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 それはたぶん誰も覚えていない物語。


 その日、少年は苛立っていた。

 気に入らないことがあったのだ。

 苛立ったままで、少年は自宅の庭を歩く。

 大財閥と呼ばれる家の大きな屋敷の庭は、広く植え込みも毎日庭師によって綺麗に整えられ、花々は咲き誇り、美しいが、そんなものは全く少年の心を慰めなかった。


 少年には一つ年下の従弟がいた。

 よく従弟は少年の家に遊びに来ていて、少年にとって一番の遊び相手だった。

 その従弟が今度遠くに引っ越すのだという。しばらく会えなくなるのだと、いう。


 それを聞き、今挨拶に来ているという相手を探して、部屋を飛び出した。

 姿を探せば今に近い廊下にその姿を見つけた。

 両親と共に来たはずだが、一人の様子の従弟に不思議な思いはしたが、今はそれどころでない。

 見つけて捕まえしだい「行くな」と告げる。

 突然のことに驚いていた従弟だったが、他人行儀な態度で挨拶をするだけで頷いてはくれなかった。


 少年もわかっていた。

 少年も従弟もまだ幼い。

 少年のわがままで、従弟を両親から引き離すことはできないし、自分がついていくことはできない。

 それでも少年にとって従弟は一番の友達だったのだ。


 離れたくなくて、わがままだとわかっていて「行くな」と言ってしまう。

 だが少年が何を言っても従弟はいつもの無表情のまま、首を縦に振ってくれなかった。

 それでもやめない少年にとうとう従弟は珍しく怒ったように眉を跳ね上げた。


 見たこともない剣幕に驚いたが、売り言葉に買い言葉で少年と従弟は取っ組み合いの喧嘩になってしまった。

 慌てた家人に止められたが、気づいたときには従弟はボロボロになっていた。

 もともと体格のいい少年と、一つ年下で小さな体しか持たない従弟とでは喧嘩にはならなかった。

 なんだか弱いものいじめしたみたいで、自分でもまずいことをしたと思えば、案の定母親に怒られた。

 自分が悪いことはわかっていたが、どうしても素直に謝ることができなかった。


 母親の叱責に部屋を飛び出し、今に至っていた。


 少年は苛立ちに一番近くにあった木を拳で殴った。

 普通の少年ではビクともしないであろう太い幹のそれだが、良くも悪くも少年は普通ではなかった。

 力いっぱい殴られた木の幹は痛みに怒るようにゆさゆさと震わせた。

 と。


「っ……ひあ!」


 突然頭上から悲鳴が聞こえた。

 なんだ、と見上げれば、頭上から人間が降ってきているのが見えた。

 それが人だと認識すると同時に、それは少年の上に落ちてきた。


「うわ!」


 かろうじて受け止めるも、自身のバランスを崩してその場に転がる。


「あたたた……」


 痛みに顔をしかめて、相手を見る。

 少年の体の上でうずくまるようにしているのは幼い少女だ。

 おそらく少年より年下だろう。

 薄い蒼のワンピースを着ており、長い黒髪を頭の天辺で一つに結わえている。

 と、それまでうずくまっていた少女の腕の中からそれは飛び出した。


「ふしゃああああああ!」

「っ!!」


 突然威嚇するような声が聞こえたかと思うと、猫が飛び出してくる。

 白い毛並みの子猫のようだが、興奮しているようで毛を逆立て、一息に走り去ってしまった。

 一瞬何が起こったのか分からず、呆然としていたら、少女が突然盛大に泣き出した。


「いちゃあああ、うわあああああん」


 大声で泣き叫ぶ少女を踊りきながら見れば、その手と頬に引っかき傷が走っているのが見えた。

 どうやら、猫に引っ掻かれたあとらしいことに気づくが、きづいただけでは少女は泣き止まない。


「なんで泣く?」

「う、ひっくひぐ、にゃあちゃんが……」


 一瞬にゃあちゃんとはなんなのかを思ったが、先ほど逃げていった猫のことだろうと思い直す。


