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綻びを繕う者 ~三十五歳の設備保全員、異世界で唯一の修繕師になる~  作者: のむ


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第一章 辺境の町ブランデル

 夜明けとともに歩き始めた柏木は、昼過ぎになってようやく人の気配を感じた。

 草原の中に、轍の跡があった。馬車が通ったらしい二本の筋が、遠くへ続いている。その先に、木造の建物が数十軒ほど集まっている場所が見えた。

 町だ。

 柏木は安堵のため息をついた。昨夜から何も食べていない。水も飲んでいない。異世界に来たという現実をどう受け止めればいいのかもわからないが、とにかく今は空腹と喉の渇きをなんとかしなければならなかった。

 草原を歩きながら、何度もステータス画面を確認した。何度見ても、「修繕師」の文字は変わらない。まるで、この世界が柏木の本質を見抜いて、最もふさわしいクラスを与えたかのようだった。

 妙な話だ。元の世界では「直す設備がなくなる」と言われて追い出されたのに、この世界では「直す力」を最初に与えられた。皮肉なのか、それとも——運命というやつなのか。

 柏木は考えるのをやめた。腹が減っていると、哲学的なことを考える余裕がない。まずは食料と水だ。生き延びることが最優先。それも、設備保全の基本と同じだった。まず電源を確保し、安全を確認し、それから作業に取りかかる。順序を間違えると、怪我をする。

 町に近づくにつれ、その全貌が見えてきた。

 高さ三メートルほどの木の柵が町を囲んでいる。柵には所々に見張り台が設けられ、その上に人影が見えた。町の入口には簡素な門があり、門番らしき男がひとり、槍を手に立っていた。

 「止まれ。どこから来た」

 門番は四十代半ばの、日に焼けた顔をした男だった。革の胸当てをつけ、腰には短剣を差している。その目が柏木のスーツ姿を不審そうに見つめていた。

 「あー……えっと……」

 柏木は言葉に詰まった。言葉が通じているということ自体が不思議だったが、今はそれを考えている余裕はない。

 「遠くから来ました。旅の途中で、道に迷って……」

 嘘ではない。異世界からというのは「遠く」どころの話ではないが。

 門番は柏木の服装をじろじろと眺めた。

 「変わった服だな。見たことのない生地だ。商人か?」

 「いえ、商人ではありません。ただの……」

 何と名乗ればいいのだろう。設備保全員? この世界にそんな職業があるとは思えない。ふと、昨夜見たステータス画面のことを思い出した。

 「……修繕師です」

 門番の眉が動いた。

 「修繕師? 聞いたことのないクラスだな。冒険者ギルドの登録証はあるか」

 「いえ、持っていません」

 「ふむ……」

 門番は腕を組んで考え込んだ。柏木を門前払いにしようか迷っているようだった。

 そのとき、門の内側から声がかかった。

 「おい、マルクス。何を揉めてる」

 現れたのは、五十代後半の大柄な男だった。白髪交じりの短い髪に、古傷の残る顔。しかし目は穏やかで、どこか人好きのする雰囲気がある。

 「町長。この男、修繕師を名乗っているんですが、ギルド証もなくて」

 「修繕師だと?」

 町長と呼ばれた男——トーマス・グレインは、柏木を上から下まで眺めた。

 「ずいぶんと変わった格好をしているな。遠くから来たのか」

 「はい。ずいぶん遠くから」

 「腹は減っているか」

 唐突な質問に、柏木は正直に頷いた。

 「昨日の夜から何も食べていません」

 「そうか。なら、まず飯を食え。話はそれからだ」

 トーマスはそう言って、柏木の肩を叩いた。その手は大きく、温かかった。

 柏木は門をくぐり、ブランデルの町に足を踏み入れた。


 門をくぐった瞬間、柏木の鼻を温かい匂いが包んだ。

 パンを焼く匂い。木材の匂い。家畜の匂い。そして、どこからか花の香り。人の暮らしの匂いだ。東京の排気ガスとコンクリートの匂いに慣れた柏木には、新鮮で懐かしい匂いだった。

