第三話 邂逅③
目の前で人が死んだ。何の前触れも無く。
それは平和な香澄准兵――俺の日常の終わりを告げるようだった。
「先生方! 生徒たちを近づけないようにしてください!」
集まってきた先生の中に教頭がいたらしく、異常な光景に慌てながらもまずは野次馬を殺人現場から遠ざけることにしたのだ。当然俺もいるはずの織神さんも例外ではない。片桐先生に肩を貸してもらいながら俺は保健室に戻ることにした。女生徒の無いはずの顔が脳裏にこべりつているせいでまだ気分は悪いままだ。俺は腰掛けた保健室のベッドに力なく横たわる。
「ダメじゃない、ついてきちゃ。今度からは先生の言うことは絶対守るようにね」
「す、すいませんでした……」
片桐先生が怒るのは無理もない。俺が軽い気持ちでついて行かなければこんな想いはしなくて済んだ。
「じゃあ私は先生たちのところに戻るから、ここにいてね」
先生は俺を保健室に残して校舎裏に戻っていった。俺は気分が落ち着くまで保健室の天井を見上げていたが、目を瞑るとあの死体の顔を思い出してしまう。そう言えば、あの場にいたはずの織神さんはどこに行ったのだろうか。なにやら独り言を呟いていたようだがそこまでは聞こえなかった。おそらく校内にいる生徒は強制的に帰宅させられ、すぐに警察が駆けつけるだろう。
「香澄、いる?」
保健室の扉を開けて俺に話しかけてきたのは、華奢な身体で可愛らしい笑顔をしている三部結だった。俺の数少ない異性の友人の一人だ。
「いるよ、どうした?」
俺は身体を起こして気でも紛らわせるつもりで三部と会話を続ける。
「いやさ、保健室に運ばれたところ見ちゃって。心配になって見に来ただけ。それでどう?」
どうやら彼女は保健室に運ばれた俺を偶然目撃して心配になってきてくれたらしい。有難い話だ。彼女のこの義理堅いところが人気なのかもしれない。
「ちょっといやなもの見ちまって。なんか面白い話でもしてくれないか?」
俺は無い元気を振り絞って話し好きな彼女に話題を振った。これで片桐先生が帰ってくるまでの暇つぶしが出来る。今回はどんな話をしてくれるのだろうか。海で迷子に間違えられた話しか、山登りをして外国人と仲良くなって飯を奢ってもらった話しか。それとも俺がまだ聞かされていないとっておきの話でもしてくれるのか。
俺はこの瞬間だけでもあの事件のことを忘れていた。
しかし。
「じゃあ、この学校の七不思議って知ってる?」
「知らないけど?」
彼女は近くにあった椅子に座り、きらきらとした顔で怪談話を始める。せめて違う話であってほしかったが、俺自身が頼んだのだ。贅沢は言ってられない。
「あのね、放課後の乙女っていう話なんだけど」
放課後の乙女……? トイレの花子さんとか動く人体模型とかじゃなく。なんともロマンチックな名前じゃないか。これのどこが七不思議なんだ。そもそもこの学校に七不思議があったこと自体今日初めて知ったのだ。あと六つの方が気になる。
「ある男子生徒が放課後、って言っても部活が終わった帰りだから夜だったんだけどさ。忘れ物を取りに行った男子生徒が誰もいないはずの教室をふと覗いたんだ。するとね、そこにぼーっと教室に立ってる知らない女子生徒がいたんだよ。それでその子も怖くなって足早に帰ろうとしたら乙女は男子生徒の視線に気づいて驚いて逃げちゃったんだ。でも男子生徒は、驚かせたことを謝るつもりで乙女に話しかけようとして追いかけたんだけど……」
「だけど?」
「丁度この保健室の前で忽然と消えたの。最初からいなかったかのように」
「ちょ、縁起でも無いこと言うな!」
俺は慌てて三部の話を止めようとしたが、彼女の口は動き続けた。
