20.お仕置き
クルスは、壁にもたれかかり、静かに座っていた。
女座りというのだろうか、足をきれいに横にそろえ、目をとじている。
黒い髪とあいまって、日本人形のような美しさだ。
なんと声を掛ければいいのだろうか。
元気かとか、大丈夫かとか。
牢屋に入れといて、それも変か。
別に牢屋でなくても良かったのかもしれない。
部屋で謹慎でも同じだっただろう。
どこにいても、彼女は変わらないような気がする。
牢屋に入ったのも自分からすすんでだ。
そんな人間に、牢屋の効果があるのか疑問だ。
それとも自ら反省した態度を示そうとしているのだろうか。
「処分は、もうお決めになられたでしょうか?」
クルスはうっすらと目を開け、静かに微笑んだ。
謀略でキリキスを陥れよとした者とは思えない、澄んだ笑顔だ。
「弁解はないのか?」
俺は尋ねる。というか、納得の行く理由をきかせてほしい。
未練がましいと自分でも思う。
「いまさら無用でしょう」
だが、クルス自身によって逃げ道をふさがれてしまった。
「力を封じられたのが、そんなに不満か?」
「・・・カズサ様に理解できるとは思いませんが」
クルスはあきらめ混じりのため息をつく。
「魔王の従者は、自らの主のために生き、自らの主のために死す、いわば本能にも近い存在意義が設定されています。それゆえ、主を守るために力を振るうことに無上の歓びをおぼえ、ためらうことがありません。そのように造られた生命であるわたしたちが、主を守るために与えられた最強の力を封じられる苦痛ともどかしさが、カズサ様に想像できますか?」
「・・・・・最強の力と引き換えに、命を失うことになっても?」
「その通りです。もとより我らの血肉は、その一片に至るまで主に捧げられたもの。わたしたちは主のためなら万の軍勢に対しても、恐れおののくことはありません。ただひとつ、この世に怖れるものがあるとすれば、それは主が傷つき、倒れること。さらに最悪なのは、主の危機になす術もなく無力であることです」
「・・・単なる力への渇望でないのは理解した。だが、それでも俺たちは、お前たちが命を失う危険をおかしてほしくない」
「優しいカズサ様、わたしたち従者の命を惜しんで下さるのならば、なおさら主を守るために全力を尽くさせてください。なぜなら、主である魔王が亡くなれば、従者もまた同時に死ぬのですから」
俺は言葉を失い、クルスの笑みを眺めた。
「わたしたちの命と魂は、主である魔王に依存しています。主を失った従者は、存在意義を失い、速やかに息を引き取ります。必殺技を使用して死ぬのも、必殺技を使わないで主を失うのも、結果は同じなのです。ならば、己が持って生まれた使命を全うして死にたいと思うのは、ごく自然な心情ではないでしょうか?」
しばらく考え込み、俺は答えた。
「いまここで安易に判断は下せない。だから、答えが出るまでは今までと同じように、必殺技と、従者が死亡するリスクのある能力の行使は、引き続き厳禁だ」
「・・・承知しました。では、あとはわたしへの処分だけですね?」
あらためて言われて、ためらいを覚える。
クルス達の生来の事情を考えれば、情状酌量にはなる。
だが、キリキスをそそのかしたことは、感情的に許せない。
俺がためらっているのを見て
「なにを怖気づいているのですか。たかが女ごときに罰を与えられないで、男と言えるのでしょうか?」
手の甲で口元をおさえ、笑いをこらえるクルス。
そこまで馬鹿にされ、怒らない男がいるだろうか?
俺は牢屋の扉をくぐると、クルスの前に立った。
彼女は座ったまま、上目遣いに俺を見る。
俺の手には、あらかじめ用意しておいた棒を握っている。
そんなに長くはない。せいぜい一メートルほどか?
