表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

1話

 もうすぐ陽が落ちて、ようやく一日の仕事が終わる。

 六つの鐘の音が鳴り始めた頃、リフィーは服の裾を繕う手を止めて、窓からの夕日を見上げた。

 外で走り回っていた子供たちが、互いに別れを告げて家へ帰っていく。

 露店を出していた女性たちが次第に店じまいを初めて、天幕を下ろしていた。

 白い石畳が夕日に照らされて、橙へと色を変える。

 窓から差し込む光が、リフィーの金色の髪や碧眼も染めていく。

 外をぼうっと眺めていたら、ドアを開けて中年の女性が部屋に入ってきた。


「リフィーちゃん、そろそろ帰らないと。ライ君が待ってるんじゃないかい?」

「ありがとうございます、マリアさん。もう帰りますね」


 すでに止まっていた手を動かして、糸を切り針を仕舞う。

 凝り固まった背筋を逸らして伸びをすると、リフィーは思い切って立ち上がった。


「今日の分だよ。いつも悪いね。破れた服の繕いなんてやらせちゃってさ」

「いいんです。マリアさんがわざわざ私に頼んで頂けて、助かっているの。ありがとうございました」


 リフィーは小袋に入れた小銭をマリアから受け取りながら、深々と頭を下げた。

 またお願いします。そう言って、家路へと急いだ。




「ライー、ただいま! すぐお夕食を作るから、待っててね」


 勢いよく家のドアを開ける。

 大きくギシリと嫌な音を立てたが、なんとか無事に閉まることができた。

 薄暗い家の中を、テーブルの上に乗った頼りなげな蝋燭が細々と照らしている。


「お帰りなさい、リフィー姉さま」


 古いテーブルの上に小さな手を置いて、ライが座っていた。

 リフィーを待ちくたびれたのだろう。

 いつもは元気よく出迎えるライも、今日は声が力無い。


「今日はお野菜をたくさんいただいたから、暖かいポトフを作るわね」

「ほんと!? 僕、姉さまの作るポトフ大好き!」


 夕食のメニューを伝えた途端、目を輝かせて立ち上がるライに、リフィーは微笑んだ。


「ふふ、すぐできるから、良い子で待ってるのよ」

「はーい!」


 元気よく返事をしたライの頭を撫で、リフィーは台所へと体を向けた。




 ベッドで眠るライの傍らに座り、リフィーは窓から見える夜空を見上げた。

 粗末なベッドに、薄いぼろきれを何枚も重ねた掛布を首まで掛けて眠るライは、穏やかな寝息を立てている。

 床下に隠したお金は、あと数日したらなくなるだろう。

 何かあったときのためにと、亡き母から譲り受けたペンダントは、ずっと前に行商に来ていた旅人に売り渡してしまった。

 それも家や生活に必要な家具を買うのに使い、残りはライの毎日の食費に消えていく。

 自分の両手を見下ろす。

 昔とは比べものにならないほど、傷だらけになっている。

 昔のリフィーが今のリフィーの姿を見たら、卒倒するのではないだろうか。

 夜空を見上げていた視線を下ろして、リフィーは自嘲した。

 豪奢な屋敷は、すべてが一つの部屋におさまっている小屋に。

 たくさんの綺麗なドレスは、流行を過ぎた使い古しのワンピース。もちろん宝石なんてない。

 柔らかなベッドは、固い木に布を布いたただの板。

 がむしゃらに働かなければ今日食べるものもない。

 そんな生活を送っている未来なんて、どうして予想できただろうか?