「猫?」

「木からおりられなくなってたから、助けたのに……気がゆさゆさゆれて……」

「ああ」

「助けようと思ってたのに、バリバリって……」


 なんとなくだが事情を察した。

 どうやら少女は木の上で降りられなくなっていた猫を助けようとして気に登り、少年の一撃で揺れた木から振り落とされたらしい。

 そしておそらくその拍子に猫と落ちたが驚いた猫が顔や手を引っ掻いて、今に至るのだろう。


「にゃあちゃん、バリバリって、痛いって……ひ、ひぐ!、ふええええん」


 再び大きな声で泣き叫ぶ少女。その様子に、少年は苛立ち、耳を塞いで思わず叫んだ。


「うるちゃい!なくにゃ!」

「っ!」


「うるさい、泣くな」と言ったつもりだったが、とっさに出てきた言葉は滑舌の悪さでおかしな言葉になった。

 少年の言葉に思いがけず、少女は驚いたようにぴたりと口を閉じた。恥ずかしさに顔をが赤くなるのを感じた。

 少年はもうすぐ六歳になろうかという年だが、滑舌が悪く、意識していないと幼児言葉のようなものが飛び出してしまう。

 一番、言葉を覚える時期に、両親が仕事に忙しく少年に構えなかったためか、本来の世話役が産休に入っていたためか。周囲にいる大人も子供も少年の立場に遠慮して誰も指摘する者がいなかったため長いこと放置されてしまったためなかなか直らなかった。

 現在はそれに気づいた仕事復帰した世話役と訓練しているので、落ち着いて話せば、正しい発音ができるようになっていたが、とっさのときに出る言葉は滑舌が悪いままだ。

 周囲はそれについて何も言わず、あいまいな顔をするだけだが、プライドの高い少年には嘲笑われているように思われて気持ちが良いものではない。

 たぶん少女の微妙な顔をしているのだと思ったら、突然「ぷ」と吹き出し音が聞こえたかと思えば。


「ぷっあはははははは」


 先程まで泣いていたというのに、少女は大きな声で笑う。

 バタバタと手さえも振って大笑いする少女の様子に呆気にとられる。


 自分の滑舌の悪さを笑われているのだということはわかった。

 しかし、なぜか不思議と嫌な感じはしなかった。


 単純に面白いと笑う少女に少年自身を笑っているわけではないとなんとなくわかったからか。

 むしろ笑う、少女の様子に、少年自身もふっと面白くなった。


「……そんなに笑うな」

「だって……ぷぷ、りゅうくんみたい」


 少女の言葉に突然出てきた名前を聞き返せば、彼女の弟なのだという。

 これには少しむっとした。明らかに年下の少女の更に下の弟と同列扱いとは。


「あまり笑うな。失礼だぞ?」

「う、ごめんなさい。でも……っ!」


 ぷぷぷ、と笑う少女が瞬間顔をしかめた。

 頬の傷に思わず触れて、痛かったらしい。

 痛みを思い出したのか、顔をしかめる少女。目に涙が滲んでいる。

 その様子に、少年は少女の怪我を治す方法がないか、考える。

 一応こうなったのも自分が木を殴ったせいだと思わなくもない。

 見れば少女の怪我は手の甲と頬に走った引っかき傷だ。

 少年はそっと少女の腕を掴んだ。


「泣くな。治してやるから」

「へ?」


 突然身を寄せてきた少年に少女が驚くが、構わずその手に口づけ、傷口を舐めた。

 少年は吸血鬼だった。そして吸血鬼の唾液には治癒の効果があるのだ。

 しかし、知識としてそれを知っていたが、実際に治すのは初めてだ。

 涙に濡れた少女の答えなど聞かず、少年はそっと少女の手の甲に唇をよせ、血を舐めた。


 ちろりと滲んだ血を舐めれば、不思議な甘味が口にひろがり、僅かに体の充足を感じる。

 母親から血をもらったことはあった。しかし、その味はまるで違った。

 魔力も強い母親の血はどろりと濃厚で、少量で満足できるものではあるが、少女のものはみずみずしく、いくらでも飲める水のようだ。だがその分満足には程遠く、もっともっとという本能的な飢餓が少年を支配する。

