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綻びを繕う者 ~三十五歳の設備保全員、異世界で唯一の修繕師になる~  作者: のむ


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 第二章 壊れた剣と少女の涙

 翌朝から、柏木の新しい日常が始まった。

 ガルドの鍛冶場で、壊れた武器や道具を修繕する毎日。朝の六時に起き、顔を洗い、ガルドが淹れた苦い茶を飲み、作業台に向かう。日が暮れるまで、ひたすらものを直し続けた。

 三日目に、ようやくこの世界の服を手に入れた。仕立屋の老婆が仕立ててくれたのは、丈夫な麻の上着と、革のベルト、厚手のズボンだった。ブーツはガルドが予備のものを貸してくれた。

 「うん。これなら動きやすい」

 スーツを脱ぎ、異世界の服に着替えると、不思議と気持ちが切り替わった。もう元の世界の柏木遼一ではない。この世界の修繕師、柏木遼一だ。

 ただし、スーツは捨てなかった。きれいに畳んで、部屋の隅にしまってある。リストラ通知書と同じ理由だ。自分がどこから来たのか、忘れないために。

 最初の朝は、戸惑いの連続だった。

 目覚まし時計がない。スマートフォンもない。時刻を知る手段は、窓から差し込む日光の角度だけだ。

 階下から、金属を打つ音が響いてくる。ガルドはもう仕事を始めている。柏木は慌てて起き上がり、顔を洗った——水道がないので、桶に汲んであった水で。

 朝食はガルドが淹れた茶と、硬いパンだった。茶は苦いが目が覚める。パンは硬いが腹に溜まる。質素だが、不思議と不満はなかった。

 元の世界では、毎朝コンビニのサンドイッチとペットボトルのコーヒーで済ませていた。栄養も味も、ガルドの朝食の方が上だろう。

 「今日から仕事だ。あの山を片付けろ」

 ガルドは壊れた品の山を指差した。

 「了解」

 柏木は袖をまくり、作業台に向かった。元の世界では作業着に着替えていたが、ここではスーツのままだ。さすがに動きにくいので、上着を脱ぎ、ネクタイを外し、シャツの袖をまくった。

 「その服、邪魔だろう。後で町の仕立屋で何か見繕え」

 「金がないんですが」

 「今日の仕事の報酬で買えるだろう。品を一つ直すごとに銅貨二枚だ」

 銅貨二枚。仕立屋の服が銅貨十枚とすれば、五つ直せば一着買える。

 柏木は頷いて、最初の品を手に取った。


 最初の数日で、柏木は自分のスキルの特性を把握していった。

 【修繕術】は、対象に触れて集中することで発動する。修復にかかる時間は損傷度と対象の複雑さに比例する。単純な道具なら数秒、複雑な武器で数分。一日に使える回数には魔力の上限があり、レベル一の現状では十回程度が限界だった。

 しかし、修繕を重ねるごとに経験値が蓄積され、レベルが着実に上がっていった。三日目にはレベル二に、一週間後にはレベル三になった。レベルが上がるたびに、修繕できる対象の範囲が広がり、一日の使用回数も増えていく。

 もう一つ重要な発見があった。柏木の修繕は、ただ元に戻すだけではない。設備保全員としての知識と経験が、修繕の質を向上させていた。金属の結晶構造を理解しているから、より最適な状態に再構成できる。摩耗のパターンを知っているから、弱点を補強した形で修復できる。結果として、修繕後の品物は元の状態より良くなることが多かった。

 ガルドはそれを見て、最初は驚き、次に感心し、最後には不機嫌になった。

 「お前の修繕は反則だぞ。わしが三日かけて鍛え直す仕事が、お前なら数分で終わる。しかも品質まで上がるときた。鍛冶師の立場がないわい」

 しかし、そう言いながらもガルドは柏木に新しい仕事を次々と回してきた。鍛冶師としてのプライドはあるが、それ以上に職人としての好奇心が勝っているのだろう。柏木の修繕を間近で観察しながら、自分の鍛冶技術に取り入れようとしているのが見て取れた。

 一週間が過ぎた頃、柏木の評判は町中に広がっていた。

 「壊れたものなら何でも直す修繕師がいるらしい」

 噂を聞きつけた住人たちが、次々と鍛冶場を訪れるようになった。農具、調理器具、家具、車輪——直してほしいものは尽きなかった。辺境の町では新しいものを手に入れるのが難しく、壊れたものを修理して使い続けるしかない。柏木のような存在は、まさに待ち望まれていたのだ。