「それをお使いになりますか? ですがカズサさんはお優しい方。はたして女に手を上げることができますか?」
殴ったことはあるけどね。
「それに非力ですし、従者であるわたしに悲鳴をあげさせるほどの痛みを与えられるのでしょうか?」
あからさまな挑発。からかうような視線。
俺は棒の先端をクルスの顎にあて、彼女の顔をあげさせる。
彼女は逆らわず、顔をあげて笑った。
「殴られるのが望みか?」
「カズサ様の欲するままに」
「・・・罰を望むものに罰を与えて、それが罰になるのか?」
「さあ、どうでしょうか?」
肩をすくめ、わざとらしくとぼけるクリス。
・・・どうして俺を怒らせようとしているのか?
クルスの意図が分からないが、一つだけ明らかな点がある。
アルフの主として俺を表面的には敬いつつも、根本の部分で彼女は俺を甘くみている。
優しいなどと揶揄するが、本気でそれを信じているのかもしれない。
・・・たぶんだが、それは違うと思う。
「いいや、ならないさ。俺は犯した罪にクルスが苦しみ、嘆く姿が見たいんだ。ならばもっと良い方法がある」
優しい人間が、こんなことを言えるはずがない。
クルスの顔が蒼ざめる。俺の笑顔を見て、俺の本性の一端を垣間見たのかもしれない。
「アルフを鞭打ってみようか? それとも」
クルスが、壊れた。
「やめてください!どうかそれだけはお許し下さい!アルフェシオ様は関係ありませんあの方には手を出さないで下さい!わたしを!どうかわたしだけを!なにがお望みですか!何でもいたします!ああ!ああ!どうすればいいのですか!おっしゃってください!ごめんなさい!ごめんなさい!二度と愚かな真似はしません!ああ!ああ!あああ!どうすればいいのでしょう!わからないんです!ほんとうにわからないんです!!」
喉が裂けんばかりに喚き、涙をまきちらし、俺にすがりつくクルス。
・・・他の人がいなくてほんっとうに良かった。
この情景を見られたら、弁明の機会さえなく有罪決定だろう。
主が危機の際、キリキスは、無感情な殺意の人形となった。
主を拷問すると脅しただけで、クルスは狂乱する木偶となった。
彼女たちを創造したのが何者なのか、まじめに追求したことはない。
だが、どんな理由であれ、この哀れな生き物たちを造った罪だけで、心の底からの憎悪を抱いた。
俺はクルスの頭を撫でた。他に、どうすればいいのか思いつかない。
次第に言葉がなくなり、ただ泣きじゃくるだけになったクルスを見るのに忍びない。頭を撫でる手を休めることなく、ぼんやりと天井を見上げた。
「つまり、いつか俺がアルフを捨てるんじゃないかとか、そんな感じか」
クルスはこくりと頷く。まるで幼児のようなしぐさだ。
「なんでまたそんな途方もない想像をするかな」
逆なら大いにありえるけど。
そうなったら、泣いてアルフにすがりつく自信があるね!
「・・・不安、だったのです。カズサ様はいろいろ準備されていますが、魔王群の襲来は熾烈を極めるでしょう。そうなれば、確実に力を手に入れるためならば」
「ああ、例のあれか?」
他の魔王を殺すと能力アップするとかいうやつ。
「カズサ様は、その、お優しいですから。自ら手を下すのはためらうでしょう。しかし、いざとなれば背に腹は代えられず、たとえばアルフェシオ様に無謀な戦いを強いて、その」
アルフが死ねば、隷属の絆効果で、主人である俺が力を得る、と。
「ですから、わたしが懸命にお仕えすれば、主であるアルフェシオ様も」
それこそ片腕とか半身とか言うほどに随身すれば、クルスの主人であるアルフも無碍にはできないと。
戦いになれば、意見具申という形で俺を制御し、アルフの身を守る。
「俺を挑発したのは?」
「その・・・怒りに任せてわたしを打擲しているうちに、加虐の劣情をもよおされて手籠めにするかと。ずるずると深みにはまってわたしの身体に溺れてもらえれば、主であるアルフェシオ様の身も安泰かと考えました」
・・・怖いぞ、ほんとうに怖いぞクルスさん!
