第一章終局 思う心は我にあり
私はあいつらを許さない。殺したあいつらを。憎い、憎い、憎い。どうして私がこんなに苦しまなければならない?
絶対に許さないそう決めたんだ。
私はパーカーのフードを深くかぶり、最後の標的となる炭村康介を今から殺しに行く。もうすでに携帯で呼び出している。あとはじっくり、嬲り殺すだけ。すべてのことの懺悔させて、後悔させてあとは惨めに死ね。
「ははは」
思わず笑みがこぼれてしまった。いけないいけない。ついに終わると思うと笑えずにはいられない。
さぁ行こう。
私は炭村康介が自宅マンションから出てきたのを確認して後を追う。あの憎たらしい天然パーマは間違いようがない。
何度も何度も殴り、蹴り、罵詈雑言を浴びせられて嘲笑られて。
いくらなんでもこの思いは払拭できない。二年間この煮え切らない思いをずっと腹の底に抱えて生きてきた。
何もかもあいつらのせいだ。
炭村康介は港の倉庫に着いて、周りをきょろきょろと見渡している。まったくバカな奴だ。今すぐ殺してやる。
「久し振り」
私がにっこりと微笑み殺してやっ――
「そこまでよ」
誰だ私の邪魔するのは?
*****
響子さんは犯人の行動を止めた。腕を組み、呆れた表情をしながら。
響子さんの放ったその一言は足枷となり、犯人の動きを制限した。
俺は見ていることしかできない。ここはすべて彼女に任せておく。俺の出番は必ず来る、それまでは耐えるのだ。響子さんを危険に晒すのを。
「誰?」
「あら、自己紹介はしたはずよ? これだけの判断材料、動かぬ証拠。貴方が犯人だったのね……」
手を上げ、犯人に指をさす。
「野中雅美さん」
そう、彼女が導き出した答えは野中雅美さんだった。
「どうしてばれたの?」
「隠された一文。と言えば解るかしら?」
「なるほど。やっぱり探偵さんって頭が良いのね。ふふ、まずは貴方から殺してあげる!!」
野中さんの影から出てきたのは一匹の獅子だった。その爪が響子さんを引き裂こうとしている。
「さっさと助けなさい。助手くん」
俺は獅子の爪を腕で受け止め、必死に持ちこたえる。
「貴方、変装してたの?」
俺は響子さんの作戦により変装していた。その作戦は炭村さんに変装し犯人をおびき出すという単純なものだった。
服は借り物だし、かつらもかぶっている。そしてこの作戦が一番危険なのは響子さんを一人で犯人と対峙させることだ。
「その獅子は憑神と呼ばれる悪霊。貴方はその獅子のおかげで犯行を行っていたんでしょ。憑神は古来より、人の悪を加速させる。それを憑かれると人に戻れないわよ」
野中さんはニヤリと笑い、俺たちにこう言い放った。
「私は人じゃなくていい。あいつらを殺せるなら」
「貴方は鬼になったのね。殺人鬼という名の鬼に。ならば、貴方を倒します。織神の名にかけて」
響子さんがそう言うと同時に俺は獅子の顔を思い切り、ぶん殴った。
「響子さん。下がってろ」
「任せるわよ。助手くん」
俺は自分の影から日本刀を取り出し、ゆっくりと鞘からその美しい刀身を抜く。
「行くぞ。獅子野郎」
「グルルル!」
駆け出したのは同時。獅子は地面が砕けるほどに踏み込み、一瞬で距離を詰めた。そしてその凶暴な爪で俺を引き裂こうとしていた。
攻撃の軌道を読み切り、体を低くして躱す。髪の毛が擦れるがこちら近づかないと攻撃が出来ない。幸い、あちらも同じ条件なので自分から近づかずに済む。
刀を逆手に持ち、空振りした腕を切り裂く。思いのほか皮膚が厚く、深くまでは切れなかったものの切り傷から黒い煙が噴き出る。
