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普段使い慣れた道は、今は違う世界のようだった。
家を出て通りに出るまでの道中は、街灯の明かりしかなく、足下が不安定になってしまう。ちょっとした段差につまづきかけた。
通りに出ると、道は広くなったのに、静けさは増した気がする。
人の気配はなく、今は車も通っていない。点滅の信号と自動販売機が妙に明るく浮き上がっていた。
佳乃は交差点の一角に立ち、四方を見回した。ここから三百メートルほどまっすぐの所にコンビニがあるはずだが、それらしい明かりは見えない。開いていないのだろうか。
「…行ってみよ」
たいした距離ではないし、せっかく出てきたのだから、コンビニまで歩くことにした。
怖さは感じない。むしろ開放的な気分だ。今なら、道の真ん中を歩いていても誰にも見つからない。
(でももし車にぶつかられたら、ひき逃げされちゃうかもね)
そんな風に思ったのは、歩いている途中の電柱に、交通事故の目撃情報を求める看板が立っていたためだ。真夜中に車とバイクが接触したらしい。
自分がそうなったらと想像してみた。
家族はびっくりするだろう。なぜこんな時間にこんな所にいるのか、わけがわからないはずだ。学校でも噂になるかも。尾ひれがついて、夜遊びだとか受験のストレスだとか。美宇は、きっと、とても心配するだろう。
佳乃は考えを振り払うように、再び空を見上げた。目が慣れて、先ほどより星がよく見えるようになっていた。
コンビニは、営業していた。
広い駐車場に、車が二台。一台は入り口のすぐそばに、もう一台は奥まった所に。奥のものは、従業員のものかもしれないと佳乃は思った。
こんな時間にも働いている人がいるということが、意外だった。
コンビニだけでなく、病院やホテルなど、二十四時間稼働している場所があるのは知っている。けれどそれを当然のように思っていて、そのために働いている人達がいることを今初めて実感した。
そんなことを考えながら、ぼうっと見ている佳乃の前で、入り口そばの車がエンジン音を放った。走り出し、佳乃の脇を通り、右折して駐車場を出た。ブゥーンと少々大きな音を立てて走り去っていった。
佳乃はそれをぼうぜんと見送る。
静けさに慣れた耳には、エンジン音は刺激が大きかったらしい。
「びっくりしたあー…」
佳乃が思わずつぶやいた。と、その時、先ほど出た車が、百メートルほど先でUターンするのが見えた。ブォンと音がして、佳乃のいる場へ近づいてくる。そして、コンビニ駐車場の入り口に立つ、佳乃の前で止まった。
ぎくりと心臓がはね、佳乃は半歩後ずさった。
何なのだろう。もしかして、怖い人の車なのかと佳乃は一気に血の気が引いた。
大きなスポーツタイプの車は、大きなエンジン音と相まって、少々ガラの悪い印象を佳乃に与えていた。
運転席の窓が開き、青年が顔をのぞかせた。黄色い短髪で、目は細く鋭い。無表情に佳乃をじっと見て言った。
「あんた、大丈夫か」
は?と佳乃は心中でつぶやく。
何のことだろう。何が大丈夫なんだろう。事態が飲み込めず、口を半開きにして、目の前の青年を眺めることしかできない。
「ごめん、いきなり。びっくりするよね? こんなヤンキーに話しかけられて」
青年の背後、助手席から、女性が半分顔をのぞかせた。やわらかい笑顔は、佳乃を安心させる。彼女は黒くストレートの髪を、肩ほどまでたらしていた。青年より年上のようだ。
「んだよ。オマエが話しかけてみろって言ったんだろが」
「あんたに話しろとは言ってないでしょ。気になるから、戻ってって言っただけで…」
二人は佳乃をおいて、言い合いを始めた。どうやら佳乃に関することのようだが、わけがわからない。
「あの…私が何か?」
佳乃が声をかけると、同時に二人はこちらを振り返った。タイミングと表情が似ていて、佳乃は小さく笑ってしまう。
女性は自分の言動を恥じているのか、照れたように笑うと、言った。
「ごめんね。若い女の子が遅い時間に歩いてるから気になって。本当、余計なお世話だけど…田舎でも最近は物騒だからね」
佳乃はそう言われ、初めて自分の状況を客観的に考えた。
少しだけのつもりで出てきたが、こんな室内着でフラフラしていれば、不審に思われても仕方がないと気付いた。急に自分の格好や行動が恥ずかしくなる。
「すみません…こんな、みっともない…。月と星がきれいで、ちょっと出てみたんですけど」
目を合わせられずぼそぼそ言う佳乃に、女性はほっとしたような明るい表情を見せた。
「そうなんだ。近くの子なんだね。それなら良かった。迷子とかじゃなくて」
「つーかほんと余計だろ。線路に飛び込むんじゃないかとか不吉なことを」
「ばかっ! なんてこと言うのっ」
女性は青年の肩をはたきながら、きつい表情で言った。青年は本気で痛そうにしている。
佳乃は目を丸くする。彼女は本気で佳乃が自殺すると考えたらしい。そう思われるほど、危なっかしく見えたのかと驚くと同時に、見ず知らずの自分を気にかけてくれたことを意外に感じた。