「カズサさんはその、女の方に囲まれても、積極的ではないというか・・・・興味がないわけではないのは視線とか口元を拝見すればあきらかなのですが」
あきらかなんだ! バレテマシタカ!
「ひょっとすると特殊な性癖をお持ちなのかと」
あなたの主人の目が怖いからです!
うっかりラキスとかフィリラちゃんとかクルスとかキリキスの胸元とか、偶然にも目を向けると、剣の柄に手をかけるんだもん!
わかっているなと、目が凄んでいるんだから!
「偶然にしては相手と回数が多すぎるようですが。では、特殊な趣味はまったくないと?」
誤解です! 普通に誘惑するだけで簡単に堕ちます! まずそっちを試して欲しかった!
ぜんぜん興味がないといえば嘘になるけど!
「・・・・なんだかいろいろ考えていたんだなあ」
「・・・・もうしわけありません」
気持ちは分かるけど。俺もいろいろ大言壮語しているけど、まだろくな成果も出していないし。そりゃ将来に不安を持つよな。
誰も見捨てない。
言うのは簡単だが、どうだろう。我が身可愛さに裏切るかもしれない。
なら確実なのは、裏切る必要がないほどの力を手に入れるしかない。
「まあ、しばらくは様子見をしてもらうしかないか。どうしてもダメなら、アルフを解放するから」
「え?」
「お互い、気心も知れてきたしね。別に隷属関係を解消しても、協力していけそうだし」
「・・・本気、なのですか?」
「だってさ、現状、主人とか奴隷とか、関係がないでしょ? それどころか、俺の立場の方が微妙に低いよね?」
失敗すればアルフに怒られるし、胃袋は完全にフィリラにつかまれているし、クルスがいなければ仕事はにっちもさっちもいかない。
「いけません!」
「え? なに!」
クルスが血相を変えて詰め寄ってくる。
「隷属の契約は――――」
言葉が止まった。
いや、彼女は言葉を発しようとするが、声が出ない感じだ。
懸命に喉を唸らせ、必死になって何かを伝えようとしている。
息が詰まり、だんだんと顔色が赤くなる。
窒息寸前だ。
ドン、と背中を殴った。
それがはずみとなったのか、クルスは咳き込みながら呼吸を繰り返す。
それでも諦めず、再び声を出そうとするので、俺は手のひらで彼女の口をふさいだ。
「俺の考えが当たっているか、教えてくれ」
口をふさいだまま、問いかける。
「なにか、秘密を話せないような処置をされているのか」
クルスが涙目で頷いた。その必死な様子に、嘘は感じられない。
正直、異世界を舐めていた。そんな技術まであるのかと驚嘆する。
モラルの評価はどんどん下降線をたどっているが。
「隷属の魔術には、なにか秘密があるんだな?」
問いかけるが、クルスは肯定も否定もしない。身体が硬直している。
そこまで徹底して従者を制御できるのか。
ばかばかしい。秘密があると暴露しているようなものだ。
「わかった、何も聞かない。クルスも何も話すな。いいな?」
彼女が身体を縮こまらせ、困惑した表情で頷く。
いま俺は、彼女の唇を抑え、身体を抱きしめている。
遠くから、けたたましい足音が接近してくる。
全力疾走のようだ。ものすごい勢いで近づいてくるのが分かる。
「ヒイイ!」
「それはあまりに無体ではありませんか?」
俺が悲鳴をあげてクルスを突き放すと、彼女は恨みがましい目で見上げてきた。
「まにあったか!!」
アルフが牢屋に猛然と突入してきた。
「わたしを拷問してくれ!」
「なにを言ってるんだおまえは!!」
「考えてみれば従者の罪は主の罪! ましてや我が身はカズサの奴隷! わたしが罰を受けずして、誰が受けると言うのか!」
「アルフェシオ様! いけません! これはわたしただ一人の罪! わたしが立てた愚かな企てに下される当然の報い!」
「ならばなおさらだ!」
「アルフェシオ様!?」