「でも一番気味が悪いのは、その乙女の月明かりに照らされた顔がね、左半分が傷だらけだったんだ。どうやらその乙女は、数か月前に飛び降り自殺した子なんだって。どう? 面白かった?」
彼女は感想を求めた。嫌な思いをした直後にまた気分を沈めてくるとは誰が想像できるだろうか。まぁ現に目の前の小さな女の子がしてきたのだが。
「面白くない。なんでこのタイミングで怪談話なんだよ。もっと気分が盛り上がる話があるだろ!」
「ええ? この七不思議最近追加されたばっかだから面白いと思ったんだけどなぁ。それとも別の七不思議にする? 校庭を走る校長の胸像とかは?」
そうそう、そういうタイトルを聞いただけで笑えてしまうような話を期待していたのだ。よし今度は思いっ切り笑うぞ。と俺が意気込んだところで、片桐先生が帰ってきてしまった。先生の顔を伺って察するにあの事件のことについて一通りの方針は決まったのだろうか。
「香澄くん、三部ちゃん。これから防災計画の関係で今日はこれから完全下校よ。早く帰りなさい?」
先生が悟られないように懸命に笑顔を作り事情を知らない三部に下校を促す。なるほど、学校の防災計画とでも銘打っておけば、たとえ警察が学校に来たとしてもなんとでも言い訳が成り立つ。そして急遽休校にすることも可能だ。事を大きくしたくない学校側からすればこれが最善手だと言える。
「ええー? これから良いところだったのに。ね、香澄」
「仕方ない。三部、帰ろうぜ。俺も家に帰ってゆっくり休みたい」
ただをこねる子どものような彼女をなだめて、俺と三部は帰宅の準備をしてそのまま校舎裏を通らずに帰路に着く。校舎内を歩いていると目の前に今朝のように織神さんがいた。まだ校内に残っていたのか。彼女にもきっと完全下校の旨は伝わっているはずだ。
だがどうにも織神さんに話しかけるのは苦手だ。俺が臆していると迷わず三部が彼女に向かって手を振って話しかける。
「やっほー! 織神さーん! これから完全下校だから一緒に帰ろー!」
いきなり廊下で大声で名前を呼ばれれば誰だって驚く。だけど、織神さんはくるりとこちらを振り向いて鋭い視線で笑顔に近づいてくる三部を威嚇した。
「近づかないで。別に貴方たちと帰るつもりはないわ。それに馴れ馴れしいのよ、一年のときに同じクラスだからって。私たち別に友達じゃないでしょ。そもそも群れるのは好きじゃない。帰るならそこの男と帰りなさい」
容赦ない攻撃は性別など関係なく襲いかかる。普段の俺ならここはぐっとこらえて知らないふり、聞こえないふりでもしていただろう。だけど状況が違う。友人を貶されたんだ、それで怒らない男がどこにいる。だから俺は織神さんに詰め寄った。
「おいそんな態度しなくたっていいだろ!」
「別に断っただけじゃない」
怒鳴る俺をたしなめるように彼女はつまらない顔をしたままだった。
「断り方ってのがあるだろ。謝れよ」
「どうして謝らなければならないの?」
こいつ。本当に同じ人間なのか?
「香澄、もういいよ。迷惑だったみたいだから」
三部が珍しく怒っている俺を制止させるように言うが、どうにも彼女の声は俺には届かなかったらしい。気が付けば俺は織神さんの肩を掴もうと腕を伸ばしていた。まさにそのときだった。
俺は織神さんに無様に投げ飛ばされていた。体格差はあれどこうも簡単に投げられては面目は丸つぶれだ。
廊下に設置されたゴミ箱に背中と頭をぶつけ、天地が逆転した世界で織神さんと三部を見上げる。
「いって……」
腹を立てながら立ち上がろうとしたとき、俺はひっくり返ったゴミ箱の中から違和感を無意識のうちに掴む。決してゴミ箱に捨てられてはいけないもの。違和感を拾い上げてみるとそれは真っ赤に染められた包丁だった。