 思いがけず手だけと言わず、少女の頬の傷から滲む血にも唇を押し付け、吸い上げる。

 少女の小さく柔らかい体を引き寄せれば、甘いミルクのような香りがした。

 もっともっと。頬の傷を舐め尽くしたあとも衝動は止まらない。

 思わず本能のままに頬から首に標的を移そうとした時だった。


「っ、お兄ちゃんくすぐったい」


 不意に身じろいでそんなことをいう少女の言葉にハッとする。


「っ、悪い!」


 慌てて身を離す。自分でも感じたことのない衝動に少年は自分の心臓が早くなっているのを感じる。余韻に動けない少年を不思議そうに見つめる少女だが、不意に痛みが消えているのに気がついただろう。

 不思議そうに傷の消えた手と頬をペタペタと触ったかと、目を丸くした。


「すご~い、もう痛くない。魔法みたい!」


 手を振り回し、驚いたあと笑みを浮かべる少女。

 そのくるくる変わる表情が思いがけず可愛くて、どきっと吸血衝動による動揺とは違う同様を覚えた気がした。

 同時にもっと少女の顔が見たいと思った。

 不思議な感情に驚くとともに疑問を感じた。

 少年は実は女が嫌いだった。

 男と違ってすぐ泣くし、癇癪起こして、そのくせ口ばかりが達者で面倒くさい。

 少女にはそんな嫌悪感を感じなかった。


「お兄ちゃん、何をしたの?」


 聞かれるも吸血鬼のことは誰にも話してはいけないと強く言いつけられている。

 聞かれたものの答えられない。しかし答えを嬉々として待つ少女の透明な推奨みたいな瞳になぜかなのも返さないのは悪気がして、不意に先ほど少女が口にいた言葉を思い出す。


「魔法をかけた」

「っ、やっぱりお兄ちゃんは魔法使いなんだね?」


 頬を高揚させ目をキラキラさせる少女の様子に、思いがけず少年はたじろいだ。

 自分で言っておいて、なんだが、まさか信じるとは。

 少年の周りには子供は少なく、なおかつすれている子供が多いので、少女のように素直に言ったことを信じることはない。

 大抵あんなことを言われても笑われるだけだ。少女の反応が新鮮で、だがその分その騙されやすさに少し不安を覚える。

 そんな心配されていると思っていないのだろう、少女はキラキラした目で更に興奮したように質問してくる。


「ほかには?ほかにはどんな魔法が使えるの?」

「そ、それは……」

「なんでもできるんだよね?魔法って」


 少女の言葉に不意に従弟のことを思い出した。

 魔法がなんでもできるだって?そんなものが存在するとでも?