「従者の愚かな企てを察し、止められなかったわたしにも罪がある!」
「アルフェシオ様!」
「クルス、もうそんな堅苦しい呼び名はやめてくれ。みんなと同じくアルフと呼んでくれ。もはやわたしたちは主従を越えて姉妹のようなものではないか」
「・・・アルフ様、嬉しゅうございます!」
「クルス!」
ひしっと抱き合う美しき主従愛。
感動の涙を抑えがたく、俺は鼻水をチンとかんだ。
「それじゃ、ふたりとも一緒に拷問ね?」
「「・・・え?」」
一時間後、美少女達はいきもたえだえに、冷たい石の床に身を横たえていた。
身動きさえままならず、顔が苦悶に耐えて歪んでいる。
「あ、悪魔なのかおまえは・・・」
「こ、こんなの、ひ、ひどいです・・・」
彼女たちはともに肩を震わせ、涙をこぼす。
そんな二人に慈悲のかけらなく、俺は手にした棒でクルスの足を突っつく。
「ひいいいいいいいい」
ほとばしる絶叫。容赦なく二度、三度と繰り返すと、悲痛な叫びを続ける。
「ま、待ってくれ、それだけは!」
アルフの懇願を無視して、同じように棒で足を突っつく。
「あ、ああああああああ!」
彼女も背をのけぞらせ、甲高い悲鳴をあげる。
文化の違いだろうか、彼女たちは正座に全く慣れていなかった。
靴を脱いで正座しろと言われ、戸惑いながらも俺の指示通りに石の床に座る。
これが拷問なのか?
ただ座らせられるだけで何もされないことに不審げに首をかしげるふたり。
だが五分、十分と経つうちに、次第に脂汗を浮かべはじめた。
その間、おれは説教を続けた。内容などはどうでもいいのだ。
正座をさせて説教、故郷では定番のスタイルだ。
最初こそ神妙に耳を傾けていた彼女たちだが、次第に集中力が途切れ、足の苦痛に気を殺がれだす。
「ちゃんと聞いているのか?」
そのタイミングを見計らい、後ろに回った俺は手にした棒で足の裏をつっつく。
小さく悲鳴をあげるが、それでも最初は懸命に耐えていた。
俺の説教は次第にゆで卵は半熟が是か非かなど、哲学的な命題についての考察をまじえだした。
その時点で、その目は虚ろになり、ただひたすら苦行の終わりを待ち望むようになっていた。
「よし、正座をやめていいぞ」
俺が優しく告げると、彼女たちは感謝のまなざしで俺を見上げ、立ち上がろうとした。
ころん、と転がるふたり。
そう、初めて一時間も正座を、しかも石畳の上で続けて、立てるはずがない。
始めて体験する異常な足の痺れに、二人はのた打ち回る羽目になった。
「さて、そろそろ再開しようか?」
そう言ったら、彼女たちの顔が絶望に染まる。
「た、頼む! もう許してくれ!」
「ご、後生です、ご主人様! 堪忍してください!」
テンパッたクルスが変な呼び方をする。
さすがにかわいそうになった。
「うーん、そもそもアルフが付き合う必要はなかったんだよな。ふたりで参加するというから時間は半分にしたんだけど・・・・クルスひとりなら倍の時間だけど、どうする?」
俺の言葉に、クルスがハッとして主を振り返ると・・・・アルフはすっと目をそらした。
「あ、アルフ様?」
「そ、その、すまない、クルス」
「そ、そんなアルフ様!」
うーん、なんだか麗しい主従愛に、余計な不信と亀裂を生み出しそうだ。
「まあ、十分に反省したようだし? 今後気をつけるなら」
「反省しました! 邪神の潜む闇よりも暗く! 煉獄の業火よりも紅く! 反省いたしました!」
なんだか呪術の儀式みたいな文句だが、誠意?は伝わった。
「よし、じゃあおしまい」
ふたりのもだえ苦しむ姿に、いろいろ切羽詰っていた俺も安心した。
そうして立ち上がり、牢屋を出て
地上へと続く階段の入り口で、立ちすくむ彼女たちを見た。
顔面真っ赤なフィリラと、氷点下の視線のラキスとキリキス。
ああ、これは終わったな。