第九話 捜査①
俺は穴の開いたソファーに腰掛け、夜の陰りも深くなる頃に自分を落ち着かせるため織神さんが淹れたお世辞にも美味しいとは言えないコーヒーに口をつけた。
なんなんだ、あいつは。混乱する頭ではレインコートの奴が何者で何が目的だったのか分からない。いや、本当は知っているはずだ、目の前で消えた奴が憑神と呼ばれる存在ということも、目的が俺を殺すためだということも。
無理にでもそう結論付けなければ、施錠してあるドアから音を立てずに侵入できるわけがない。これ以外の考えがあるというなら今ここで説明してほしいものだ。
「どう、少しは落ち着いた?」
本当は落ち着いてなどいない。だが、そういう風にしておかなければ頭がどうにかなってしまいそうだ。平然を装って彼女の問いに首を縦に振った。
「ほんの少しだけ……」
「なら事情を説明しても大丈夫そうね」
こんな混乱している頭では彼女の説明を理解できるかどうか分からないが、気分を少しでも紛らわせるためにここは無理矢理にでも言葉を叩きこむしかない。
「何から聞きたい?」
「まず、あのレインコートは何だったんだよ。織神さんの口からちゃんと説明してもらいたい」
「そうね。当然の質問だわ。無知な貴方にも分かりやすいように説明するわ。初めに貴方は昨日の学校で凶器と思われる包丁を拾った。その拍子に憑神の力の残滓と呼べるものが貴方に付着したの。これを見て」
彼女は自分の部屋から焦げた跡と思われる一冊の本を持ち寄ってきた。ほとんどすすけてしまっているが、読める文字もページも存在している。彼女の白い指が示した場所は何やらずらりと名前が書かれていた。
「うさぎ?」
「憑神には大きく分けて三種類のタイプがあるとされているわ。多く存在している動物型、奇妙な力を持つ個体が多い昆虫型、そして滅多に出現しないけど圧倒的な力を持つ人型。夕方見せた鳩は動物型の憑神でその中でも特に弱い方」
「もしかして、あのレインコートの正体ってうさぎなのか?」
「察しが良いのね。そう、あれは宿主の姿を模倣して残滓のついた貴方を殺しに来たに過ぎない。そんなことが出来るのはうさぎのなかでも特異な存在、こいつしかいない」
「顔剥ぎ兎……?」
おおよそ、可愛らしいうさぎの見た目からは想像できない恐ろしい名前だ。たしかにあの死体の顔は剥がされていた。特徴も当てはまっているのなら、憑神の正体はそれで正解なのだろう。では芹沢さんを殺したのは憑神がやったことなのか、これでは犯人の探しようがないのではないのか。
「じゃあ憑神が芹沢さんを殺したってことなのか?」
「その可能性は有り得るけど、それは考えにくいわね。憑神という存在は宿主の殺人衝動を加速させ、自らがより完成された存在になるため働く。奴らにとって重要なのは殺すこと。すなわち凶器の委棄や死体を校舎裏に置くなんてことは出来ないのよ。とくに動物型にはね」
「つまり、あの包丁を隠したのも死体をあそこに隠したのも犯人の意志ってことか」
「三年間貴方と同じクラスだったけど、今夜はやけに冴えているわね」
「そりゃどうも」
自分の命がかかっているのだ、真剣にも頭が冴えるのも当たり前だ。そうなると、新しい疑問が浮かんでくる。一体誰が包丁を隠したのか。次の議題は当然これだった。
「と、なると誰が犯人なんだ?」
「まだ情報が足りないわ。犯人を特定するにはこれっぽちもね。まずあれはどこの包丁なのか。そしてあの五時間目あたりの時間帯で誰が彼女を殺すことが出来たのか」
「包丁はそれこそ、犯人が自分の家から持ってきたんじゃないのか? 学校で調達するってのも手間だろ、家庭科室にあるし」
「ええ、そもそも五時間目は私たちが家庭科室を使用していたものね。でも本当にそうなのかしら?」
彼女は顎に手を当てて思考を始める。
「考えてみなさい。もし犯人が学生だとしてその包丁はどうやって持ってくるのよ。たとえ鞄の中に入れたとしても犯行に及ぶには無理があるわ。まず凶器を隠しながら移動することと、どうやって芹沢さんを殺害したか。この二つの過程をクリアしないと彼女は殺害できない。あの時間の芹沢さんの動きを正確に知る必要があるわね。貴方は何か知っている?」
「知ってるわけないだろ。そもそも、隣のクラスだし……」
隣のクラス? そうだ、隣のクラスには彼女がいる。友人の多い彼女なら芹沢さんの行動について知っているはずだ。
「三部なら、分かるかもしれない」
「三部、結さんだっけ? そう言えば彼女と被害者は同じクラスだったわね。そうね、彼女なら五時間目に何があったのか分かるはず。貴方、話し合いの場を設けなさい」
織神さんは俺に白い指を差す。友人のいないましてや昼間あんなことを言ってしまったせいで自分ではお願いできないのだろう。仕方がない、俺も命が狙われているのだ四の五の言ってられない。
「分かった朝になったら連絡してみる。織神さんが謝りたいって言っているってな」
「はぁ? なによそれ。私、謝るつもりなんて少しもないわよ」
あの言い方をして謝らないのはどうかと思うが、こうでもしなければ自然に彼女を呼び出せないだろう。
「謎を解くのにえり好みなんてしてられないだろう。謝ってすんなりいくならそれに越したことは無いだろ」
彼女は眉を顰めて怪訝な表情をしてため息を交じりで頷いた。




