第十話 捜査②
日が昇ると同時に、俺の中にあった不安感は徐々に姿を消していった。おそらくこれは明るくなって今まで不明瞭だったものがきちんと瞳で捉えることが出来るからだ。ときに人は目に見えないものを恐れる。たとえそれは屈強な男性でも、叡智を極めた女性でも同じことが言えるだろう。ただ、見えてしまう恐怖もあるのだ。
昨夜襲ってきた憑神のように。刃物のような殺意を突きつけられてようやく実感した。もう無関係ではいられないことに、自分が意図としない間に渦中にいることに。
あれから俺はあまり眠れなかった。おかげで寝不足だし、匿ってくれている彼女のために朝食を作ってもその出来に自身が無いのもそのせいだ。
淹れたてのコーヒーを口に運び、俺は織神さんの外出の準備を待った。
本日は睨んだ通り学校は休校。一応、三部に謝りたいという名目の元で彼女と織神さんを引き合わせるのだが、事はうまく運ぶか気になるところだ。目的は芹沢さんのことを聞き出すだけなのだが、果たして織神さんは三部に対して素直に謝ってくれるだろうか。
昨夜の素振りではまったく感じられなかったが、真実に近づくために背に腹は代えられない。
「お待たせ。それじゃあ行きましょ」
初めて見る織神響子の私服姿。清廉潔白な白を基調とした服を見事に着こなしている。彼女の艶やかな黒髪との相対的な美しさに思わず見惚れてしまった。
「なにボーっとしているのよ。時間は限られているんだからさっさと行くわよ」
彼女が俺を連れて行くように先導し家から出ていく。待ち合わせ場所は織神さんの家の近くにある喫茶店。何度か来たことはあったがまさか彼女の家の近くだったとは。とんだ偶然だ。
そして待ち合わせ時間の十時、五分前に俺は喫茶店の窓際の席で織神さんと隣り合わせて座っていた。正面に誰も座っていない状態で肩を並べて座るのはどうしても店員とお客の視線がくすぐったい。たった数分の我慢でも俺には長すぎた。
「お待たせぇ!」
俺と織神さんを見つけた三部が手を振って歩み寄ってくる。肩身の狭さを感じながらも女性二人に囲まれて捜査の第一歩が始まる。
「それで、今日は織神さんが私に用があるんだよね? あの件なら別に謝らなくてもいいのに」
三部は珍しく含みのある笑い方をした。
「いえ、それだと彼が許してくれなくてね。昨日の夜なんて寝させてくれなかったんだから」
「変な言い方するな!?」
気が付いた。これは俺に対する報復だと。謝りたくもないことで謝るなんて嫌だ。という絶対的な意志を感じる。
「え!? 二人ともいつからそんな仲になったの!? 昨日だって私に内緒で一緒に帰っちゃうし。ねぇいつから!?」
三部は息を荒げてずいっと俺に顔を寄せる。
「ちょっと待てって! 別に俺たちはそんな仲じゃないって!」
そう。俺と彼女はそんなバラ色の仲ではなく、もっと灰色なのだ。守る者と守られる者。契約にも似た無味無臭な関係。
「ふーん、今はそれで信じてあげる!」
本当に待ってほしい。これでは誤解されたままだ。なんとかして誤解を解きたいが、俺が口を出そうとした途端に織神さんが口を開く。
「ねぇ三部さん、私の言うことを聞いてくれるかしら」
彼女はいくら貌を持っているのだ。とげとげした攻撃的な貌、人を守るために冷たく刃のような鋭い貌、そして俺の横でしているお淑やかで静々とした貌。一体どれが本物の彼女なのかたった一日同じ屋根の下で住んでみただけでは分からない。
「うんいいよ。それでどんなお話しなの?」
「貴方に謝りたいのはたしかよ。昨日のことについてはごめんなさい。私も機嫌が悪かったから貴方に当たっちゃった」
なんと素直に謝った。これは驚くべき点だが顔に出して話の腰を折るわけにはいかない。崩れてしまいそうになる顔を必死にこらえて彼女たちの話に耳を傾ける。
「その話はもういいよ。私も悪かったらお互い様ってことにしよ?」
三部が許すことは分かり切っていた。この程度で人との縁を切るような彼女ではない。まぁひとえに彼女の広すぎる心ゆえなのだが。
「……本題に入るわ。私、貴方と同じクラスの芹沢さんが昨日の五時間目の時間帯に何をしていたか聞きたいのよ」
「どうしてまたそんな……」
「彼女の素行調査ってところね。深い理由は訊かないで。それに協力してくれたら報酬も弾むわ。貴方が甘い物が嫌いでなければここの美味しいチーズケーキかスペシャルパフェを奢るわよ」
「織神さんがそう言うなら訊かないけど。別に危ないことするわけじゃなさそうだしなぁ。いいよ、そのぐらいなら教えてあげる」
彼女は水を一杯飲んでから改めて話し始める。
「芹沢さんは昨日の五時間目は保健室にいたよ。生理痛がどうのって話だけど、あの子よくそう言う嘘ついて授業をサボるんだよね。昨日もそうだったと思う」
これは重要な話を聞けたんじゃないのか。これであの時間、五時間目の時間帯に芹沢さんは教室にいなかったことになる。これなら殺害の難易度がぐっと下がる。とはいえ、それも簡単ではないのだが。
「ありがとう、とても有意義な話が聞けたわ。じゃあお礼をしないとね」
織神さんが呼び出しボタンを押して店員を呼ぼうとするが、それを三部が声を上げて止めた。
「別に大したことじゃないから驕って貰わなくていいよ。お金のかかることじゃないし」
「いえ、それだと私の気が治まらないのよ」
「そうだ! じゃあさ、私たちお友達になろう? 私のこと結って呼んで! 織神さんのことは今から響子って呼ぶ! これが報酬ってことで!」
どうやら双方それで納得したらしく友情が結ばれる場面を見てしまった。織神さんの頑固さをも崩す彼女の笑顔と愛嬌は凄まじいものだ。学校一番の友人を有するのも頷けてしまう。しかし、織神さんは戸惑うばかりで笑みを浮かべない。いつか彼女が笑ってくれるときがあるのだろうか。と俺は彼女らにつられて美味しいと評判のチーズケーキを頼んだ。




