第十一章完結 赤と紅の桜吹雪
待たせたな。
月夜が、俺とマフラーをしている響子さんを照らす。四月とはいえ、夜風はまだ肌寒い。
建設中のマンションの前で、俺は鹿崎華実さんが来るのを待つ。もうすぐでこの凶行に決着をつけることができる。
「なぁ、響子さん」
俺は緊張でかすれた声で、彼女を呼ぶ。
「どうしたの助手くん? そんな掠れた声で。もしかして緊張している? らしくないわね。いつもなら俺に任せておけって、言ってくれるじゃない?」
彼女は笑みを浮かべながら余裕綽々でそう語る。
本当は俺だって任せておけって言いたい。だけど、今回は事が事だ。しかも、これまでだって緊張してなかったわけじゃない。
そう勘付かれないために俺がどれだけ苦労してきてるか。
「響子さんは、不安じゃないのか?」
拳を握り、目を一人淋しく咲く桜の木に目をやる。
「不安って?」
「今回は、彼女は思い出を守ろうとしてきたんじゃないのか。それを俺たちが止めたら、彼女は本当に……」
言葉が続かなかった。
確証があったからこれから先を言うのが怖くなってしまう。
「壊れてしま――」
「どうでしょうね」
俺がそう言う前に、彼女は一言語気を強めてそう言った。
「多分、私たちがしようとしていることは彼女からすれば悪そのものね。だって、彼女は貴方が言う通りただ思い出を守ろうとしているだけですもの。だけどね、それでも彼女はやり方を間違えた。人は、想いや気持ちを伝えるために言葉を覚えた。だけどそれはいつしか、時に人を傷つけ殺めてしまうものへと変わっていった。人は……難しく進化し過ぎてしまったのかもしれないわね。もっと単純でいいのよ。好きなものは好きと言って、嫌なものは嫌だと言っていいのよ」
彼女は天にて笑う月を見る。
「言葉に刃を孕ませて人を刺し、言葉に嘘を紛れ込ませて人を騙す。人間が地位とか財産に惑わされずに、もう少しだけ正直に、もう少しだけ謙虚に生きていけるならそういうことも減っていくかしら。貴方はどう思う? 鹿崎華実さん」
響子さんの会話の矛先が俺ではなく、鹿崎さんに向かっていたことは知っていた。
彼女の登場はあまりにも自然で、まるで影から這い出たかのような。いや、違う。俺たちが来てから彼女はずっとここにいたのだ。
俺たちの目の前にずっと。
「人は足のついた欲望」
鹿崎さんはそっと口を開ける。
「ある人が私に教えてくれました。人はとっても壊れやすい入れ物だって。欲望という水を入れるには、脆すぎるって。だから壊れないように定期的にその欲望を吐き出しているそうです」
彼女は桜の木を撫でながら、こちらを一切見ずに独り言のようにぽつり、ぽつりとその言の葉を咲かせていく。
この言の葉が大輪となってしまったら、彼女はおそらく自分ではいられなくなるだろう。
「私はずっと、わがままを自分の気持ちを押し殺してきました。いつも忙しい父が一度だけ桜を見せてくれました。それがここです。思い出を守ろうとするのはそんなに悪いことですか? 気持ちを正直に話すのはそんなに悪いことでしょうか?」
次第に彼女は涙をその瞳にためていた。
「切られていく桜の木々を見て、私は心が痛みました。彼らの言葉がはっきりと聞こえたんです。切られたくないって。だから、桜を守る会にも入って工事の邪魔をしました。だけど」
無駄だった。
「……織神さんもそこの人も、この事件を解決しようとしている。私が今回の犯人です。建設会社の職員さんがいつも飲んでいる缶に植物の種を入れました。市長の娘である私が差し入れすればそれだけで、イメージも良くなる。みなさん面白いように飲んでいきましたよ。でも、ここの工事は中止にはなりませんでした。だから、強硬手段です。このマンションを壊します」
鹿崎さんの手が、いや手だけじゃない。体が桜の木に吸い込まれていく。
「桜が何故、美しく咲くか分かりますか? それは人の命を吸っているからですよ。見た者、触れた者の命を吸い何よりも美しく咲く」
響子さんはハッとした顔で、こう叫ぶ。
「止めなさいッ!! そんなことしたら取り返しのつかないことになるわよ!」