 少なくとも自分の使える範囲のものはそんなものじゃない。


「魔法ってそんなに万能じゃない」

「……おにいちゃん?」


 少年の変化に少女が不思議そうな顔で見上げてくる。


「どうしたの?何かあったの?」


 そわそわと、少女が心配そうに少年を覗き込んでくる。

 その様子に思わず少年は少女を抱き込んだ。

 子供特有の高い温度にホッとする。

 それから、ポツリと漏らす。


「……友達と喧嘩したんだ」


 いや、友達だったのだろうか。今となってはすでにそれすらわからなかった。

 だって、「行くな」って言ったのに従弟の顔は動かなかった。

 その様子はまるで大人のようで、さみしがっているのは自分だけのような気がした。

 友達だったら、もっとさみしがってくれてもいいのに。

 いつだって従弟の気持ちはわからなかった。


「一緒に遊ぶのが楽しくて、でもそれは俺だけだったのかもしれない」


 いつも一緒にいた従弟。

 少々表情に乏しい子供だったが、それでも嫌な顔は見せなかった。

 遊びに誘えば、ついてきたし、てっきり一緒に楽しんでいたのだと思っていたのに、実際にはどうだったのだろう。

 子供のような年上の従兄の面倒をいやいや見ていたのだろうか。

 だからさみしがっているように見えなかったのだろうか。

 離れるのが悲しくて寂しくて。普段は気にならない従兄弟の無表情に少年は苛立ってしまった。

 そんなのはもう友達じゃない気がしていた。だからといって喧嘩をしていいわけじゃないけれど、やるせない気持ちは言葉にできなくて、思わず手が出てしまった。


「その人、もう友達じゃないの?」


 少女の質問に答えられなかった。相手はどう思っているのだろう。

 やはりこんな暴力的な自分は友達とは認められなれないだろう。

 だが。


「俺はそう思ってた」

「お兄ちゃんはその人のこと嫌いなの?」


 嫌いか好きで言われたら、嫌いじゃない。というのが本音だ。

 例え裏切られていたとしても、従弟を嫌いにはなれなかった。


「お兄ちゃんは友達やめたいの?」

「そういうわけじゃ……」

「だったらお兄ちゃんが謝ればいいだけじゃない?」


 不思議そうな顔をする少女の言葉に目を丸くする。


「なんで俺が!」

「喧嘩は両成敗だっておばさんが言ってた」


 年下の少女の言葉に思わず口を噤む。


「仲直りしたいなら、さっさと謝ったらいいとも言ってた」


 にっこりなんでもないことのように笑われ目を丸くする。


「お兄ちゃんが友達でいたいならごめんなさいすればいいんだよ」


 そうすればきっと大丈夫、と実に簡単に言ってくれる少女。

 そんなことで本当にいいのだろうかと思う。

 しかし、謝れば何もかもうまくいくと屈託なく笑う少女になんだかバカらしくなって、少年は笑った。


「……善処してみる」

「ぜんしょ?」

「頑張ってみるってことだ」

「うん、頑張って?……あ、そうだ!」


 笑う少女は突然、ピョコりと立ち上がる。

 ちょっと待ってて、とくるりとワンピースの裾を翻し、少女は走り去る。

 突然消えた少女に驚くが、すぐに少女は止まり何かを持って戻ってきた。

 先程から一度の落ち着きもなくくるくると変わる少女の姿は見ていて飽きない。

 少年の周りにいる同年代の少女はいつも服が汚れるのを気にして動かないし、顔にも張り付いたような笑みを浮かべるばかりだ。

 そんなことを考えていたら、突然何かを差し出された。


「はい、あげる」


 見上げれば、いつの間にか戻ってきたらしい少女が何かを差し出していた。

 お腹が減ってたら頑張れないでしょ? と差し出されたものを思わず受け取れば手のひらくらいの大きさのカップだった。

 表面は赤いと黄色の派手な着色のされたあまり品の良くない文字の踊る印刷がされたアルミでふさがれている。

 軽く振ってみたら、下の透明のプラスチックの中のクリーム色の物がぷるぷると揺れる。

 表面を見ればそこには文字が書かれていて、読み上げた。


「……ぷっちりプリン?」


 プリン?これが?食べ物?