 通りには子供が二人、木の棒で剣ごっこをしていた。柏木のスーツ姿を見て、ぽかんと口を開けている。

 「変なかっこう」

 一人がそう言って、もう一人が笑った。

 変なかっこう。確かにその通りだ。異世界で濡れたビジネススーツを着ている男は、間違いなく変だ。

 「早いとこ、この世界の服を手に入れないとな」

 柏木はそう呟きながら、トーマスの後に続いた。

 町は、柏木が想像していた中世ヨーロッパ風の街並みとは少し違っていた。

 木造の建物が多いのは同じだが、そこかしこに損傷の跡があった。壁にひび割れが入った家。屋根の一部が崩れ落ちた倉庫。道の真ん中に、不自然な窪みがある場所。

 そして、この町には活気がまだ残っていた。

 広場では老人たちが将棋に似たボードゲームに興じており、通りには商人の露店が数軒並んでいる。干した果物、革製品、木彫りの人形。品数は少ないが、店主たちの表情は明るかった。

 「小さいが、いい町だろう」

 トーマスが柏木の視線に気づいて言った。

 「ああ。いい町だ」

 柏木は素直にそう思った。元の世界の故郷を思い出す。過疎化が進む小さな町だったが、住人同士の繋がりは強かった。母が元気だった頃、近所の人たちが庭に集まって漬物を分け合っていた光景を思い出す。

 しかし、何より目を引いたのは、町の北側に見える奇妙な光だった。

 空中に、紫色の亀裂が走っている。長さは五メートルほどか。その周囲の空間が歪んで見え、亀裂の端からは黒い霧のようなものが薄くたなびいていた。

 「あれが『綻び』だ」

 隣を歩くトーマスが、柏木の視線に気づいて言った。

 「綻び?」

 「三十年ほど前から、世界のあちこちに現れるようになった空間の裂け目だ。あの裂け目から魔物が湧き、瘴気が漏れ出す。瘴気に長く触れると土地が枯れ、人も獣も病む」

 トーマスの声には、長年の疲労が滲んでいた。

 「この町は元々、もっと大きかった。だが二十年前に大きな綻びが現れてな、町の東半分が瘴気に飲まれた。住民の多くが逃げ出し、今残っているのは二百人ほどだ」

 「誰も、あの綻びを直せないんですか」

 柏木は思わず訊いた。壊れたものを見ると放っておけない性分が、ここでも顔を出していた。

 トーマスは苦笑した。

 「直す? 綻びを直した者など、この世界のどこにもいない。王都の魔法使いが研究を続けているらしいが、成果は出ていないと聞く。俺たちにできるのは、綻びから湧く魔物を退治して、これ以上被害が広がらないようにすることくらいだ」

 柏木は黙って、紫色の亀裂を見つめた。

 【鑑定眼】が、無意識に発動していた。


 ——————————————

 対象:空間の綻び(小規模)

 損傷度:78%

 状態:緩やかに拡大中

 修繕難易度:現在のレベルでは修繕不可

 必要レベル:修繕術 Lv.8以上

 ——————————————


 直せない——今は。だが、レベルが上がれば直せる可能性がある。

 柏木の胸の奥で、何かが動いた。それは長い間忘れていた感情だった。目の前に直すべきものがある。自分にしかできないかもしれない。その事実が、空っぽだった心に小さな火を灯していた。


 トーマスに連れられて入ったのは、町の中心にある食堂兼酒場だった。「赤猪亭」という看板が掲げられている。

 昼下がりの店内には、数人の客がいた。冒険者風の男女が奥のテーブルで食事をしており、カウンターには太った中年の主人が布巾でジョッキを磨いていた。

 「おう、トーマス。その連れは?」

 「拾いもんだ。腹を空かせてる。いつものシチューを頼む」

 トーマスはカウンターの隅に柏木を座らせ、自分も隣に腰を下ろした。

 しばらくして、湯気を立てるシチューの皿と、硬いパンが運ばれてきた。具は根菜と、何かの肉。素朴な味だが、空きっ腹には沁みた。柏木は無言でスプーンを動かし続けた。

 「さて」

 柏木がシチューを平らげたのを見届けて、トーマスは切り出した。

 「お前さん、修繕師だと言ったな。それは、ものを直すクラスということでいいのか」

 「はい。壊れたものを修復する力があるようです」

 「ようです、とは?」

 「正直に言うと、この力を手に入れたのは昨日のことでして。まだ自分でもよくわかっていません」

 トーマスは目を細めた。

 「なるほど。覚醒したばかりか。この辺境まで流れてきたということは、訳ありだな」

 「……まあ、そうです」

 「詳しくは訊かん。ここはそういう町だ。訳ありの人間が流れ着いて、居場所を見つける場所だ」

 トーマスはジョッキのエールを一口飲み、続けた。

 「だが、この町にいるなら、何かしら町の役に立ってもらわなきゃならん。食い扶持は自分で稼いでもらう。修繕師というなら、直すものならいくらでもある。ガルドの鍛冶場に行ってみろ。あそこの親父は、修理の仕事を山ほど抱えて困っているはずだ」