「なぁ響子さん、どうなってんだよ!?」
桜の木に浸食され、飲み込まれる鹿崎さんの姿に恐怖心を覚えながら響子さんに尋ねる。
「あれは、憑神化とも違うのよ。憑神化は人が憑神に近づくことでそうなるけど。あの子の場合は、憑神があの子に近づいている」
「それってどうなるんだよ?」
「人でも憑神でもない者が生まれる。そもそも、この植物型の憑神なんて存在しないのよ。これは御三家に連絡が必要ね。どうなるか私にも分からない」
「連絡する時間は俺が稼ぐから! 響子さんは下げってくれ!!」
俺はそう言うと、影から刀を取り出して刀を抜く。
何をされるか分からない。だったら、何かをされる前に止めるしかない。
「うぉおおおおおお!!」
白刃は彼女に向かって伸びていく。攻撃が来たのは、地面からだった。
桜の木の根と呼べるものが、俺の腹を貫く。
「ぐあぁっ!?」
完全に虚を突かれた。
根を掴み、刀で切り裂く。解放されたが腹部からは血が滴っている。再生に力を入れるしかない。
「みんなみんなみんな、邪魔なの!」
桜の木から彼女が出て来る。その見た目から察するに完全に融合している。
腹の傷は塞がりつつある。だが依然として状況は悪い。彼女の憑神は攻防一体。あの根が彼女を守る盾となり、剣となる。
考えている暇はない。なんとしてもここは俺が時間を稼がなければ。
迂闊に飛び込まない。不用意な攻めは相手の術中に嵌るだけだ。俺は刀を八色さんに教えてもらった防御の構えをとる。
肩の力を抜き、重心を中央に寄せる。
そして彼女の攻撃が来る。四方から押し寄せる波のような根。俺はそれを舞い落ちる桜の花びらのようにひらりひらりと躱す。
まともに戦うな、いなし続けろ。
身体の正面から襲いかかる一撃だけを刀を滑らせて、受け流す。
左右から同時に来る攻撃は飛んで躱す。根同士がぶつかり、動きを止める。そしてそのまま着地。
彼女は恐らく攻撃が当たらないことに苛立ちを隠せていないだろう。その焦りこそが好機。俺の考え通り、彼女の攻撃が途端に雑になる。
根を鞭のようにしならせて叩きつけたり、俺の足元から出現させるなどしているが躱すことに専念しているので、いともたやすくいなせる。
そしてついに、好機が訪れる。彼女の疲労だった。
駆ける。動きの鈍くなった攻撃は俺の走る速度に追いつけずにいる。彼女までの距離僅かに二メートル。
ここなら攻撃ができる。
彼女の生身には当てずに桜の木に刀を突き刺す。
「きゃぁっぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!?」
彼女が悲鳴を上げた。やはり、彼女とこの憑神は融合している。木を傷つける即ち、彼女を傷つけることと同義だ。
判断が鈍った俺に予想外の攻撃が直撃する。
先程のお返しだと言わんばかりに桜の枝が俺の右肩に突き刺さる。
激痛が走る。この距離で連続での攻撃を喰らうのは不味い。突き刺した刀を抜こうとしたが、抜けない。
「――っ!?」
根の攻撃が俺を確実に捉える。貫通はしなかったが、骨が軋む音が身体全体に響く。くそ、ろっ骨が折れた。
この身体になっても痛いものは痛い。暫くは立てそうにないのだが、危険な状況に変わりはない。立って逃げなければこのままなぶり殺しにあう。
「範囲指定」
俺の前に現れたのは、安瀬馬さんだった。そして彼の能力で周りの根を一掃。
さすがの木も再生には時間を要するらしく、加えて突然現れた安瀬馬さんを警戒したのか攻めてこようとはしなかった。
「大丈夫か、香澄」
敵を睨みつけたまま安瀬馬さんがそう訊く。
「ええ、なんとか……どうして安瀬馬さんがここに?」
彼はそのまま答えてくれた。
「織神から連絡を貰ったのだ。オレがたまたま近くにいて助かったな。そうでなければ今頃殺されていたぞ」
響子さんが一番に安瀬馬さんに連絡をしてくれたに違いない。
「助手くん大丈夫?」
響子さんが歩み寄り、うずくまっている俺の肩に手を置く。心配してくれているのだ。だからこそ俺は強がって見せた。
「俺は大丈夫だよ。早く、華実さんを止めよう」
