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第46話

 文化祭の締めくくりにキャンプファイヤーなんて、素敵だな。


 揺らめく炎を眺めながら、この二日間の余韻に浸っている。


 炎の周りを囲むように集まった学生たちの顔は、オレンジ色の光に照らされて、誰もが祭りの終わりの名残惜しさと高揚感を漂わせていた。


「ねえねえ! 見てこれ!」


 隣に座るいずみが、スマホの画面を私たちに見せながら、興奮気味に声を弾ませた。


「昨日来てくれた先輩から、『チアの衣装、すっごく似合ってたね!』ってメッセージきたのー!」

「えーっ! やばいじゃん!」

「それ、絶対いずみのこと可愛いって思ってるよ!」


 同期の女の子たちが一斉に色めき立ち、キャーキャーと黄色い声で盛り上がる。


 いずみは両手で熱くなった頬を包み込みながら、「どうしよう、なんて返そう……!」と乙女の表情で身悶えしていた。


 その流れで、話題は自然と他の女の子たちの好きな人や彼氏との、文化祭にまつわるの話へと移っていく。

「うちは今日来てくれて、一緒にたこ焼き食べてさー」とか「来週、他大の彼氏の文化祭に行くんだ」とか。

 甘くてキラキラした恋バナが、炎の熱気と一緒に私を包み込む。


 その輪の中で楽しく相槌を打ちながら、私はふと、炎の向こう側に視線を向けた。

 メラメラと揺れる空気の向こう、少し離れた場所に男子たちの集まりがある。

 その中で、祥ちゃんが正人くんたちと何やら話して、肩を揺らして爆笑していた。

 いつもは静かに微笑んでいることが多い彼が、男友達とあんな風に大きな口を開けて笑っている。


 夜風が、私の髪をそっと撫でていく。

 こうして、サークルの友達と輪になって、恋バナで盛り上がって、遠くに彼氏の姿を探している。

 そんな今の自分の状況を、現実離れしているように感じた。


 私の高校は、少し偏差値の高い女子校だった。

 周りに彼氏がいる子はごく少数で、話題といえばもっぱら推しのアイドルや、次の中間テストのことばかり。

 私自身も、高校三年間で、彼氏どころか好きな人さえ一人もできなかった。

 通学電車の中や駅のホームで、他校の男子に声をかけられたり、待ち伏せされ告白を受けたことは何度かあった。

 でも、極度の人見知りだった私は、警戒心マックスで、相手の顔をまともに見ないまま、謝りながら足早に立ち去るだけだった。


 実家が同じ最寄駅だった祥ちゃんとも、中学卒業以来、ただの一度もすれ違うことはなかった。


 腰のこともあって陸上部にも入らず、高校二年の秋からは早めに本格的な受験勉強を始めた。

 参考書のインクの匂いと、図書館の静寂だけが、私の高校生活の大半だったと言ってもいい。

 おかげで、この大学でもわりと偏差値の高い史学部になんとか合格することができたけれど。


 人見知りで、引っ込み思案で、恋愛に疎かった私が。

 こんな風にサークルに入って、祥ちゃんのような彼氏や、いずみのような友達もできて、夜のグラウンドでワイワイ笑い合っているなんて。

 自分でも驚くほどの変化だけれど、今のこの場所は、驚くほど居心地が良かった。


 そんなことを考えながら、もう一度祥ちゃんの方へ目をやった、その時だった。


「祥くんさあー! 彼女なんか作っちゃってー! もー、つまんなーい!」


 アコースティックギターの音色を切り裂くような、よく響く大きな声。

 ビクッとして視線を凝らすと、祥ちゃんの隣には、いつもと様子の違う真希さんが立っていた。

 手にはお酒の缶を持っているのか、足元が少しふらついている。


「私、祥くんのこと狙ってたのにー! ……なーんて。冗談でーす」


 真希さんのその声は、炎を挟んだこちらの女子の集まりにまで、はっきりと届いていた。


 ドクン、と。

 心臓が、冷たい石を飲み込んだように重く鳴った。