 そんなある日のことだった。

 鍛冶場の入口に、ひとりの少女が立っていた。

 十六歳くらいだろうか。短く切り揃えた栗色の髪に、意志の強そうな緑色の目。革の胸当てと、擦り切れたブーツ。腰には空の鞘だけが下がっている。

 少女は、布に包んだ何かを大事そうに抱えていた。

 「あの……修繕師さんは、いらっしゃいますか」

 その声は、懸命に平静を装っているが、微かに震えていた。目が赤い。泣いていたのだろう。しかし、それを隠そうとする強さが、その瞳の奥にあった。

 「俺が修繕師の柏木です」

 柏木が作業台から立ち上がると、少女は一瞬たじろいだ。おそらく、もっと若い人間を想像していたのだろう。三十五歳のおっさんが出てきて、面食らったに違いない。

 「これを……直していただけませんか」

 少女が布を広げた。中から現れたのは、一振りの剣だった。

 しかし、その状態は酷かった。刀身は三つに折れ、柄は割れ、鍔は歪んでいる。刀身の表面には、通常の損傷とは異なる紫がかった変色が見られた。

 【鑑定眼】が反応する。


 ——————————————

 対象:ミスリル合金の長剣「暁光」

 損傷度:96%

 状態:瘴気による侵食あり

 備考:高品質な鍛造品。希少なミスリル合金製。

    瘴気の侵食により金属組織が劣化。

    通常の修繕では完全な修復は困難。

 修繕難易度:高(修繕術 Lv.3以上推奨)

 ——————————————


 柏木の目が、剣の損傷状態を読み取った。瘴気による侵食——綻びから漏れ出す毒のような力が、剣を内側から蝕んでいる。

 「この剣は……」

 「父の剣です」

 少女の声が、わずかに詰まった。

 「私はリーナ・フォルストと言います。父は——アルベルト・フォルストは、この町の冒険者でした」

 「でした?」

 「三ヶ月前に、綻びの調査に向かって……帰ってきませんでした」

 リーナの手が、折れた剣を握りしめた。

 「父は、いつもこの剣を手入れしていました。『暁光』——祖父の代から受け継いだ剣です。ミスリル合金で鍛えられた、家宝のような品です。父が最後に出かけたとき、この剣だけが……ボロボロになって、戻ってきたんです」

 少女の目に、涙がにじんでいた。しかし、必死に堪えている。

 「ガルドさんには、もう直せないと言われました。瘴気に侵された金属は、鍛冶の技術では元に戻せないと。でも、修繕師なら——あなたなら、直せるかもしれないと聞いて」

 柏木は剣を受け取った。

 手に取ると、瘴気の侵食が皮膚を通して伝わってくるような、不快な感覚があった。この剣は、ただ物理的に壊れているだけではない。もっと深いレベルで損傷している。

 正直に言えば、今の柏木のレベルで直せるかどうかは五分五分だった。修繕術はレベル三になったばかりだ。瘴気の侵食を除去しながら修繕するのは、これまでで最も難しい仕事になる。

 だが——。

 柏木は少女の顔を見た。泣きそうな目で、しかし真っ直ぐにこちらを見ている。

 「やってみます」

 その言葉は、考えるより先に口から出ていた。

 柏木は折れた刀身の破片を作業台の上に並べた。三つの破片と、歪んだ鍔と、割れた柄。それぞれの断面を観察し、【構造理解】を発動させる。

 ミスリル合金の結晶構造が、頭の中に広がった。通常の鉄鋼とは全く異なる、繊細で複雑な構造。しかし、柏木の目にはその構造の「正しい形」が見えた。十三年間、あらゆる金属部品を見てきた経験が、ここでも活きている。

 問題は瘴気だ。紫色の侵食が、合金の結晶構造の隙間に入り込んでいる。これを取り除かなければ、修繕しても意味がない。

 柏木は目を閉じ、深く集中した。

 ——壊れているのは、金属だけじゃない。この剣には、持ち主の想いが染み込んでいる。祖父から父へ、父から娘へ。受け継がれてきた記憶がある。

 設備保全員としての柏木は、機械にも「記憶」があることを知っていた。長年使い込まれた機械には、使用者の癖や環境に適応した固有の状態がある。それを無視して修理すると、却って調子が悪くなることがある。機械の「記憶」を尊重しながら修理する——それが柏木のやり方だった。

