第一話 日常①
私は自宅である探偵事務所で目を醒ます。朝の日差しが気持ちよくてもう少し寝ていたい気持ちを堪えて、体から眠気を取る。
欠伸が出て、脳に酸素を供給させる。視界良好、気分爽快、意気揚々、気合十分。
あの武士の憑神と対峙して、もう一ヶ月近くが経とうとしていた。助手くんは、退院して八色さんと一緒にきっと今日も修行に励んでいることに違いないわ。
ほとんど、彼とは会わなくなった。だけど人知れず事務に来ては朝ごはんを作っていき、丁寧に書置きも置いて行っている。
変なところで律儀なのよね。
私はカーテンを開けて、車通りが多い交差点を見ていた。
ここからだと桐之山が見える。山は既に秋特有の綺麗な赤と黄色のグラデーションの紅葉に染まっていた。
季節はもう完全に私が好きな秋になっていた。皆上着を着て、心なしかカップルが増えている気がする。食欲の秋、読書の秋、運動の秋と言うならきっと彼らは恋愛の秋だろう。私は専ら読書の秋なんだけど……
今年は違う。
起きてから間もない頃、携帯電話にメールが一件だけ入っている。きっと差出人は結だ。
私はメールの中身を確認する。
「今日、バイトだから忘れないで、時間通りに来てね」
分かってるわよもう。
そう、私の今年の秋はバイトの秋だ。
きっかけは二週間前に遡る。
私は彼女に頼みごとがあると言われて、この町で唯一のメイド喫茶に連れてこられて、そうしたらいきなり結は「ここで一緒にバイトして」と言ってきた。当然断るつもりだった。
けど、メイドさんたちが集まって来て、断れない雰囲気を作り始めたが最後だったわ。
渋々その頼みを承諾した。
最初は着るのは好きじゃなかったメイド服も、ぎこちなかった接待や仕事も徐々に慣れてきて、お店の先輩方とも仲良くなった。
そしてここ最近、働いた後に疲労感を覚えるのは勿論、不思議な達成感と爽快感を覚え始めた。私、仕事にやられ始めたのかしら?
私は魔性のベッドから飛び出て、布団の魔力を振り払った。髪の寝癖を気にしながらお風呂場に向かう。シャワーを浴び、助手くんが作った朝食を食べ、仕事に向かう。
今日は夕方までの勤務。それは嬉しいのだけれど、今日は休日。沢山のお客さんが来る。私は気合を入れ、事務所に鍵をして仕事場に歩いて向かう。
ここから仕事場は遠くはないけど近くもない。歩くのはとてもじゃないけど好きになれなかったが、バイトをして歩き始めると何故だか歩くのが楽しくなっていた。
十分程度歩くと私の仕事場、メイド喫茶「シャノン」がある。この名前だけはセンスがあると思う。
「おはようございます」
私が職員用の入り口から入ると、そこには一足先に来ていた結がもうメイド服に着替えていた。
「あっ、おはよう響子。寝坊しなかった?」
「寝坊したら、ここにいないでしょうに」
「あたしの愛の籠ったメールが良かったんだね!」
結は屈託のない無邪気な笑顔を私に向ける。
「はいはい、そうよ。結のメールのおかげよ」
私が面倒くさそうに適当にあしらうと、彼女は可愛らしく「簡単にあしらわないでよ」と怒ってきた。今日の結はいつにもなく元気。
だけど、開店前からこんな元気で持つの? っと疑問が湧いたが、彼女なら大丈夫かと自分自身を納得させた。
「うふふ。二人とも元気そうね」
笑いながら声をかけてくれたのは、このメイド喫茶で一番人気の木山夏帆さん。
その上品な立ち振る舞いと愛嬌のある笑顔。メイド服もよく似合っている。この喫茶ではお嬢様天然キャラで売っているが、お嬢様は違えど、天然は素なのよ。
キャラを超えた先の仕草は間違いなく、ここに来ている男性客の多くを虜にしていることに違いないわ。
「おはようございます、夏帆さん」
「今日も上品ね織神ちゃんって。私も見習いたいくらいだわ」
挨拶をそこそこにして私もメイド服に着替え、フロアの掃除に向かう。
そこにはもう一人の先輩、静美玲さんが箒で掃除をしていた。
「おはようございます、静さん」
「あぁ、おはよう」
彼女は鋭い目つきと、愛想のない笑顔や返事をする。これが言わば彼女の商売道具のようなものでそれを売りにしている。
彼女の冷たい態度や罵られたい男性が非常に多いのは謎だ。私には永遠に理解できない。
フロアの掃除の手伝いをして、いつなんどきでも人が入っても良いようにテーブルなどをセッティングした。
開店一分前。総勢六人のメイドがお客さんが来るのを待っている。ここは小さなお店なのでこの人数で足りる。
そして何事もなく開店し、お昼になるにつれてお客さんが増えていく。お客さんが入るたびにお帰りなさいませ。ご主人様と言わないといけないのはまだ慣れない。
そしてまた一人、お客さんが入ってきた。
