第七章 第二王女アリシア
王都での生活が二ヶ月目に入った頃、柏木のもとに一通の手紙が届いた。
王城からの正式な招待状だった。差出人は、クロンシュタット王国第二王女アリシア・フォン・クロンシュタット。
「王女殿下が……?」
セリアは手紙を読み、眉をひそめた。
「アリシア王女は、綻び対策の王室推進派の中心人物です。第一王子が保守的で現状維持を主張しているのに対し、王女は積極的な綻び対策を訴えています。あなたの能力に興味を持つのは当然でしょうが……」
「また政治か」
「残念ながら。ただ、王女の招待を無視するわけにはいきません。行きましょう」
翌日、柏木はセリアとリーナを伴い、王城を訪れた。
王城は市街地の中央にそびえる壮大な石造りの建築だった。七つの尖塔を持ち、最も高い塔からは王家の紋章を描いた旗がはためいている。城門をくぐると、広大な中庭を通り、幾つもの廊下を経て、王女の居室がある東の塔に案内された。
部屋は意外に質素だった。豪華な調度品よりも、本と地図が目立つ。壁一面が書棚で埋め尽くされ、大きなテーブルの上には大陸の地図が広げられている。地図の上には、赤い印がいくつも打たれていた——綻びの位置を示しているのだろう。
「お越しいただきありがとうございます、柏木遼一殿」
立ち上がって迎えたのは、二十歳前後の女性だった。
銀色がかった金髪を肩まで下ろし、青い目は澄んでいるが、その奥に強い意志の光がある。王女にしては華美な装飾をまとわず、動きやすい服装をしている。
「セリア先生もお久しぶりです。リーナさんもいらっしゃるのですね」
アリシアはリーナにも丁寧に挨拶した。その態度に、身分の高さによる傲慢さは感じられなかった。
「単刀直入に申します」
アリシアは柏木に向き直った。
「私は、綻び問題を解決するための特別対策班を設立しようとしています。王室直轄の、貴族の利害に左右されない独立した組織です。その中核として、柏木殿の力をお借りしたいのです」
「特別対策班……」
「現在、綻びへの対処は各領主に任されています。その結果、領地内の綻びを自分の利益のために利用しようとする者、あるいは放置して被害を拡大させる者が後を絶ちません。統一的な対策が必要なのです」
アリシアは地図を示した。
「この地図上の赤い点が、確認されている綻びの位置です。百二十七か所。そのうち、拡大が特に深刻なものが十五か所。放置すれば五年以内に、三つの都市と十二の町が瘴気に飲まれます」
数字を聞くと、問題の深刻さが実感できた。
「柏木殿。あなたが綻びを修繕できることは、セリア先生からの報告で承知しています。しかし、百二十七か所の綻びを一人で全て直すのは不可能です。だからこそ、組織的な支援が必要なのです」
「具体的には、何を?」
「まず、修繕に適した順序で綻びを巡る遠征計画。護衛の騎士団の派遣。修繕に必要な魔力回復手段の確保。そして、修繕術の原理を研究し、他の者にも応用できないかの検討。セリア先生にはその研究を引き続き進めていただきたい」
アリシアの計画は、よく練られていた。柏木ひとりの力に頼るのではなく、組織として綻び問題に取り組む体制を構築しようとしている。
「俺は政治には関わりたくないんです」
柏木は正直に言った。
「政治に関わらせるつもりはありません。あなたには綻びを直すことだけに集中していただきたい。政治的な調整は、私が行います。貴族の干渉も、私が防ぎます」
「それは——ありがたい話ですが、信じていいんですか」
アリシアは苦笑した。
「疑うのは当然です。王族の言葉など、信用に足らないと思われても仕方がない。ですから、行動で示します。まず、ヴィクトル侯爵からの接触があったことは把握しています。彼の動きは私が牽制します」
柏木はセリアを見た。セリアは小さく頷いた。
「アリシア王女は、本気です。私は学院の研究者として、王女の綻び対策推進には以前から賛同しています」
リーナも口を開いた。
