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夜の月に笑われて  作者: 宮城まこと
顔剥ぎ兎
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第七話 異変②

 とまぁ、俺はこうして織神さんの家にお邪魔する訳と相成ったのだが高校三年の夏にして香澄准兵として生きた十数年間のうち最大のイベントとなるはずだったのにまるでときめかない状況である。


 彼女の言う殺人の権化、憑神に俺は狙われているらしいのだ。まったく現実感の無い話だがそうも言ってられないことが目の前で起きた。学校で起きた凄惨な殺人事件、そして実際にこの目で見た憑神。どうして俺がそんなオカルトチックで危険なものに狙われているのか到底想像もできない。


「着いたわ」


 彼女は歩みを止めて、夕暮れの空にぼんやりと立っている古びた雑居ビルを見上げた。


「ここが家?」


 にわかには信じられないが、織神響子には常識人である俺の有り得ないや信じられないが効かないのだ。やはり騙されているのかと余計に勘ぐってしまいそうになるが、つまりここが彼女の家で間違いない。はずだ。


「ぼさっとしてないでついてきなさい。それとも、今夜はこの熱いコンクリートの上で目玉焼きにでもなりたい?」


 彼女の言葉には相変わらず棘があるが、それにも少しずつ慣れてきた節がある。こう聞こえが悪くとも実は俺のことを心配してくれている。でなければ憑神からわざわざ守ったりしないだろう。


 俺は彼女の後を再び追い始めた。汚れが目立つ階段を上り二階に到着すると織神さんは錆びたドアの前で立ち止まる。おもむろにバッグからキーホルダーも何もつけていない裸のままの鍵を取り出し、鍵穴に差し込みドアを開ける。


「入って。珈琲でも淹れるわ」


 言われるまま俺は女性の家に足を踏み入れる。家族と鉢合わせした際どうやって説明すればいいのものか。いや、そもそも織神さんの両親は見たことが無い。保護者懇談会でも見かけなかった。一体どんな親子なんだろうかとわずかに胸を躍らせていた。


「何もないところだけどそこに適当に座って」


 何もないところだった。いや殺風景そのものだ。ソファーにテーブル。その上に置かれた読みかけと思われる小説。ブラインドを締め切った窓。帰る場所である家というより仕事場と表現するのが正しいのかもしれない。


 仕方が無くソファーに座り、彼女が淹れてくれるというコーヒーを待つ。


「あの、ご両親は?」


 いささか不躾な質問だったが訊かずにはいられなかった。


「いないわ。一人暮らしよ。それと、あまりプライベートなことは女性に訊くものではないわ。貴方はただの庇護対象なんだから」


 相変わらず冷たい一言だった。しかし、こんなところと言っては失礼に思われるかもしれないが、こんなところに一人暮らしはあまりにも寂しいだろう。テレビも無ければ、ゲームも無い。あるのは一冊の小説とコーヒーのみ。彼女の両親は一体何をしているのだろう。気になってしまったが、俺はこれ以上彼女のプライベートに踏み込まないようにしていた。彼女にとって俺はただの庇護対象なのだから。


「さ、どうぞ」


 数分後。香ばしい匂いとともに彼女の手作りコーヒーが出来上がってきた。よそよそしくしながらコーヒーカップに手を伸ばして口に運ぶ。


「……!」


 ま、不味い。なんだこれ。コーヒーなんかじゃない。もっとどす黒いへどろのような歪さだ。ぐっと吐き出すのを堪える。台所に置いてあった木造の椅子を持って来て目の前に座っている彼女の前でそんな真似は出来ない。我慢しろ、俺。


 ごくりと飲み込むが、言葉は飲み込めなかった。


「不味い……」


 しまった。本当にデリカシーのない男だと思われた。だが、こんな寂しい場所で満足にコーヒーも飲めないなんてかわいそうだ。ここは彼女になんて言われようと俺がもう少しマシなものを淹れてやらないと。


「そう、やっぱり美味しくないのね」


 美味しくないという自覚があるのか、彼女は俺の感想を聞いて少々落ち込んだ様子を見せた。


「織神さん! ちょっと台所借りるから!」


 別に彼女に特別な感情があるだとか、守ってくれる報酬だとか考えているわけではない。ただ純粋に可哀想だと思ってしまった。傲慢にも。どうして彼女が人を遠ざける性格をしているのか少し理解できた気がする。こんな冷めたコーヒーを飲んでいたら誰だってああなる。そして俺は綺麗に整頓されている台所に立ち、コーヒーを淹れる。


 幸い、大学から一人暮らしをする予定なので料理は大方母親に仕込んでもらった。まさかこんなところで役に立つとは。


 数分後、織神さんと同じようにコーヒーが出来上がり彼女の元に持っていく。


「勝手に借りたのは謝るけど、これ飲んでみてくれ」


 彼女は少々怪訝な顔をして湯気が立っているカップを手に持つ。まずは匂いを嗅ぎ、香りを楽しむ。躊躇いはありながらも彼女はコーヒーに口をつけた。


「どう?」


「……私のよりは美味しいわ。でも苦すぎる。次はもっと砂糖やミルクを入れて」


 ああ言えばこう言う。彼女の文句は留まることを知らない。だが、今回のは少し違う。照れ隠しに似たものだろう。素直になれないのはどうやら元からのようだ。


 こうして今夜は彼女の家に泊るのだがよもや料理全般が苦手だとは思いもよらず、想像を絶する苦行を強いられることとなる。


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