第四話 真相①
目の前で何度か見た死体。だが昨日見た死体は今までとは一線が違った。思い出したくもないが、脳裏から離れず、振り切ってもきりがない。
空を見上げると空は既に泣き出しそうだった。雨が降らないことを祈りながらも自転車を漕ぐスピードを速める。
今日の朝、響子さんから珍しく電話がかかってきた。どうやら彼女は昨日会えなかった前川さんと事務所近くの喫茶店で待ち合わせをしているとのこと。
これで事件の真相に近づけるかもしれない。
そうこうしているうちに俺は事務所に着いた。
「おはよう、響子さん」
「おはよう助手くん。今日はいつもより早いわね? どうしたの?」
「いやいや、今日は約束の日なんだろいつもより早く来て悪くないだろ」
あぁっと思い出したかのようにそうだった。と言って自分で淹れただろうと思われるコーヒーを一口飲んだ。
自分で淹れた? ダメなんだ。何故なら彼女が作ったものは――
「う!? なにこれ……不味い」
平たく言うなら彼女は料理が下手なのだ。それだけじゃない、掃除もできず、なんと言っても本と事件以外に興味がないので部屋が汚かろうが関係ないのだ。
「助手くん淹れて」
「はぁ、分かった。ちょっと待ってろ」
俺は急いでコーヒーを作り直してやる。彼女は頭こそは良いが少し抜けているところもある。それも魅力と言ってしまえばそうなるかもしれないが、彼女の数少ない欠点だ。
「約束の時間は十時。それまではゆっくりとしていましょ」
ゆっくりって……
俺は作り直したコーヒーを淹れ、響子さんに出す。彼女は待ってましたと言わんばかりに、それを飲む。
「やっぱり美味しいわ。助手くんの珈琲って」
「どうも」
それよりと俺は昨日の事件のことついて話を切り出した。
「で、結局何か分かったのか?」
「結局分からずじまいよ。目星はついてるんだけど……確信をどうも得られなくてね」
「目星がついてるのか!? 一体誰なんだ?」
「だから、確信がないって言ったでしょ? 教えられないわ」
彼女はそう言って見を終わった本を本棚に戻し、別の本に手を伸ばした。
本を楽しそうに読みながら、俺が朝ごはんを作るのを待っている。きっとこれ以上は本当に教えてはくれないだろう。
きっと響子さんには響子さんなりの考えがあって、それに従って動いているんだ。自分を突き通す性格だから無理もないか。
俺は彼女から犯人を教えてもらえる機会を先延ばしにして、響子さんが好きな卵焼きを作ってあげようと思っていた。
響子さんには色々とやるべきことがたくさんある。俺の仕事は彼女のささやかなサポートをしてやることだ。
なら、彼女の望むべきことをしてやるべきだ。それが俺にできることだ。
響子さんは俺に出来ないことをして、俺は響子さんが出来ないことをする。そうやって今まで事件を解決してきた。それはこれからも変わらない。
普段は我が強くて、いつも一言多い彼女だけど感謝している。そう、仕切れないほどの感謝をしている。
俺自身、彼女に命を助けてもらった身だ。その恩返しとなっては何だが今こうして響子さんと一緒に探偵をやっている。
俺は彼女との出会いで大きく運命が変わった。何の変哲もない人生から、いきなり、激しくうねりをあげて変化した。
その結果、モノクロの世界が色づき始めた。生きている理由があるなら、俺の生きている理由は響子さんの力になってやることで違いはない。
もう決めたんだ。あの暑かった最後の高校三年の夏に。
俺は俺の運命から逃げないって。
「なによ、助手くん。にやけて、ちょっと気持ち悪いわよ」
「いや、別に」
「今日の助手くん何か変ね……」
彼女はじっと俺のことを怪しがる目線でずっと見ている。
どうのこうのしているうちに、彼女が好きな卵焼きが出来た。
「ほら、出来たぞ」
「あら、卵焼きじゃない。滅多に作ってくれないのにどうして? やっぱり変だわ」
首を傾げながら、俺のことを見つめる。
「いいから、早く食えよ」
「はーい」
いただきますと二人で言って、朝ごはんを食べ始める。すると泣き出しそうな空がついに泣き出してしまった。
「雨ね。私意外と雨は好きよ。助手くんは?」
「雨か……俺は好きじゃないな。自転車に乗れば濡れるし、傘をささなくちゃいかないからな。響子さんはなんで雨が好きなんだ?」
「外に出なくて済むから」