『狙ってたのに』。


 冗談めかして笑うその声の奥に、隠しきれない本音が滲んでいるように聞こえたのは、私の思い過ごしだろうか。


 祥ちゃんが困ったように苦笑いして、何かを返しているのが見える。


 私は、それ以上その光景を見ているのが怖くなって、バッと目を逸らし、チロチロと燃える炎の根元を見つめた。

 パチッ、と火の粉が爆ぜる音が、やけにうるさく聞こえる。


 胸の奥がざわざわと波立ち、さっきまでの温かい心地よさが、急速に冷えていくのを感じた。

 隣で、いずみも小さく息を呑む音がした。


「真希さん、あんなに酔っ払ってるの初めて見た……」

「え、今、祥太郎くんのこと気に入ってるとか何とか聞こえなかった?」

「冗談……だよね?」


 同期の女の子たちが、動揺したようにヒソヒソと小声で話し始める。

 そして、みんながそっと、心配そうな視線を私に向けてきた。


「美絵……大丈夫?」


 いずみが、私の手をそっと握ってくれた。

 その手の温かさに少し泣きそうになりながら、私は必死で口角を上げ、曖昧に頷いた。


 大丈夫。

 祥ちゃんが私を思ってくれていることはわかっている。


 そう自分に言い聞かせるけれど、綺麗で大人っぽい真希さんの「冗談」は、恋愛初心者の私を不安にさせるには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。


 ……真希さんの気持ちを知って、祥ちゃんの心が動いたら、どうしよう。

 可能性は……ゼロではないよね……。


 ざわめく心を持て余していると、ふいに、背後からザクッ、ザクッと土を踏む足音が近づいてきた。


「……美絵」


 低くて、落ち着いた声。


 振り返ると、いつの間にか祥ちゃんがすぐ後ろに立っていた。

 オレンジ色の炎に照らされた彼の顔は、真剣で、どこか申し訳なさそうに眉を下げていた。


「あ……祥ちゃん」


 周りの女の子たちが、サッと気を使って少しだけ視線を逸らすのがわかった。


 つとめて普段どおりに、何も気にしていないように接しよう。

 そう思って「どうしたの」と笑顔を作ろうとしたけれど、頬の筋肉がうまく動かない。


 祥ちゃんは、私の隣にスッとしゃがみ込み、周囲には聞こえないくらいの小さな、けれどはっきりとした声で言った。


「……一緒に帰らない?」


 その言葉に、私はパチリと瞬きをした。


 彼の真っ直ぐな瞳の奥には、『不安にさせてしまったかもしれない』という不安が、言葉にしなくても痛いほど込められているように見えた。


 私の心の揺れを敏感に察知して、わざわざこっちまで来て、連れ出そうとしてくれているんだ。

 その優しさが、さっきまでの冷たい不安を少しずつ溶かしていく。


「……うん。帰る」


 私が小さく頷くと、祥ちゃんはホッとしたように目尻を下げて、静かに立ち上がった。


「私、先に帰るね」


 私が立ち上がってトートバッグを手に取ると、いずみはパァッと顔を輝かせて、うんうんと力強く頷いた。


「うんっ! 美絵、バイバーイ! お疲れさまー!」

「お疲れさまー! 気を付けてねー!」


 他の女の子たちも、空気を読んで嬉しそうに手を振ってくれる。


「ありがとう、お疲れさま」


 みんなに手を振り返し、私は祥ちゃんの隣に並んだ。


「行こっか」


 彼が短く促し、私たちは歩き出した。


 背中には、パチパチと燃えるキャンプファイヤーの強い熱気と、祭りの終わりを楽しむ学生たちの賑やかな喧騒が広がっている。


 一歩、また一歩と進むごとに、背中の熱がだんだんと遠ざかり、代わりに秋の夜の冷たくて澄んだ空気が、私たちをすっぽりと包み込んでいく。


 彼の靴音と、私の靴音が、静かな夜のキャンパスに重なって響いた。

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