 「ガルド?」

 「ガルド・ヘンメル。この町で唯一の鍛冶師だ。ドワーフだが、気のいい男だ。頑固だがな」

 トーマスは立ち上がり、柏木の肩をもう一度叩いた。

 「まあ、やれるだけやってみろ。この町は人手が足りん。どんな力でも歓迎だ」

 そう言い残して、トーマスは食堂を出ていった。


 食堂を出て、柏木は町を見回した。

 改めて観察すると、この町の傷みは相当なものだった。道の石畳はところどころ剥がれ、建物の壁にはひびが入り、屋根の瓦が欠けた家がいくつもある。町全体が、長年の疲弊に喘いでいるような印象だった。

 しかし、住人たちの表情は暗くなかった。

 通りで会う人々は、柏木に好奇心のこもった視線を向けながらも、挨拶を返してくれた。パン屋の女将が焼きたてのパンを一つ分けてくれ、井戸端で洗濯をしている老婦人が道を教えてくれた。

 小さな町だ。人口二百人。全員が顔見知りで、助け合って暮らしている。

 柏木の胸に、奇妙な既視感があった。

 これは——昔の日本の地方の町に似ている。過疎化が進み、若者が出ていき、残った住人が肩を寄せ合って暮らしている町。柏木の生まれ故郷も、そんな町だった。

 違うのは、この町の衰退の原因が経済ではなく、綻びだということだ。空間の亀裂が町を蝕み、人を追い出し、土地を枯らしている。天災ではなく、世界そのものの病。

 ——直せるものなら、直したい。

 その思いは、まだ漠然としたものだった。しかし、確かに柏木の中に芽生えていた。


 鍛冶場は、町の西側にあった。

 煙突から黒い煙がもくもくと上がり、中から金属を打つ音が響いている。入口は大きな木の扉で、半分開いたまま固定されていた。

 柏木が中を覗くと、炉の前に小柄な人影があった。

 身長百四十センチほど。しかし肩幅は柏木よりも広く、太い腕は丸太のようだ。赤茶色のもじゃもじゃの髭が胸元まで伸び、額には革のバンドが巻かれている。

 ドワーフだ——と、柏木はファンタジー作品の知識から理解した。

 「あのう、すみません」

 「あん?」

 ドワーフが振り返った。汗まみれの顔に、鋭い目が光っている。

 「誰だ、お前は。見ない顔だな」

 「柏木遼一と言います。トーマスさんに、こちらを紹介されました。修繕師で——」

 「修繕師だと?」

 ガルドは金槌を作業台に置き、柏木に近づいてきた。見上げるような姿勢だが、その眼光には身長差を感じさせない迫力があった。

 「聞いたことのないクラスだな。鍛冶師なら知っておるが。で、何ができる」

 「壊れたものを直す力がある、と——」

 「口で言うのは誰にでもできる」

 ガルドは鍛冶場の隅を顎で示した。そこには、壊れた武器や道具が山のように積まれていた。折れた剣、歪んだ盾、ひび割れた鎧、曲がった農具。

 「あそこに修理待ちの品が溜まっとる。わしひとりでは手が回らん。もしお前が本当に直せるというなら、あの中から何か一つ選んで直してみろ。それが試験だ」

 柏木は壊れた品々の山に近づいた。

 【鑑定眼】を発動させる。視界に、それぞれの品物の情報が浮かび上がった。


 折れた短剣——損傷度92%。刀身が中央から折れ、刃こぼれ多数。

 歪んだ盾——損傷度65%。中央が陥没、革の握りが千切れている。

 ひび割れた胸当て——損傷度80%。正面に大きな亀裂、留め具が欠損。


 柏木は、一本の短剣を手に取った。刀身が真ん中から折れ、柄の革も擦り切れている。

 ——これなら、損傷の原因がはっきりわかる。金属疲労と、過度な衝撃による破断だ。

 十三年間の経験が、脳裏によみがえった。設備保全員としての知識と、ステータス画面に表示された【修繕術】の力。それが重なるように手の中で熱を帯びた。

 柏木は折れた刀身を合わせ、両手で包み込んだ。

 意識を集中する。直すイメージ。金属の結晶構造を思い浮かべ、折れた断面が再び繋がる様を想像する。

 手のひらから、淡い光が漏れた。

 柏木の掌の中で、短剣の断面が発光し、ゆっくりと繋がっていく。折れた金属が溶接されるように接合され、刃こぼれが埋まり、刀身の歪みが正される。柄の革まで、新品のように滑らかに修復されていった。