「いっつもそうやって格好つけるんだから。分かってる、行くわよ」
俺は彼女に刀を渡して憑神化をする。その頃には桜の根も再生が終わっていたところで、再戦の準備は互いに出来ていた。
睨み合う両者。安瀬馬さんと響子さんは目と目で合図をして駆け出す。
迷いのない真っ直ぐな走り。響子さんの前を塞ぐ根や枝はすべて安瀬馬さんが切断する。そして道ができ、安瀬馬さんの肩を踏み台にして彼女は飛翔する。
もちろん彼女にも枝の攻撃は降り注いだ。ある程度は当たらなかったが、落ちてくるのを待っている枝もある。
下からこのまま突き刺すつもりだ。
しかし、その枝を根元から安瀬馬さんが能力で斬り落としてしまう。予想外の攻撃に華実さんは驚き、一瞬だが注意が響子さんから外れる。
勝負はここで決した。
落ちてくる勢いを利用して、彼女を切断。それだけでは終わらず、そのまま融合している手足を切断して無理矢理、憑神から引き剥がす。
「これで終わりよ。観念しなさい」
納刀して、再生が始まっている手足でもがいている華実さんを見下ろす。
「私を哀れまないで。私の意志で融合したんだから。……やっぱり、あの人が言っていた通り人は脆いよ。すぐに壊れちゃう。思い出も、何もかも」
彼女は涙を流していた。
ただ守ろうとしていた。ただそれだけだ。だが、やり方を間違えてしまったのだ。正しい道を選べたはずなのに。どうして。
「貴方に憑神を与えた人物の名前を教えなさい。それが貴方に出来る残されたことよ」
俺たちと安瀬馬さんは憑神化を解き、元の姿に戻る。
「教えてあげません。きっともうすぐ会えますよ」
「答えになってないわ! 男の名前は氷見蓮九郎! そうでしょう!」
彼女は最後にせせら笑いをしながら、桜の根が彼女を包む。
「こいつまだ!」
急いで刀を抜こうとしたが、安瀬馬さんに手で制される。これは迂闊に手出しできない状況なのは三人の反応を見れば明らかだった。
「逃げるつもりなの? 思い出の中に。罪も償わないで。そんなの私が許さないわよ」
響子さんは語気を強めてそう告げる。
「そう、私は逃げるの。優しくて甘い思い出の世界に。私は幸せな世界で一生生きていくの……」
華実さんは桜の木に吸い込まれる。彼女は完全に桜の木と融合を果たしてしまった。もう誰の言葉も届かない。
そして桜の木は急激に枯れ始める。
「織神嬢、安瀬馬殿。ここはお下がりを。ここからは我々執行人の仕事です」
遅れて登場した執行人の園江さんは今回ばかりは仲間を連れ、桜の木を伐採し始める。
「いやー、僕の自信作があっさり壊されちゃうなんてなんだかショックだな」
ここで思いもよらずに、聞き覚えのある背筋に悪寒を感じずにはいられない声が聞こえる。声がしたのは背後だ。
俺たちは急いで振り返る。
「貴方は……まさか――」
響子さんの驚愕した声をよそに不敵な笑みを浮かべた、氷見蓮九郎が立っていた。
「やぁ、みなさんお揃いで。まぁ僕が揃うように手筈したんだけど」
臨戦態勢になったのは安瀬馬さんの方が早かった。憑神化をして、軍刀で斬りかかるが親指と人差し指で挟まれて止められる。
「相変わらず、安瀬馬家の人間は気が早いな。この刀このまま折っちゃうよ? 刀が折れるとどうなるのか、キミたちなら分かるだろう?」
固唾を飲んで硬直状態を維持するしか方法はなかった。
「やぁ、織神響子。久し振り。いつにも増して綺麗になったね。実に良い。キミたちに復讐する僕もやる気が出るってものさ。……さて、そろそろ僕の最大の作品の総仕上げと行こうか。キミの大事な人を奪う」
氷見は俺を指差して、何かを打ち出した。蛇の牙だった。
胸に突き刺さり、俺は後ろから倒れ込む。
「その毒は僕の特別製だよ。遅れながら誕生日おめでとう、香澄准兵くん」
響子さんが叫ぶ、まるで聞こえない。
俺は彼女の手を握って、何かを伝えようとするが、思い出せない。あれ、どうして俺はここに倒れているんだ。
泣かせちゃいけない理由があったのに。思い出せない、この人は一体……誰なんだ。
意識がそこでぶつりと途切れた。