 少年もプリンを知らないわけではない。

 しかし、家で出されるプリンはきれいな皿に盛られ、周りにアイスクリームや果実ソースなどがかかった代物だ。

 こんな安っぽいパッケージにカップに入った状態の物を少年は知らなかった。

 だが、満面の笑みで「三つあるから一つあげる」と差し出されるそれを受け取らないわけにもいかず、少年は受け取った。

 そしてなぜか平べったい紙にはいった小さな木の板まで渡される。

 これはなんだろうと、まじまじ見ていたら、ゴーンと音が響いた。

 大きな音に驚いて頭上を見上げれば、家にある時計塔が十二時を告げていた。

 海外の有名な建築家が築いたという時計塔をそのまま移築したというそれは館のシンボルとなっている。

 大きな音だが少年にとって、日常的な音だったが、少女は驚いたように目を見開いて見上げている。

 それから少女が何かに気付いたように「あ」と声を上げた。


「いけない。お母さんと約束してたんだった。行かなきゃ!」


 突然、少女は立ち上がり、走り出す。


「え?あ、おい!」


 小さな体は意外に素早く、あっという間に庭の木々に紛れていなくなってしまった。

 挨拶もなく、立ち去った少女。

 あまりに突然の行動にそれを呆然としていたら、背後から声をかけられた。


「……坊ちゃん?」


 若い声に振り返れば、最近は入ったという世話役の声だと気付いて振り返る。


「どうしたんですか?こんなところで?ぼけっとして。それにそれ……」


 世話役は目ざとく少年の持っていたものに気付いて、目を丸くする。


「なんでぷっちりプリン?」


 うわあ、懐かしい。とはしゃぐ世話役の様子になんだか自分が無知な気がして面白くない。


「……お前はこれがなんなのか知ってるのか?」

「え?ええ、まあ。でもなんで坊ちゃんがそんなものを?」


 怪訝そうに眉を潜める世話役に「もらった」と告げれば「誰に」と聞き返された。

 それを聞いて、そういえば名前も素性も聞けなかったことを思い出した。


「知らないやつだ」

「知らないって?え、ちょっと、不法侵入者?」


 慌てる世話役に少女のことを伝えれば、相手がまだ幼子であったことに安堵の溜息を洩らし、それから「どこの子だろう」と首を傾げた。


「父様の仕事関係の子とかじゃないか?」


 何気なく言ったものの、世話役は頷かなかった。


「今日は旦那様はこちらにはいらっしゃいませんし、ご親族以外の来客の予定も聞いてませんが……」

「じゃあ、使用人の子供か?」

「どうでしょう?可能性は否定しませんが……」

「ハギレが悪いな。ここにいる時点で迷いこんだわけじゃないだろう?」


 少年がいるのは、少年の家である邸宅の庭園だ。

 周りは高い柵に囲まれ、セキュリティもしっかりしているので、子供といえど関係ない人間が入り込めるわけがない。


「私も館の全部を把握しているわけじゃないので……でも、珍しいですね?」

「何がだ?」

「ぼっちゃんが他の子供のことを気にするなんて」


 指摘されて、初めて気づく。

 そう言えばそうだ。今まで同年代の子供と遊んでも、相手が誰だとか気にならなかったのに。

 名前を聞かなくても二度と会えなくてもなんとも思わなかった。

 それなのになぜかあの少女にはまた会いたいと思ってしまった。

 それをなんとなく口にしてしまえば、世話役が面白そうに笑った。


「それは、あれですね?」

「なんだ?」

「ぼっちゃんのシンデレラ!」


 突然の世迷言に呆気にとられる。しかし世話役は面白そうにニヤニヤしながら続ける。


「十二時の鐘に透明プラスチックのプリン残して去る女の子とか。案外その女の子運命の恋人かもですね~」


 むふふ、と笑う世話役にあきれる。


「シンデレラはガラスの靴だろうが。それに今は昼の十二時だ」


 指摘すれば、子供のくせに夢がないですね、と口をとがらせる。


「実際にガラスの靴を履ける人間なんていませんから、いいじゃないですか?」


 ぶうぶう言う世話役にお前は大人のくせにと言いたくなった。

 が、相手にするのも面倒になり、ため息を吐いた。


「シンデレラはどうでもいいから。それより戻る」

「あ、怒られる覚悟を決めました?」


 奥様、かなりカンカンでしたよ、いらぬ情報を入れてくれる世話役をにらむ。


「……母様にもだが、先に謝りに行く」


 名前は言わなかったが、世話役はわかってくれたみたいだった。

 居場所を聞いてきます、と世話役は踵を返す。


 立ち去る背中を見送り、ふとそう言えば先ほどの子供の素性を調べてもらう命令を忘れたと思った。

 後で言えばいいか、と思ってその場を少年はあとにする。


 しかし、その後なかなか言い出す機会がなく、やがて少年は少女のことを幼い記憶の中に忘れ去った。


 月日が流れ、遠い昔の記憶に成り果てたその日の出来事を皆が忘れ去った頃、物語は動き出す。

 遠い昔の記憶を覚えているものなどいない。

 これは誰も覚えていない物語。


 余談ではあるが、世話役に許可を得て食べさせてもらったプリンがあまりにおいしすぎて、はまりまくって後々まで少年の大好物となるのは別の話。

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