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綻びを繕う者 ~三十五歳の設備保全員、異世界で唯一の修繕師になる~  作者: のむ


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第七章 第二王女アリシア

王都での生活が二ヶ月目に入った頃、柏木のもとに一通の手紙が届いた。

 王城からの正式な招待状だった。差出人は、クロンシュタット王国第二王女アリシア・フォン・クロンシュタット。

 「王女殿下が……?」

 セリアは手紙を読み、眉をひそめた。

 「アリシア王女は、綻び対策の王室推進派の中心人物です。第一王子が保守的で現状維持を主張しているのに対し、王女は積極的な綻び対策を訴えています。あなたの能力に興味を持つのは当然でしょうが……」

 「また政治か」

 「残念ながら。ただ、王女の招待を無視するわけにはいきません。行きましょう」

 翌日、柏木はセリアとリーナを伴い、王城を訪れた。

 王城は市街地の中央にそびえる壮大な石造りの建築だった。七つの尖塔を持ち、最も高い塔からは王家の紋章を描いた旗がはためいている。城門をくぐると、広大な中庭を通り、幾つもの廊下を経て、王女の居室がある東の塔に案内された。

 部屋は意外に質素だった。豪華な調度品よりも、本と地図が目立つ。壁一面が書棚で埋め尽くされ、大きなテーブルの上には大陸の地図が広げられている。地図の上には、赤い印がいくつも打たれていた——綻びの位置を示しているのだろう。

 「お越しいただきありがとうございます、柏木遼一殿」

 立ち上がって迎えたのは、二十歳前後の女性だった。

 銀色がかった金髪を肩まで下ろし、青い目は澄んでいるが、その奥に強い意志の光がある。王女にしては華美な装飾をまとわず、動きやすい服装をしている。

 「セリア先生もお久しぶりです。リーナさんもいらっしゃるのですね」

 アリシアはリーナにも丁寧に挨拶した。その態度に、身分の高さによる傲慢さは感じられなかった。

 「単刀直入に申します」

 アリシアは柏木に向き直った。

 「私は、綻び問題を解決するための特別対策班を設立しようとしています。王室直轄の、貴族の利害に左右されない独立した組織です。その中核として、柏木殿の力をお借りしたいのです」

 「特別対策班……」

 「現在、綻びへの対処は各領主に任されています。その結果、領地内の綻びを自分の利益のために利用しようとする者、あるいは放置して被害を拡大させる者が後を絶ちません。統一的な対策が必要なのです」

 アリシアは地図を示した。

 「この地図上の赤い点が、確認されている綻びの位置です。百二十七か所。そのうち、拡大が特に深刻なものが十五か所。放置すれば五年以内に、三つの都市と十二の町が瘴気に飲まれます」

 数字を聞くと、問題の深刻さが実感できた。

 「柏木殿。あなたが綻びを修繕できることは、セリア先生からの報告で承知しています。しかし、百二十七か所の綻びを一人で全て直すのは不可能です。だからこそ、組織的な支援が必要なのです」

 「具体的には、何を?」

 「まず、修繕に適した順序で綻びを巡る遠征計画。護衛の騎士団の派遣。修繕に必要な魔力回復手段の確保。そして、修繕術の原理を研究し、他の者にも応用できないかの検討。セリア先生にはその研究を引き続き進めていただきたい」

 アリシアの計画は、よく練られていた。柏木ひとりの力に頼るのではなく、組織として綻び問題に取り組む体制を構築しようとしている。

 「俺は政治には関わりたくないんです」

 柏木は正直に言った。

 「政治に関わらせるつもりはありません。あなたには綻びを直すことだけに集中していただきたい。政治的な調整は、私が行います。貴族の干渉も、私が防ぎます」

 「それは——ありがたい話ですが、信じていいんですか」

 アリシアは苦笑した。

 「疑うのは当然です。王族の言葉など、信用に足らないと思われても仕方がない。ですから、行動で示します。まず、ヴィクトル侯爵からの接触があったことは把握しています。彼の動きは私が牽制します」

