第一話 邂逅①
助手くんは未だに目を覚まさない。氷見が放った毒牙にかかり、一命はとりとめたものの私が何回名前を呼んでも揺すっても怒るわよって言っても起きてくれない。おかげで食事は一人で作る羽目になっちゃったじゃない。
ごめんなさい、嘘よ。本当は八色さんに作ってもらっているの。彼女のお料理も美味しいけどやっぱり貴方の作ってくれたものじゃなきゃ満足できないみたい。ほらだから、早く起きて私にしょうがないなって言いながら料理作ってよ。
憑き人専用の病院のベッドに彼は寝ている。まだ起きる気配が無い。傷はすでに完治しているはずなのに毒が静かに身体を浸食していっている。ある程度毒は食い止めたものの心臓近くに打ち込まれた牙は深く刺さり傷は残るかもしれないと言われた。それでもいいから、私は気にしないから早く起きなさいってば。
「香澄のやつはまだ起きんのか?」
安瀬馬くんは助手くんの病室に入ってきて看病している私に向かってそう言った。彼の横に八色さんはいない。おそらく、彼の事務所にいて昼食の準備でもしているのだろう。
「ええ。今日は良い天気だからお散歩に行きましょう。って声をかけてもピクリともしない。私とのデートの約束よ? 男なら誰であっても飛び起きるわよ」
「もう少しで一カ月か。貴様もろくに寝ていないのだろう。久し振りに事務所に帰ってみたらだろうだ」
「いやよ。帰ったら助手くんが待っていないんだもの」
私は助手くんの頬を撫でる。彼のいない事務所なんてもういやだ。寂しくて寒くて悲しくて。いつからだろう、一人でいることが辛くなったのは、怖くなったのは。少し前までは平気だったのに。全部助手くんのせいよ。責任取りなさい。私を一人ぼっちの世界から連れ出した責任を。
彼の手が微かに動く。安瀬馬くんも私も助手くんが起きる前兆は見逃さなかった。だから私は彼が突然目を覚ましても驚かない自信があった。泣かない自信があった。だけど――。
「助手くん……!」
「……え?」
私は泣きながらようやく目を覚ました彼に抱きついていた。良かった、本当に。心臓も動いている、呼吸もまばたきもしている。間違いなく生きている。幻覚じゃない。
「香澄! 起きたか! 待ってろ、今すぐ先生を呼んでくる!」
安瀬馬くんは珍しく焦って取り乱しながら主治医の先生を呼んで来ようとするが結果的にそれは遅れる。
「あの……あなたたちは誰ですか? それに僕は……?」
聞き間違いではなかった。確かに彼はそう言った。私たちは誰なのかと、そして自分が誰なのかを。その後、駆けつけた主治医の話によると彼は典型的な記憶喪失になってしまったらしい。頭部に強い衝撃があったわけでもないけど、助手くんは記憶を失かった。考えられる原因は一つしかなかった。
氷見が打ち込んだ毒。検査したところ、私と安瀬馬くんの読みは当たっていた。彼の身体から毒は消え去ったがその代わりに記憶を奪っていった。命と記憶を交換していったかのように。氷見の性格を考えると、ただ殺すわけがない。私が一番苦しむ方法で追い込んでくるはずだ。その方法がこれってわけ。
冷静に分析している自分自身が馬鹿みたい。
本当は今すぐにでも殺しに行きたいはずなのに。
「このまま記憶が戻るのを待つしかないのか。おい、刀は出せるか?」
腕を組みながらそう言った安瀬馬くんの言葉に助手くんはキョトンとした顔で首を傾げている。私は伏し目がちに安瀬馬くんに説明をした。
「記憶が無いんでしょ。だったら無理よ。助手くんは生まれながらにして憑き人じゃない。だから本能的に憑神の力を行使できるわけがない。全部能動的よ」
「そういうことか。なら無理……か。すまなかったな、香澄。今の言葉は忘れてくれて構わない」
眉を顰めて困った顔をしている安瀬馬くんは壁に寄りかかり、ため息をつく。彼のため息も理解できる。氷見との決着があるというのに大事な戦力の一人である助手くんが憑神の力を使えないのはあまりにも痛手過ぎる。どうすれば。
「記憶を取り戻す方法ならば一つだけあります」
私と安瀬馬くんは声がする方に振り返ると、その先に棺桶を降ろした園江さんが立っていた。彼が提案する記憶を取り戻す方法とは一体何なのか、私は藁に縋る思いで尋ねる。
「その方法ってなに?」
「非常に難しい手段でございます。なにせ、七十年ほど前の技でございますので。危険が伴う技でありますゆえ、ご判断はお二人にお任せいたします」
「待ちなさい、助手くんに危害は?」
「及ばないとは言えません。ですがそれは織神嬢のお力次第でございます。記憶を呼び戻すには安瀬馬殿と織神嬢の憑神の力が必要なのです」
不安の影が私の心を曇らせていく。助手くんをこれ以上危険な目に合わせたくないという気持ちはもちろんある。だけどそうすれば私の復讐はここで潰える。たとえ織神の秘技を使ったとしても氷見に勝てる確率はほとんどない。安瀬馬くんと姉さんの力を借りたとしても。この未完成な憑神化を完成させない限り。私は助手くんの怯えた目を見た。
「助手くん。私の名前は織神響子。そして貴方の名前は香澄准兵。私たちはお互いを支え合って……い、生きてきたの。これからもそうしたかった。貴方はどうしたい? 私と一緒に記憶が戻るまでこうして晴れた日にお散歩して雨の日には一緒に料理を作って、静かで優しいままゆっくり休むか。それとも、晴れた日は私の我が儘を聞いて、雨の日にも私の我が儘を聞いて、ああでもないこうでもないって文句を言いながら料理を作りたい?」
少し恥ずかしいことを言ったけれど、彼は俯いて黙ってしまった。
「ぼ、僕は……。あな、響子さんに、料理を、作って……俺は、響子さんの力になりたくて……」
記憶が混濁している。毒の効力に助手くんの力が対抗しているんだわ。最後の言葉は彼の本心。だったら彼を引き戻せるチャンスはここしかない。今の彼には酷かもしれないけど、付き合ってもらうしかない。平穏な時間はたしかに魅力的だけど、氷見を倒してからじゃないと本当の平穏は私たちに訪れない。
「園江さん、やるわ。教えなさいその方法を。私が絶対に助手くんを守ってみせる。だから」
「分かりました。急を要することではございますがついて来て下さい。地下に準備だけはしてあります。安瀬馬殿は律動院嬢にご連絡を。この技は手練れの憑神使いが二人以上必要なのです」
私は安瀬馬くんと園江さんについて行き、病院の地下に用意された術式の中前に立つ。三十分後、八色さんが登場し安瀬馬くんが事情を説明してくれた。これで技に必要な手練れは私を含めて二人になった。本当に記憶が元に戻るか分からないけど、方法はこれしかない。
「では術式の中心に香澄殿を立たせてください。そして私と安瀬馬殿、律動院嬢は端に避け憑神の力を解放し術式に流し込みます」
そう言った園江さんと指示に従っている安瀬馬くんは端に移動して憑神化。術式に憑神の力を注ぎ込む。
「私は何をすれば?」
私の質問に園江さんは答えた。
「この術式はかけられた対象者の記憶を中心にいる者が追体験するものです。織神嬢は彼に言葉をかけてください、それがもとになって追体験が始まります」
私は頷き、彼にそっと話しかけた。
「まずは、私たちの出会いの話からしましょうか。ね、香澄くん」