これが憑神の血、みたいなものだ。
俺はもう一度、刀を握り直し振り上げる。しかし今度は俺が攻撃を外されてしまい隙ができる。
この隙を突かれたくはなかったが、獅子はその丸太のような太い腕と、鉄すら容易く切り裂いてしまいそうな爪を俺の腹に当てる。
俺は倉庫から飛び出て、コンクリートの地面にもろにぶつかってしまった。
「いって……」
ぼやぼやしている時間ない。あの凄まじい跳躍力で距離を詰められる。そう思っていた。
だが実際はそうじゃなかった。俺は忘れていたんだ。死体は内臓がぐちゃぐちゃで死んでいたことを。
――咆哮。
その刹那、俺の目の前が爆発で覆いつくされてしまった。俺はその爆風と直撃のせいでさらに吹き飛んでしまった。これがあいつの殺人能力。
侮れない敵だ。だが、勝てない敵ではない。
俺は何度がこんな化け物と戦ってきたが、この獅子より強い奴はいた。その方がよっぽど痛かったし、強かった。
「くそ……」
衝撃は凄まじく、息がまともにできない。というか皮膚が焼けてしまっている。これは再生まで時間がかかる。
「グガァァァァ!!」
またしても咆哮。それも先ほどより大きい。
激痛でかえって目が覚めてしまうが、意識がはっきりとしない。だがあの一回であの爆発の軌道は読めた。
俺は命からがらその軌道から外れる。この爆発は獅子の正面にしか発生しない。そう分かりきってしまえば避けることは不可能ではない。
そしてもう一つ分かったことがある。咆哮の間、獅子の動きが完全に止まるのだ。接近戦を繰り広げても勝てる見込みは少ない。かと言って爆発する前に走ったとしても勝算は無いに等しい。
いつもこんな感じの勝負だ。
こんなんじゃあいくら命があっても足りないな。
勝負は本の一瞬の隙だ。狙うには僅か過ぎる隙。俺は弱いからこんな戦いしか出来ない。全く損な戦い方だ。
獅子は吼える準備をしている。今しかない!
「うおぉぉぉぉッ!!」
吼えたと同時に俺は可能な限り、全力で加速した。後ろと前で爆発が起きるが、恐怖して動きを遅くすると死ぬ。
行け!
俺は駆け抜けるように頭から尻尾まで一閃。獅子は黒い煙を激しく放出する。
「これで、終わりだな」
俺は膝をついて今行った行為を馬鹿だなと思いながらも圧倒的な疲労感を覚えている。今はすぐに立ち上がれそうにない。
「これで貴方の計画が崩れた。もうお終いね。何もかも」
響子さんが俺の戦いが終わった所を見計らって、同じく戦いの行く末を見ていた野中さんにそう言った。
「終わりなんかじゃない。終わりじゃない!!」
そう言って野中さんは獅子のもとに駆け寄る。すると獅子は黒い煙となり、彼女の口から体に侵入して体内から浸食した。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
苦しみ、もがくが彼女はだんたんと人間ではなくなる。
「助手くん止めて!!」
響子さんが叫ぶ前にもう行動はしていた。野中さんの左手が爪に変わるまでには何とかしたかったが彼女は獅子にいや、憑神に憑かれてしまった。
俺は迷いながらも野中さんに刃を突き刺そうとするが、彼女の変化した爪で防がれ、爆発で俺を吹き飛ばす。
「もう、馬鹿ね。油断なんてするから。あの状態にあると助手くんじゃ勝てないわ。あれをやるわよ」
「あれを、やるのか!?」
「ええ、じゃないと勝てないわ」
響子さんは俺の傍に着て膝を曲げて肘をつきながらそう言った。
「分かった。これだけは言う。死ぬなよ」
「死なないわ。だって私、貴方より強いのよ」
彼女は笑って俺に鞘を差し出す。
