第24話
宴会場に戻り、壁際の席に座ったころには、時刻は十時を回っていた。
連日の海遊びと、さっきのカミングアウト事件の興奮から覚めた反動で、いずみは私の肩に頭を預けてスヤスヤと寝息を立て始めた。
私もまた、強烈な睡魔に襲われている。
瞼が鉛のように重い。
いずみを起こして、部屋に戻って寝かせてあげたい。
私も布団に入りたい。
けれど――。
視界の端、少し離れた席で、瀬川くんが先輩たちに囲まれて話しているのが見える。
真希さんが笑いながら瀬川くんの肩を叩いている。
(……やだ)
このまま私が部屋に戻ったら、瀬川くんはあのまま夜遅くまで真希さんと飲み続けるんだろうか。
私が寝ている間に、もっと仲良くなっちゃうんだろうか。
(……起きてなきゃ)
眠い目をこする。
嫉妬と、少しの独占欲が、私の瞼をこじ開けていた。
でも、ガヤガヤとした話し声が子守唄のように聞こえてくる。
意識が、波間に漂うように遠のいていく。
ふと気配を感じて目を開けると、すぐ目の前に、大きな影があった。
「…………?」
しゃがみ込んで、そっとこちらを覗き込んでいる顔。
「……眠い?」
低くて優しい声が、鼓膜をくすぐる。
瀬川くんは微笑むと、目尻に優しい皺が寄る。
その顔を見たら、さっきまでの不安がスッと消えて、安心感と共に、抗えない眠気がどっと押し寄せてきた。
頭がふわふわする。
遊び疲れているせいか、それとも夢現のせいか。
普段なら恥ずかしくて絶対に言えない言葉が、口から勝手にこぼれ落ちた。
「……隣、座ってよ」
「え?」
「ここ」
私は、いずみに寄りかかられている肩とは反対側の、空いている畳をポンと叩いた。
瀬川くんは驚いたように目を見開きながら、私のお願い通り、隣に座ってくれた。
距離が近い。
彼の体温が、私を包み込む。
それがまたさらに、眠りの世界へと誘う。
「……ここで寝ちゃったんだね、いずみ」
瀬川くんが前を向きながら、小さな声で言う。
そういえば……瀬川くん。いずみのことは、もうだいぶ前から呼び捨てしている。
(……いずみだけ、ずるい……)
眠くて、考えることも、子どもっぽくなる。
頭が働かなくて、本能だけで言葉を紡ぐ。
「私のことも……名前で呼んでよ……」
さっきの正人くんの提案が、頭の片隅に残っていたのかもしれない。
「……え!?」
唐突なお願いに、瀬川くんが驚いて固まっているのが、気配でわかる。
私は膝に顔を埋めながら、彼の方をチラッと見る。
「……だめ?」
「いや、ダメじゃ、ないけど……」
彼の狼狽える声が愛おしい。
「私は……祥ちゃん、って呼ぶ」
「……っ!?」
「ふふ……」
祥ちゃん。
口に出してみると、飴玉みたいに甘くて、ずっと転がしていたくなる響きだった。
◇
宴会の後そのまま眠れるようにメイクを落としているのか、いつもよりあどけないその顔に、ふと中学時代の彼女の面影が重なった。
「祥ちゃん」
そんな彼女から急に放たれたその呼び名の破壊力は、僕の思考回路を完全にショートさせるのに十分だった。
心臓が、肋骨を蹴破りそうなほど暴れている。
顔が熱いなんてもんじゃない。爆発しそうだ。
隣にいる彼女を見ると、トロンとした瞳で僕を見て、無防備に笑っている。
か、可愛すぎる……。
反則だ。
こんな姿、絶対に僕以外には見せないでほしい。
口元が勝手に緩んでしまい、手で覆って隠す。
「……わかった。じゃあ……美、絵」
ぎこちない声でなんとか答えると、彼女は満足そうに「うん」と頷いた。
そして。
――コトン。
僕の右肩に、重みが乗った。
「え……」
見ると、彼女が僕の肩に頭を預けて、完全に目を閉じていた。
スー、スー。と、規則正しい寝息が聞こえてくる。
栗色の髪が、僕の首筋にさらりとかかって、くすぐったい。
彼女の体温が、肩を通して直接伝わってくる。
全身が硬直した。
動けない。動きたくない。
この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
「おーい、祥太郎。お前……リア充かよー?」
遠くの席から、先輩たちがニヤニヤしながら茶化してきたが、返す言葉が思いつかず、力なく笑って誤魔化した。
この状況……どうすればいいんだ。
可哀想だけど起こしてあげて、部屋に帰って寝るよう促すべきなんだろうけど……。
彼女の寝顔を見下ろす。
長いまつ毛が頬に影を落とし、唇が小さく開いている。
なんだか、幸せそうだ。
(……まあ、いいか)
僕も、強烈な幸福感と共に、急に睡魔が襲ってきた。
この温もりに触れていたら、もう何も考えられなくなった。
彼女の頭に自分の頭をそっと乗せる……のは、さすがに、憚られるので。
首を下に向け、僕はゆっくりと目を閉じた。
宴会場のざわめきが、遠い波の音のように心地よく聞こえる。
故郷から遠く離れたこの場所で、僕たちの距離は、肩と肩が触れ合う0センチメートルになっていた。