 母も父もいなくなり、親類は皆リフィーから遠ざかって行った。

 遺産は没収され、残っていたのはライと自分の身一つ。

 不安げな目でリフィーを見上げるライを、ただ抱きしめることしかできなかった。


「姉さま……」

「……ん?」


 ライが薄く目を開けて、リフィーを見る。

 目が覚めてしまったのだろうか。

 リフィーは優しくライの胸をとんとんと叩いた。


「明日は早く帰ってきてね……」


 それだけ言うと、すうすうと寝息を立てて、ライは眠りについた。

 胸を叩く手を止め、リフィーはライの寝顔を眺める。

 利発な子だ。

 将来が約束されていたはずの子。こんなところで寝なければならない子のはずがない。

 リフィーは伸ばしていた指を握り込み、強く目を瞑る。

 悔しかった。

 何がいけなかったのだろう。何があったのだろう。

 リフィーの瞼の裏には、城の窓から見下ろす少女の姿が焼き付いていた。








「シナリオが始まっちゃう前に、あんたを潰しておけば……私は死ななくて済むのよ。悪く思わないでね」








 声は聞こえなかった。

 何か呟いていたのは、口の動きで分かったけれど、リフィーは首を傾げてそのまま城内から立ち去ったのだ。

 父に付いて城に行ってから数日後、父は身に覚えのない罪で投獄された。

 父は最期まで抵抗していたけれど、数々の汚職が明るみに出てきて、領地の民からも非難された。

 豊かな領地だった。

 貧しい民などいない理想郷を作り上げることができたと、父が日ごろから自慢していた領地は、すぐに王家に没収された。

 その数日後に、父は処刑。

 公開で行われたそれは、信頼していた民から罵倒されながら、無数の剣で突き刺される残酷なものだった。


「決して、お父様を恨んではなりませんよ」


 リフィーの母は、父が処刑されてからすぐに病に倒れ、残されるリフィーとライを案じる。

 ペンダントをリフィーに託すと、母は喋る体力を失った。

 何もない部屋で、治療してくれる医師もなく、母はリフィーとライに見守られながら寂しく亡くなったのだった。


 それからは、坂道を転がり落ちるかのように、リフィーとライは落ちぶれていった。

 誰からも手を差し伸べられることなどなく、逃げるようにして領地から旅立つ。

 国境を超えるのにも、平民では多額の金が必要になる。

 貴族の位をはく奪された身では、特権も使えない。

 馬車を乗り継ぎ、リフィーとライが辿り着いたのは、王都の程近くにあるスラム街だった。

 皮肉なことに、貴族が住む街のすぐ近くだ。

 ただし、間には見上げるほどに高く分厚い壁が建っている。貴族以外が中に入ることは決してできない、閉ざされた空間。

 逆に、スラム街に貴族が入ってくることもできない。

 完全に途絶された街だった。




「リフィーちゃん、読み書きができるって聞いたけど、本当かい?」


 リフィーがマリアの家の裏で芋の皮むきをしていると、マリアが追加の芋の入った籠を持って勝手口から顔を出した。

 山となっている芋の横によっこいしょと籠を下ろすと、リフィーに話しかけてくる。


「得意というわけではありませんが、一通りは」

「いまどきスラムや平民街に住む若い娘にしてみれば、大したもんだよ。ちょっと頼まれてくれないかい? 勿論、給金は出すからさ」


 マリアは笑いながらリフィーの背中を軽く叩く。

 芋の皮をむいていた手を止め、リフィーはきょとんとマリアの顔を見た。


「読み書きのお仕事でしょうか……?」

「そうさ。代筆をしてほしいんだよ。ちょうど旦那が行商から帰ってきてね。手紙を大量にしたためなくてはいけないんだけどさ、手が足りなくてね」

「そんな大事なお仕事、私には」


 マリアの夫は、世界中を飛び回る豪商だ。

 平民街にこの大きな屋敷を建て、毎日忙しく働いている。

 夫妻は大らかな人柄で、よくスラムに住む子供の働き口を世話してやっていた。

 リフィーもその好意に甘えて、こうしてよく雑用を手伝っている。

 繕い物や皮むき程度とは言い難い、思いがけない話に、リフィーは困惑した。


「どんな仕事にも一生懸命なリフィーちゃんだから、頼むんだよ。使える手は多い方が良いからね。この仕事が上手くいけば、もっと給金の良い働き口を紹介してやれる。悪い話じゃないと思うよ」

「マリアさん……」


 失敗すれば、もうこんな風に信頼を寄せてくれることなどなくなるだろう。

 けれど、上手くいけば、もっとライに楽をさせてやれるかもしれない。

 リフィーはライの顔を思い浮かべ、頷いていた。







リフィー

金髪碧眼の元お嬢様。料理の腕はほどほどに上がっている。裁縫は淑女の嗜み。


ライ

金髪碧眼の元お坊ちゃま。まだ幼い。普段は家で内職をしている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