 両手で刀身の最大の破片を包み込む。

 【修繕術】を発動。

 同時に、瘴気の侵食に対して意識を集中する。異物を排除するイメージ。金属の結晶構造の隙間から、紫色の汚染を一つずつ取り除いていく。

 手のひらから光が溢れた。今までよりも強い、金色がかった光だ。

 汗が額を伝った。これまでの修繕とは比較にならない集中力を要求される。魔力が急速に消費されていくのがわかる。

 しかし、柏木は手を離さなかった。

 紫色の侵食が、少しずつ、確実に薄れていく。金色の光がそれを押し返し、ミスリル合金本来の銀色の輝きが蘇っていく。

 五分が経ち、十分が経った。

 リーナは息を殺して見守っている。ガルドも、いつの間にか仕事の手を止めて、柏木の作業を食い入るように見つめていた。

 最後の瘴気の残滓を除去し、三つの破片を接合し、鍔を整え、柄を修復する。

 柏木の手の中で、剣が完成した。

 銀色に輝くミスリル合金の刀身。優美な曲線を描く鍔。手に吸いつくような革巻きの柄。


 ——————————————

 修繕完了:ミスリル合金の長剣「暁光」

 品質:E(損傷)→ A

 備考:瘴気の侵食を完全除去。

    修繕により結晶構造が最適化され、

    鍛造時を超える品質に到達。

    瘴気耐性が付与された。

 ——————————————


 柏木は剣をリーナに差し出した。

 「直りました」

 リーナが剣を受け取った瞬間、その目から涙が溢れた。

 今度は堪えなかった。剣を胸に抱き、声を上げて泣いた。父の形見。家族の記憶。それが手の中に蘇ったことの喜びが、少女の小さな身体から溢れ出していた。

 「ありがとうございます……ありがとうございます……!」

 柏木は困ったように頭を掻いた。泣かれるのは苦手だ。元妻に泣かれたときも、何をしていいかわからなかった。

 「いや、まあ、仕事ですから」

 「お代は……いくらですか。あまりお金はないのですが、必ず……」

 「報酬は、そうだな……」

 柏木は少し考えた。正直なところ、金額の相場がわからない。この世界の貨幣価値もまだ把握しきれていない。

 それに——柏木は元来、報酬に頓着しない人間だった。工場でも、給料のために働いていたわけではない。壊れた機械が直る瞬間の達成感。それが柏木にとっての最大の報酬だった。

 妻の美咲には、それがわからなかった。「あなたは仕事が好きなんじゃなくて、仕事の結果が好きなのよ。でも、結果を出しても、それを分かち合う人がいなかったら意味がないでしょう」——美咲の言葉が、今になって胸に響く。

 今は、違う。結果を分かち合える人がいる。目の前で泣いている少女が、それだ。

 「その剣の手入れを、ちゃんと続けること。それが報酬でいいです」

 リーナは涙で濡れた目を見開いた。

 「そんな……それでは、あなたが——」

 「この町に来たとき、トーマスさんに飯を食わせてもらいました。その分を返しただけです」

 横で見ていたガルドが、呆れたように鼻を鳴らした。

 「お前は商売が下手だな。あのレベルの修繕なら、金貨五枚は取れるぞ」

 「金貨五枚って、いくらくらいなんですか」

 「この町の大人がひと月働いて稼ぐ額だ」

 「……ちょっと高すぎませんか」

 「高くない。ミスリル合金の修復なんぞ、王都の一流鍛冶師でも難しい。しかも瘴気の除去まで——あれは金で測れる仕事じゃない」

 ガルドはリーナを見た。

 「嬢ちゃん。この男の好意に甘えるのは今回だけにしておけ。次からはきっちり払え。タダ働きさせるのは、職人への侮辱だ」

 リーナは慌てて頷いた。

 「は、はい! あの、でも、本当にお金が……」

 「なら、別の形で返せ。お前は剣士見習いだろう。この男は戦えん。護衛でも何でもやってやれ」

 リーナの目が輝いた。

 「それなら! 柏木さん、私を——私を弟子にしてください!」

 「弟子?」

 「いえ、違います。えっと、仲間にしてください。私、冒険者になるつもりでした。でもひとりでは心細くて……。柏木さんの修繕の力と、私の剣があれば、きっとうまくやれます」

 柏木は面食らった。三十五歳のおっさんが、十六歳の少女に「仲間にしてください」と言われる日が来るとは思わなかった。

 しかし——確かに、柏木ひとりでは戦闘ができない。修繕師はあくまで後方支援のクラスだ。綻びの調査や魔物との遭遇を考えると、戦える仲間は必要だった。

 「……わかりました。よろしくお願いします」

 「はい! よろしくお願いします、師匠!」

 「師匠はやめてくれ。柏木でいい」

 「じゃあ、リョウイチさん!」

 「……まあ、それでいいです」

 こうして柏木遼一は、最初の仲間を得た。

 その夜、柏木はベッドの上で天井を見つめながら考えた。

 前の世界では、部下も同僚も友人も——誰にも「仲間」と呼べる関係を築けなかった。仕事一筋で、人との距離の取り方がわからなかった。

 しかし今、十六歳の少女が「仲間になってほしい」と言ってくれた。

 不思議なものだ。三十五年間できなかったことが、異世界では一週間で実現した。

 きっかけは、一本の剣を直したこと。壊れたものを直すという行為が、人と人を繋いでくれた。

 ——もしかすると、前の世界でも、こうすればよかったのかもしれない。機械だけじゃなく、人との関係も「修繕」する意識があれば。

 後悔ではない。気づきだ。この世界で得た気づきを、ここで活かそう。

 柏木は目を閉じた。明日から、リーナとの冒険者生活が始まる。


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