものであり、権威に逆らうのは唯一神ルーに背く行為であるらしい。


 宗教の政治利用もいいところだ。唯一神ルーの教えを拡大解釈しているに過ぎない。


 そうした方が社会が円滑に回るから。この国は貧しい。地方領主は各々好き勝手に振る舞い、保身に終始している。自給自足できるように領民達を土地に縛り付けて農業に従事させている。また、余所者――行商人を除く――の流入を嫌い、高額な通行税を取る制度を作り上げた。狭い世界に閉じこもっていれば、文化や技術、経済が衰退していくのは自明の理だ。当然、領民達の見識も浅くなる。


 かような状況では階級が固定化された社会が望ましいのだ。階級の高い者達は安定した立場に甘え腐っていき、そのシワ寄せは立場の低い者に及んでしまう。


 神の存在を方便として利用し人の尊厳を奪う。ポーリクはそんな現状を許せなかった。神は人の為に存在するのではない。人が神の為に存在するのだ。


 ゆえに日の光の下、胸を張って歩いていける生き方をしなければならない。男に倍の金額を差し出す。


「僕がこの子を買い取ろう」


 男がこちらの提案に驚愕していた。だがさすが商人というべきか、即座に損得を計算するような素振りを見せる。


 しばしの間を空け、首を縦に振った。恭しくお金を受け取る。


「これからはこの方がお前のご主人様だ。よく仕えるのだぞ」


 少年にそう言い残し、足早にこの場を立ち去る。


 ポーリクは少年に向き直った。


 少年が不安そうにこちらを見上げている。


 ポーリクは努めて優しい口調で話しかける。


「まずは君の名前を教えてくれるかな?」

「え、と……その……」

「落ち着いて。ゆっくりで構わないから話してほしい。責めなどしないよ」

「ニール……です」

「ニール君、今日から君は自由だ」


 ポーリクはニールの首輪を外してやる。奴隷を買った者はその奴隷を自由にしてよい――ならば解放するのも自由なはずだ。


 これは自己満足である。少年以外にも虐げられている者は存在する。彼だけを救っても意味がない。


 また、奴隷をただ解放するだけというのも無責任である。彼らには自らの身を処する技術も知識もない。路頭に迷うだけだ。


「そこで提案なのだけれど、僕の屋敷で働く気はないかな?」


 この首都にある別宅にて使用人として雇い、家令に文字の読み書きや計算などを教育させる。


 全ての奴隷を救うには王国全体の土壌を整える必要がある。国を豊かに発展させ、身分に関係なく将来役立つ知識を習得できる学び舎を各地に建設していかねばならない。


 ニールはその為の試金石となってくれるだろう。


 いかに候爵家の人間とはいえ、ポーリクは未だ若輩者だ。国の運営に口を出し、望んだ政策を施行させる為にはもっと功績を上げていかねばならない。


 ポーリクのこれまでの歩みはそこに集約される。


 本当ならば、今すぐにでも救ってあげたい者達が大勢いるというのに。どうしてこの手は地上のすべてどころか、見渡す限りの人間達にさえ届かないのだろうか。己の不甲斐なさに腹が立つ。苛立ちを誤魔化すように右手の親指と中指を擦り合わせた。


 ポーリクはニールの反応を待った。


 やがてニールがポツリと切り出す。


「お願い……しま、す」

「こちらこそ、よろしく頼むよ」


 ポーリクはニールの両肩に手を置いて顔を突き合わせる。


「今まで辛かったろう? でもね、この地上せかいを呪ってはいけないよ。憎むべきは魔族と忌むべき白だけだ」


 魔族やつらは狡猾なのだ。人の胎に魔の種を仕込み、内側から混乱させようとしている。かつて母を惑わせた妹のように。


「これからは夢と希望、未来を信じて日の当たる道を進んでほしい。大丈夫さ、日の光は万人へと平等に降り注ぐのだから」


 ニールがこちらの目を見て、しっかり頷きを返してくれた。


 もし自分の言葉がニールに勇気を与えられているのであれば、これに勝る喜びはない。ポーリクはニールを連れて歩き出す。その胸には確かな充足感が湧いていた。

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