「ねぇ、なんで邪魔するの? 私は秋の想いを汲み取ってやっているのよ! 言わば善の行い。探偵さん、貴方の行いは偽善よ!」
日差しがそろそろ赤くなり、夕日に変わる。カモメたちが一斉に飛び立ち、空が騒がしくなる。それと異なり、野中さんと響子さんの間には妙な静けさがある。
刻一刻と日は沈む。
「貴方にまだ自我があるなら聞くわ。貴方には『善』と『偽善』の区別がつくの? 私には分からないわ。だから私が行っている行為は全て善なのよ! そして貴方が行っているのは紛れもなく、悪!」
なんて言い分だ。実に彼女らしい真っ直ぐな言葉だ。
「グアァァァァァァァ!」
野中さんにはもう自我はない。
「行くわよ」
「あぁ、終わらせよう」
俺は鞘に刀を戻し、響子さんに渡す。俺の体は黒い煙に変わり、刀に吸収されていく。
その黒い煙は響子さんの体を纏うように覆い、黒い衣となりその身を守る。
俺と憑神は同族の力だ。彼女を守る盾となり、敵を切り裂く刀となる。これは憑くということのもう一つの可能性。
これに勝てば事件が終わる。
「ちょっと、思考がダダ漏れよ」
すまん。
一羽の場違いなカモメが飛び立つと、響子さんは駆け出す。野中さんの爪から獅子の咆哮が聞こえる。あの爆発が来る。
俺があれほど躱すのに苦労したのにも関わらず、響子さんは軽々と爆発を完璧に見切り、飛翔。
「アァァァァァァァ!!」
野中さんは空中にも爆発の包囲網を敷くが、響子さんの華麗は程の身のこなしで爆発には巻き込まれない。
そして――
響子さんは着地すると同時に刀を引き抜き、彼女は野中さんの左脇腹を切り裂いていた。
「憑神を斬る。それが私の使命なのよ。こんなところで負けられないわ」
「ぐぅぅぅぅぅ、どうして……? 許さない。許さない!」
野中さんはそれからも何かを言っているが何を言っているか分からない。
そして響子さんは憑神化を解くが、ふらりとよろけてしまう。
「大丈夫か!?」
「ええ、大丈夫。ちょっと疲れただけよ」
俺は支えるが、かなり疲労しているのが分かる。
「ありがとう。准兵」
彼女はふふっと慎ましく笑みを浮かべる。響子さんはお礼を言うとき、必ず助手くんとは呼ばず名前で呼ぶ。
それに俺は不意を突かれてドキッとしてしまう。
「さぁ電話をしましょう」
響子さんが携帯を取り出し、電話する。
「終わったわ。ええ、頼むわよ」
電話を切ると、野中さんの後ろに棺桶を背負い、黒いコートを着てハットをかぶっている長身痩躯の男がいた。
いつ見ても心臓に悪い。
「いやいや、今回の事件解決おめでとうございます。織神嬢。ささやかながら敬意を表します」
ぺこりと頭を下げて、では。と言って棺桶を地面に突き刺す。
「罪人を捕えよ。叶風」
鎖で縛られていた棺桶が開き、暗黒の中から鎖が飛び出し、野中さんを捕えて棺桶に引きずり込まれた。
「私はこれで」
彼は執行人と呼ばれる憑神を捕え、罰を与える特別な組織の人間だ。俺も響子さんも名前を知らない。まだまだ不思議な人物だ。
「さぁ、帰るわよ。シャワーも浴びたいし、おなかも減ったし」
「じゃあ今日は好きなもの作ってやるよ」
「あら嬉しい。なら、卵焼きが良いわ!」
「昨日も食べたろ?」
「良いじゃない別に、好きなんだから。男に二言はないんでしょ?」
「分かったよ。さっさと帰ろう」
「ええ」
夕日とともに俺たちは港から姿を消し、帰路へと着いた。薄ら薄ら周りが暗くなっており、街灯が点く。
その街灯はいつもより、ほんの少しだけ綺麗に見えた。
終局と書いていますが後日談を書きます。
色々とそこで説明します