「お帰りなさいませ。ご主人――」
私は固まった。
「おっ! いたいた、久し振り響子さん」
入ってきたお客さんはまさかの助手くんだった。
「助手くん!?」
私は驚きは隠せなかった。彼は普通に席に座り、私を指名する。このお店はあだ名と指名制で彼は私のあだ名「おりにゃん」まで知っている。
「なんで貴方が来るのよ」
「なんだ、悪いのか? でも似合ってるぜ、そのメイド服」
私はメイド服を見られた恥ずかしさと、久し振りに会った嬉しさを隠すためにメニュー表で助手くんの頭を殴る。
「いって! 響子さん、客を殴ってどうするんだよ!?」
「そんなことより、なんで貴方は私のバイト先。ううん、なんでこの店とあだ名を知ってるのよ!」
「そりゃあ……三部が教えてくれたから」
あの子か。私は彼女の勝手な行動に頭を悩ませていた。
いつもいつも彼女は私の予想を見事に上回るだけではなく、必ず悪い意味でも良い意味でも裏切る。
「で、ご主人様。ご注文は何にいたしますか?」
私は精一杯の笑顔でそう言った。
「なんだよその誠意の籠ってない注文の取り方」
「これでも十分に誠意を籠めてるわよ。貴方にはこれ以上になくね」
「ふーん。じゃあ、この萌え萌え胸キュン愛情たっぷりオムライスを」
助手くんは何の恥ずかしげもなく、私が一番言いたくない料理名を頼んだ。きっとこれも結が教えたことだわ。
目に浮かぶ、彼女がニヤニヤしながら私たちのやりとりを見ているのを。
「ご注文を確認します。萌え萌えむ、ね、キュン愛……言えるわけないじゃない、こんな恥ずかしい料理名! もう、オムライスを持ってくるわよ!」
私は顔から火が出るほどの恥ずかしさを隠しながら、結に対する怒りを織り交ぜた独特な感情を持ち合わせながら注文を厨房に言う。
料理が出来上がり、ご主人様のもとへと運ぶ。
「はい、これ。貴方が好きなオムライス」
「どうも。アレしてくれないの? 魔法の呪文」
てっきり忘れていた。私が一番嫌いな事。もっとも慣れないこと。
それは言うまでもなく魔法の呪文という恥ずかしいことこの上ない呪文を言わなければならない。私にとって苦行他ならない。
「……おりにゃんの愛情、たっぷりと召し上がれ……萌え萌えにゃんにゃん。キュンキュンドリーム……」
私は思いっ切り、健康に悪くなりそうなほどケチャップをかける。
「おい、これかけすぎじゃないのか!? 一本使いきっちまったぞ」
これはもうオムライスと言うより、噴火した火山に似ている。ドロドロとしたケチャップ、本来ならハートを書くはずだったけど、私のハートはあまりにも歪で、かけた私ですら、とてもじゃないがハートには見えない。
「どうぞ。召し上がれ」
私は顔を真っ赤にして助手くんの目の前に座った。メニュー表で顔を見せないようにしているが、彼にはこの気持ちが筒抜けだろう。
結は絶対に許さない。こんな想いをさせておいて彼女は笑っているなんて、今思っただけで腸が煮えくり返りそうだ。
あの悪ふざけは止めさせてないと私の色々なものが壊れる。
「響子さん、ケチャップの量はともかく普通に美味しいぞ」
「あーれー? 香澄来てたんだー」
結が白々しく、片言にそう言った。
「ちょっと結! 貴方でしょう、ここに助手くんを呼んだの!」
「何のこと? あたし分かんないよー」
「あとで話があるわ。ちょっと休憩の時来なさい」
助手くんがオムライスを食べ終わり、じゃあなと言って帰ってしまった。
振った手は肉刺ができていて、よく見ていなかったが顔にも再生しきれないほどの傷が出来ていた。
そして今日の休憩時間に私は結を呼び、かなり強い口調で説教した。しかし、彼女には暖簾に腕押し。全く意味がなかった。
ここまでくるとある意味、才能ね。
「さっき来てたのって織神ちゃんの彼氏さん?」
木山さんが笑顔で、聞かれたくないことを聞かれた。この人は悪気がなくても笑顔で聞かれたくないことを聞いてくる性格みたい。
「違いますよ」
大切な人ではあるけど。彼氏と呼ぶのは違うような……
「そーなんだ。なんだかかっこいい人だったね。織神ちゃんとお似合いな感じがするね」
「そうですか?」
私が苦笑いを浮かべていると、結が性懲りもなく「そうなんですよ! お似合いですよね」と茶々を入れる。私は「貴方は黙ってなさい」と一蹴してこの話題を終わらせた。
それから夕方まで働き、今日のバイトは終了した。
結と私は同じ帰路だけど、彼女は助手くんについて延々と話していた。彼女と別れて、桐之山に沈んでいくを見てみるといつもより綺麗で、仕事終わりのこの景色だけは私は大好きだった。
明日は最良の日になると確信していた。
今回はすべて響子さん視点で書きます!