 数秒後、柏木の手の中には、一本の美しい短剣があった。

 刀身は鏡のように磨かれ、刃には一切の欠けがない。それどころか——。


 ——————————————

 修繕完了:鉄の短剣

 品質:C → B+

 備考:修繕により金属組織が最適化され、

    元の品質を上回る状態に復元

 ——————————————


 「なっ……!」

 ガルドが、目を見開いて短剣を奪い取った。

 太い指で刀身を弾き、響きを確かめる。刃先を指の腹で撫で、切れ味を測る。刀身を目の高さに掲げ、歪みがないか確認する。

 ガルドの表情が、驚愕から感嘆へと変わっていった。

 「馬鹿な……。この短剣は、元はただの鉄の安物だったはずだ。それがこの品質……。鍛え直したわけでもないのに、鋼の組成が変わっておる」

 ガルドは柏木を見上げた。その目には、職人特有の真剣さが宿っていた。

 「お前、一体何者だ」

 「ただの……設備保全員です」

 「せつびほぜん? 知らん職業だな。だが腕は本物だ」

 ガルドは短剣を作業台に置き、柏木に向き直った。

 「いいだろう。明日からうちで働け。修理の仕事は山ほどある。報酬は出来高払いだ。寝る場所は鍛冶場の二階に空き部屋がある。狭いが、雨風はしのげる」

 それが、柏木遼一のブランデルでの生活の始まりだった。

 その夜、柏木はガルドと二人で炉の前に座り、茶を飲んだ。

 鍛冶場の炉は、夜になると温かいオレンジ色の光を放ち、作業場全体を柔らかく照らした。金属の匂いと、かすかな木炭の香り。工場の匂いに慣れた柏木にとっては、どこか落ち着く空間だった。

 「お前の修繕は、不思議だな」

 ガルドがぼそりと言った。

 「どういう意味だ」

 「鍛冶師が金属を直すとき、必ず火と金槌が要る。溶かして、打って、形を整える。物理的な工程だ。だが、お前の修繕は——触れるだけで直る。魔法のようだが、わしの知る魔法とも違う」

 「俺にもよくわからないんだ。ただ、壊れたものに触れると、どこがどう壊れているかが感じ取れる。そして、元の状態に戻すイメージを持つと、勝手に直っていく」

 「感じ取れる、か」

 ガルドは茶を一口すすった。

 「わしも、鉄を叩いているときに似たことを感じることがある。鉄が『ここを叩いてくれ』と言っているような感覚だ。馬鹿馬鹿しい話だと思うかもしれんが」

 「全然馬鹿馬鹿しくない。むしろ、すごくよくわかる」

 二人の職人は、炉の火を見つめながら、しばらく黙っていた。

 言葉にはならないが、通じ合うものがあった。ものを直す者と、ものを作る者。国も世界も種族も違うが、「ものと向き合う」という一点で、二人は繋がっていた。

 「明日も、朝六時だ。遅れるな」

 「ああ」

 ガルドが炉の火を落とし、柏木は二階に上がった。


 鍛冶場の二階は、ガルドの言った通り狭かった。六畳ほどの部屋に、簡素なベッドと木の椅子とテーブルがあるだけだ。しかし窓からは草原が見渡せ、夕暮れ時には二つの月が昇るのが見えた。

 柏木はベッドに腰を下ろし、深く息を吐いた。

 ポケットの中に手を入れると、ふやけたリストラ通知書の感触があった。まだここにある。元の世界との、唯一の繋がり。

 窓の外では、虫の声がしていた。元の世界の虫の声とは少し違う。もっと高い音で、リズミカルだ。

 空気も違う。工場のオイルの匂いに慣れた柏木の鼻には、この世界の空気はあまりに澄んでいた。草と土と、かすかに花の匂い。東京の春の匂いとは全く違う。

 異世界に来て、まだ一日も経っていない。それなのに、すでに住む場所と仕事が見つかった。元の世界では十三年かけて築いたものが一瞬で崩れたのに、ここでは数時間で新しい居場所ができた。皮肉なものだ。

 もっとも、ここが夢でないという保証はどこにもない。目が覚めたら、駅前の雨の中に戻っているかもしれない。

 だが——もし、これが夢でないのなら。

 柏木は窓の外に目をやった。町の北側に、紫色の綻びがかすかに光っている。

 直せるかもしれない。レベルが上がれば。

 それは、三十五年間の人生で初めて感じる、前を向く理由だった。


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