 柏木はセリアを見た。セリアは小さく頷いた。

 「アリシア王女は、本気です。私は学院の研究者として、王女の綻び対策推進には以前から賛同しています」

 リーナも口を開いた。

 「リョウイチさん。私は、綻びを直してくれる人を支えたい。父がそうしたかったように。王女様の力を借りられるなら、それに越したことはないと思います」

 柏木は少し黙り、それから頷いた。

 「わかりました。ただし、条件があります」

 「なんでしょう」

 「最初に直す綻びは、ブランデルのもの。あの町の人たちに、約束したんです」

 アリシアは微笑んだ。

 「もちろんです。それから、柏木殿のパーティには追加の護衛をつけさせてください。今後の遠征に備えて」

 「護衛?」

 「腕の立つ者を一人、こちらで選定しています。明日、ご紹介します」


 その夜、柏木は王城からの帰り道で、夜の王都を歩いた。

 石畳の通りに、魔法の街灯がぼんやりと光っている。昼間の喧騒が嘘のように、夜の王都は静かだった。

 運河沿いの道を歩きながら、柏木は元の世界のことを考えた。

 東京の夜とは全く違う。ネオンの光も、車の騒音も、人混みもない。しかし——寂しくはなかった。

 元の世界では、夜の帰り道はいつも一人だった。満員電車を降りて、コンビニに寄って、アパートに帰る。その道のりが、一日で最も孤独な時間だった。

 今は、帰る場所がある。鍛冶場の二階の小さな部屋。そこでガルドの苦い茶を飲み、リーナの元気な声を聞き、新しい一日が始まる。

 ——俺は、幸せなのかもしれない。

 元の世界では考えたこともなかった感想だった。


 翌日、アリシアから紹介されたのは、意外な人物だった。

 「マルクス・ヴォルフと申します。元・王国騎士団第三中隊長です」

 四十代前半の、筋骨隆々の男だった。短く刈り込んだ灰色の髪に、鋭い目。左頬に古傷がある。全身から叩き上げの軍人の空気が漂っている。

 「元?」

 「五年前に退役しました。膝を怪我しましてね。第一線での戦闘は厳しいが、護衛任務なら十分務まります」

 マルクスは柏木をじっと見た。

 「あんたが世界を直す男か。見た目は普通のおっさんだな」

 「おっさんは事実だ」

 「気に入った。偉ぶらない男は信用できる」

 マルクスはがっしりした手を差し出した。柏木はその手を握り返した。

 こうして、柏木のパーティは四人になった。修繕師の柏木、剣士のリーナ、魔法使い兼研究者のセリア、そして護衛のマルクス。

 四人で初めて一緒に食事をしたのは、学院の食堂だった。

 リーナは物珍しそうに王都の料理を見つめ、セリアは本を読みながら食べ、マルクスはパンを三つ同時に頬張った。

 「これが俺たちのパーティか」

 柏木は四人の顔を見回して、不思議な感慨を覚えた。

 三十五歳のおっさん修繕師。十六歳の剣士見習いの少女。二十代後半の堅物な研究者。四十代の退役軍人。年齢も経歴もバラバラだ。共通点と言えば、それぞれに過去があり、それぞれに前を向こうとしているということくらいだろう。

 「変なパーティだな」

 「変ですか?」リーナが首を傾げた。

 「普通のパーティは、戦士と魔法使いと僧侶とか、もっとバランスが——」

 「俺たちに普通を求めるな」マルクスがパンを齧りながら言った。「修繕師なんてクラスがいる時点で、普通じゃない」

 「マルクスの言う通りです」セリアが本から目を上げた。「学術的に言って、修繕師を中心としたパーティ構成は前例がありません。私たちは今、新しい冒険の形を作っているんです」

 「大げさだな」

 しかし——悪い気分ではなかった。

 柏木遼一は、前の世界ではチームワークとは無縁の人間だった。工場では一人で黙々と設備と向き合い、同僚との協力よりも個人の技術に頼ってきた。それが、人間関係を壊す一因にもなった。

 しかし今は、仲間がいる。自分にできないことを補ってくれる仲間。そして、仲間のために自分ができることがある。

 「よろしくな、みんな」

 柏木が照れくさそうに言うと、三人がそれぞれの仕方で応えた。

 「よろしくお願いします、リョウイチさん!」

 「よろしくお願いします、柏木さん」

 「ああ、よろしく」

 綻びを修繕する旅の準備が、着々と整っていった。

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