はっきりと言った。晴れている日でさえも事件の時以外、外に出ることがないのに。
「え?」
「嘘よ。もっと乙女らしい理由があるの。晴れた日は嫌のことを思い出すから嫌い。雨はそのすべてを洗い流してくれるから好きなのよ」
その理由が乙女らしいのかが分からないが、れっきとした理由があるみたいだったからよかった。
響子さんの目が憂いに満ちている気がする。雨を見ながら、きっと何かを思い出しているんだ。
「なぁ、なんかあっ――」
俺の言葉を遮るように響子さんの携帯が鳴る。それは同時に楽しい日常の終わりを告げた。
「もしもし、織神です。あれ、早苗さん。どうしたの? え? 事件にかかわること?」
早苗さんから教えてもらったことはこうだ。
数日前から炭村さんに付きまとっている季節外れのパーカーを着ている奴がいるそうだ。これが事件にどう関わってくるかどうかわからないが、そのせいで炭村さんは心を病んでいた。
俺にはただのストーカー事件としか考えられない。
「響子さん、これ事件に関わりがあるのか?」
「まだ分からないわ。でもきっと無駄ではない気がするのよ」
探偵事務所の唯一の机の上に置いてある電子時計の時間を確認すると、約束の時間が迫っていた。
「この話は後。喫茶店に行くわよ」
「おっとそうだな。もう行かないとな。でも俺、今日傘持ってきてないぞ?」
「もう、しょうがないわね」
響子さんと俺は同じ小さな傘に二人、肩を寄せ合いながら入っている。
「もうちょっと寄らないと濡れるわよ?」
寄りたくないのではない。寄れないのだ。寄れば必ず勘違いされるし、もしかしたら相合い傘をしている時点で既に仲睦まじいカップルと思われているのかもしれない。
そしてこんな美人と一緒にいて鼓動が速くならない訳がない。
「しょうがないわね。ほら」
彼女から肩を寄せてきたではないか。
「貴方が濡れて風邪をひいたら、誰が代わりにご飯を作るのよ。しっかりして頂戴ね」
五分も歩かないうちに喫茶店に着いてしまった。
中に入り、一人で窓側に座っている女性に話しかける。
「失礼ですが、前川由美さんでいらっしゃいますでしょうか?」
「ええ、前川ですが……」
「良かった。私、織神探偵事務所の織神響子と申します。こちらが助手を務めれております香澄准兵くんです」
「え!? はい、初めまして! 前川由美と申します。どうぞ座ってください」
「では失礼します」
お互いに飲み物を注文し、話し始める。
「いや、びっくりしましたよ。まさか探偵さんがこんなに美人な人だったなんて。それに私に聞きたいことってなんですか?」
「ええ、四肢がない殺人事件のついてなのですが、榎秋さんとは仲が良かったと、斉木校長先生にお伺いしていましたが、間違いありませんね?」
「? はい。仲は良かったですよ。それがなにか関係しているんですか?」
「あの事件が……榎秋さんが自殺した事件が関わっているんです。少しでも良いので榎秋さんのことを聞かせてはいただけますか? 野中雅美さんとは仲が良かったそうですが」
注文したメロンソーダとコーヒーが二つウェイトレスによって運ばれてきた。
「メロンソーダを飲んでから話しても?」
前川さんがえへへと微笑みながらそう言った。喉が渇いているんだろう。
「どうぞ。私たちにお構いなく」
響子さんもにっこりと微笑み返した。
前川さんは半分ほど飲んでしまってから話を再開した。
「あの四人と仲が良かったのは秋ちゃんだけじゃなく、雅美ちゃんも仲が良かったんですよ。でも喧嘩して……あんなことに」
そうだ。そう言って前川さんは何かを思い出した。
「暗号! いじめられてた頃からあの二人で手紙を渡しあっていたんです。私も暗号の秘密を教えてもらって……確か、隠された一文だったかな?」
「隠された一文……?」
俺がそう聞き返す。
「すいません。そのくらいしか分からないです。記憶力に自信がなくて」
「いえ、そんなことは」
そして黙って何かを考えていた響子さんが立ち上がった。
「そういうことだったのね! 助手くん! 犯人が分かったわ。貴方だったのね幽霊の正体。さぁ、貴方の悪事を止めさせてもらうわ!!」
店内のすべての人が響子さんに注目しているが、本人は気にしていない。俺の耳には暫く響子さんの言葉が耳に残っていた。
いよいよ、事件が佳境に向かっています