アリスガワ・ライの平和だったころの日常
人口と文化、経済が一極集中する首都のクリーチラードは平和な日常で賑やかだ。その一方で、ロビヤ帝国との国境沿いは戦争が始まる前の平穏である。
『雷鳴の淑女は紅茶を嗜む』
午前十時。
庭園に面した白亜のテラスにて、私は静かに紅茶を傾けていた。
プルハイチャ国の春は穏やかだ。
柔らかな陽光が花弁を透かし、風はほんのりと甘い香りを運ぶ。
けれど、その平穏がどれほど脆いものか——私は誰よりもよく知っている。
「本日の予定でございます」
執事が音もなく一礼する。
「外交官との非公式な会談が一件。それと、貴族会の茶会が午後に」
「ええ、把握しているわ」
私は微笑んでカップを置いた。
ロビヤ帝国とは既に断交している。
正式な交渉は存在しない。
それでも“非公式”という名の探り合いは続く。
戦争の匂いは、こうした曖昧な場に最も濃く滲むものだ。
私は立ち上がり、手袋をはめた。
「……今日も、優雅に振る舞わなければ」
そう、私は“悪役令嬢”。
人々はそう呼ぶ。
雷を操る女——それが理由だ。
かつて、社交界の一幕で。
無礼な貴族の言葉に応じるように、空が裂け、雷が落ちた。
偶然ではないと、誰もが理解した。
それ以来、私は畏怖と噂の対象になった。
——けれど。
「……便利な仮面よね」
恐れられるということは、距離を保てるということ。
そして、情報もまた集まりやすい。
私は“悪役”であることを利用している。
午後の茶会。
華やかなドレスと笑顔の裏で、言葉は刃のように交わされる。
「ロビヤ帝国は、最近動きが活発だとか」
誰かがそう切り出す。
「ええ、広大な国土と資源を欲しているのでしょう」
私は淡々と答えた。
誰もが知っている。
この国——プルハイチャが狙われていることを。
レアアース。
戦争の時代において、それは金よりも重い。
「アリスガワ様は、どうお考えで?」
探るような視線。
私は軽く微笑む。
「そうね……もし戦争が始まるなら」
一瞬、沈黙が落ちる。
「その時は、雷が鳴るでしょうね」
曖昧で、しかし意味深な言葉。
それ以上は何も語らない。
夕刻。
自室に戻った私は、窓の外を見つめていた。
遠くの空に、黒い雲がわずかに滲んでいる。
「……準備は整っているわ」
亡命の手配。
資産の分散。
信用できる者たちの配置。
すべて、静かに進めてきた。
私はこの国を愛している。
けれど——
「滅びに殉じる気はないの」
それが私の選択。
悪役令嬢と呼ばれようと、構わない。
生き残ること。
それが、すべてに優先する。
指先に、微かな電光が走る。
ぱち、と小さく弾けた。
「……まだよ」
本当の雷鳴は、まだ先だ。
戦争が始まるその日まで。
私はただ、紅茶を飲みながら——
優雅に、世界の終わりを待つ。
プルハイチャ国のお嬢様で平穏を過ごした。だが、レアアースや広大な農地を巡りロビヤ帝国との関係が悪化傾向にある。敵国の国境沿いにロビヤ軍が配備され始め、危険に瀕している。