「リョウイチさん。私は、綻びを直してくれる人を支えたい。父がそうしたかったように。王女様の力を借りられるなら、それに越したことはないと思います」
柏木は少し黙り、それから頷いた。
「わかりました。ただし、条件があります」
「なんでしょう」
「最初に直す綻びは、ブランデルのもの。あの町の人たちに、約束したんです」
アリシアは微笑んだ。
「もちろんです。それから、柏木殿のパーティには追加の護衛をつけさせてください。今後の遠征に備えて」
「護衛?」
「腕の立つ者を一人、こちらで選定しています。明日、ご紹介します」
その夜、柏木は王城からの帰り道で、夜の王都を歩いた。
石畳の通りに、魔法の街灯がぼんやりと光っている。昼間の喧騒が嘘のように、夜の王都は静かだった。
運河沿いの道を歩きながら、柏木は元の世界のことを考えた。
東京の夜とは全く違う。ネオンの光も、車の騒音も、人混みもない。しかし——寂しくはなかった。
元の世界では、夜の帰り道はいつも一人だった。満員電車を降りて、コンビニに寄って、アパートに帰る。その道のりが、一日で最も孤独な時間だった。
今は、帰る場所がある。鍛冶場の二階の小さな部屋。そこでガルドの苦い茶を飲み、リーナの元気な声を聞き、新しい一日が始まる。
——俺は、幸せなのかもしれない。
元の世界では考えたこともなかった感想だった。
翌日、アリシアから紹介されたのは、意外な人物だった。
「マルクス・ヴォルフと申します。元・王国騎士団第三中隊長です」
四十代前半の、筋骨隆々の男だった。短く刈り込んだ灰色の髪に、鋭い目。左頬に古傷がある。全身から叩き上げの軍人の空気が漂っている。
「元?」
「五年前に退役しました。膝を怪我しましてね。第一線での戦闘は厳しいが、護衛任務なら十分務まります」
マルクスは柏木をじっと見た。
「あんたが世界を直す男か。見た目は普通のおっさんだな」
「おっさんは事実だ」
「気に入った。偉ぶらない男は信用できる」
マルクスはがっしりした手を差し出した。柏木はその手を握り返した。
こうして、柏木のパーティは四人になった。修繕師の柏木、剣士のリーナ、魔法使い兼研究者のセリア、そして護衛のマルクス。
四人で初めて一緒に食事をしたのは、学院の食堂だった。
リーナは物珍しそうに王都の料理を見つめ、セリアは本を読みながら食べ、マルクスはパンを三つ同時に頬張った。
「これが俺たちのパーティか」
柏木は四人の顔を見回して、不思議な感慨を覚えた。
三十五歳のおっさん修繕師。十六歳の剣士見習いの少女。二十代後半の堅物な研究者。四十代の退役軍人。年齢も経歴もバラバラだ。共通点と言えば、それぞれに過去があり、それぞれに前を向こうとしているということくらいだろう。
「変なパーティだな」
「変ですか?」リーナが首を傾げた。
「普通のパーティは、戦士と魔法使いと僧侶とか、もっとバランスが——」
「俺たちに普通を求めるな」マルクスがパンを齧りながら言った。「修繕師なんてクラスがいる時点で、普通じゃない」
「マルクスの言う通りです」セリアが本から目を上げた。「学術的に言って、修繕師を中心としたパーティ構成は前例がありません。私たちは今、新しい冒険の形を作っているんです」
「大げさだな」
しかし——悪い気分ではなかった。
柏木遼一は、前の世界ではチームワークとは無縁の人間だった。工場では一人で黙々と設備と向き合い、同僚との協力よりも個人の技術に頼ってきた。それが、人間関係を壊す一因にもなった。
しかし今は、仲間がいる。自分にできないことを補ってくれる仲間。そして、仲間のために自分ができることがある。
「よろしくな、みんな」
柏木が照れくさそうに言うと、三人がそれぞれの仕方で応えた。
「よろしくお願いします、リョウイチさん!」
「よろしくお願いします、柏木さん」
「ああ、よろしく」
綻びを修繕する旅の準備が、着々と整っていった。




