第12話 一対の聖装
エルフの炎が無数に爆ぜ、つんざくような轟音を周囲に響かせる。煙がもうもうと立ち込めていった。
煙が晴れた時、空中にブリードの姿はなかった。
しかし跡形もなく吹き飛んだ訳ではない。
「……簡単に殺されてはいただけませんか」
ミアが見下ろす先、ブリードは大地へと軽やかに降り立つ。ところどころ切り傷や打撲痕、火傷が見られるものの、未だ健在である。
「為す術なし――とでも思ったか?」
左手の剣を見せつけるように差し出す。
破片化していた形態とは打って変わって、いくつもの刃を節で繋いだ鞭状となっていた。
「このベガルタは刀身を分散させるだけが能ではない。私の思うがまま、その形状を変化させるのだ」
攻撃が命中する寸前、ブリードはベガルタの破片を手元に集め、柄を起点に鞭を成した。そして鞭を振るい、地面にその切っ先を楔のごとく打ち込んで、自分自身を牽引した。
からくも脱出したおかげで、いくつかの攻撃を受けてしまったが、戦闘に支障はない。
「貴様の勉強不足とは言わん。この使い方は二年前には習得していなかったものだ。貴様が事前に知る術はなかったろう。どうやら魔族側は敗戦の経験を活かし、私への対策を練ってきたようだな」
「ええ……だからこそ、わたくしがあなたのお相手を務めるに相応しい」
確かに、幻覚で敵を惑わせる力を持ち、飛び道具主体で戦うミアならば二年前のブリードを封殺できたろう。
「それも魔王ブレスとやらの指示か?」
「その通りですわ。現状に甘えず進歩を続ける――ご主人様はそういう御方なのです」
「忌々しい事だ!」
ミアが空を進んでいく。その飛行の過程で像が無数にブレた。
散開してブリードを取り囲んだ。この内のどれかが本物なのだろう。あるいは姿を見えなくして潜んでいるのかもしれない。
ブリードは神経を研ぎ澄ませて黒珠の嵐を掻い潜る。自分の周囲にベガルタの破片を渦巻かせ、モラルタを振るい、黒珠を打ち落としていく。
時折、刃をすり抜ける黒珠があった。実体を持たない幻影だろう。
幻術は厄介だが万能ではない。こちらの視覚を欺瞞できようと、それ以外の感覚は誤魔化せない。
ふと、かたわらの何も存在しない空間から風切り音が聞こえてくる。ブリードはささいな違和感を頼りに不可視の黒珠にさえ反応してのけた。
姿を現した黒珠が地面を転がる。衝撃を与えれば幻術はたちまち解けてしまうらしい。
ブリードは慎重に本物の居場所を見極めながら口を開く。
「進歩、と貴様は言ったな? それは貴様らだけの話ではないぞ!」
上空のミア達からは気配を感じられない。翼をはためかせる音がしなかったり、肌で感じる圧迫感がなかったり――様々な不自然さがある。
(……あそこだな)
それらを総合し――本物がいる方向に見当をつけた。姿こそ見えないものの、確実にいる。
ブリードは再び大きく跳躍した。
ミアを狙う為ではない。こちらの動きを事前に察知された上で回避されればそれまでだし、その後は魔族の集中砲火を受けてしまう。
向かうは直上。空から見下ろすと、魔族が攻撃を撃たんとしているのが目に映った。
――狙い通り。
ブリードはベガルタの破片をモラルタに取り巻かせる。すると、モラルタの纏う聖光が破片に移っていった。
魔族はあずかり知らぬ事だろうが、扱える聖装は一人に一つという原則がある。二つ以上の聖装を同時に扱おうとすれば、身体が耐え切れない。
しかしブリードは例外的に二つの聖装を操っている。それはこの二振りが対となっているからだ。
聖光を帯びて煌く破片が周囲に散らばって展開する。そして聖光を槍と成して眼下へと撃ち出していた。
モラルタは威力に優れるが、射程と手数が足りない。
ベガルタは射程と手数に長けているが、威力が低い。
この二つが合わさった時、真の力が現れる。ベガルタによって増幅された聖光による遠距離攻撃。これも、二年前は身につけていなかったブリードの切り札である。
天より伸びる聖光の柱が地上の魔族を容赦なく貫いた。
炎上した魔族があちこちで悶え苦しんでいる。蜂の巣をつついたような騒ぎとなっており、もはやミアを支援するどころではない。
ブリードはベガルタを鞭状に変化させた。ミア直下の地面に鞭の切っ先を深く食い込ませて自分自身を引っ張る。風を裂いてミアへと突き進んだ。
姿を見せたミアがブリードを近寄らせまいと黒珠を放った。
ブリードは鞭を繰って軌道を変える事で黒珠をかわし、時にモラルタで打ち払った。
身を守る黒珠はもうない。ブリードはミアの胸を貫かんとモラルタを突き出す。
ミアが翼を羽ばたかせ横に逃げた。
惜しくもモラルタの刃が届かない。ブリードは突き刺さるような勢いで着地した。
風に乗って離れぬ内に追撃をかければ間に合うはずだ。すぐさま跳躍せんとする。
「――なッ!?」
不意に異変が巻き起こった。直前まで付近に存在しなかったはずの黒珠がブリードの足元から強襲しつつあったのだ。
ブリードはモラルタで黒珠を弾き飛ばした。駆け出しながらミアに話しかける。
「……なるほど。貴様は他者の影からも珠を生み出す事ができるらしいな?」
先ほどの攻撃はまったく唐突なものだった。あらかじめ生み出しておいた黒珠を忍び寄らせていたのだとしたら、聖装で高められた知覚がその気配を察知していたろう。
つまりブリードの至近――影から発生したものだとしか思えなかった。
「加えて、その場に留まっている対象の影からしか作り出せんのだろう?」
あの瞬間、ブリードは足を止めていた。その隙をついたに違いない。
「ならば常に動き回っていれば恐るるに足りん」
「ご明察です。よもや凌いでしまわれるとは……これはわたくしの切り札だったのですが」
ミアがブリードに拍手を送る。涼しげな表情とは裏腹に、冷汗がひとすじ頬を伝っていた。
「ところで……いつまでもここにいて、よろしいのですか?」
明後日の方角を指差す。
ブリードはそちらを見やり――目を見開いた。
気付かぬ内に王国軍の中央陣と右翼陣が潰走を始めている。
魔族の進撃は留まる事を知らず、逃げ惑う人間達を無慈悲に虐殺していた。