第13話
七月に入り、蝉がけたたましく鳴き始め、いよいよ夏本番への突入を告げている。
前期末試験まで、あと一週間。
キャンパス内の図書館は、単位取得に焦る学生たちの熱と、それを冷やそうと唸りをあげる空調の低い駆動音が、ひしめき合っていた。
「……はあ」
重たいテキストを閉じると、紙とインクの匂いがふわりと舞った。
こめかみの奥で、ズキズキと鈍い痛みが脈打っている。
人手不足のため、連日シフトに入っていたファミレスのバイト。
やっと新しい人が入り、テスト期間を前に、シフトを以前のペースに戻すことができ、安心したのも束の間。
気が緩んだからか、しばらく無理していたツケが、ここに来て回ってきたらしい。
喉の奥が焼け付くように熱く、飲み込んだ唾液が鉄の味に変わる。
身体の節々が鉛のように重いのに、寒気が背筋を這い上がってくる奇妙な感覚。
(……やばいな、これ……)
今日はもう帰ろう。
そう決めて椅子から立ち上がろうとした瞬間――。
視界がぐらりと歪んだ。
平衡感覚が失われ、図書館の白い天井と、並んだ書架がメリーゴーランドのように回転する。
(やばい、倒れる)
そう思い、とりあえず再度椅子に座る。
僕は情けなくも、机に突っ伏すようにして、重い頭を机の冷たい天板に預けた。
遠くで誰かがページをめくる音、ヒールの足音、そして窓の外で鳴く蝉の合唱が、水の中にいるように籠もって聞こえる。
(ちょっと休めば、なんとか歩いて帰れるかもしれない……)
そう思った途端に、眠りの世界へ吸い込まれていくのを感じた。
その直前、ふわり、と。
あの、清潔な石鹸の香りが鼻先をかすめた気がした。
◇
図書館の自習スペースは、まるで試験前の戦場のようだった。
必修科目のレポートとテスト勉強に追われている私は、ここ数日は図書館に入り浸っている。
(……ちょっと休憩しよ)
重たい空気が澱む閲覧室を出て、少し開けたラウンジへと向かった。
窓の外は、梅雨明けを知らせる入道雲が湧き上がっている。
ガラス越しでも伝わる強烈な陽射しが、床に落ちる影を色濃く焼き付けていた。
自販機で買った冷たい炭酸飲料の缶を頬に当てて、一息つく。
(ふー、生き返る)
張り詰めていた緊張感がほぐれ、少しホッとしたとき、ふと、窓際の席に突っ伏している大きな背中が目に入った。
周りの学生が忙しなくペンを動かす中、その席だけ時間が止まったように静かだった。
(……あれ。瀬川くんじゃ?)
見間違えるはずがない。
でも、真面目な彼が、こんな場所で居眠りなんて珍しい。
いつもなら背筋を伸ばして本を読んでいたり、課題を進めているのに。
私はなぜか胸騒ぎがして、そっと彼のもとへと歩み寄った。
近づくにつれて、彼の呼吸が少し荒いことに気づく。
机に伏せられた顔は腕に埋まっていて見えないけれど、首筋には玉のような汗が滲んでいた。
「瀬川くん……?」
小さな声で呼びかけ、彼の肩にそっと触れる。
シャツ越しに伝わってきたのは、驚くほどの熱さだった。
「っ!」
私の声に反応して、彼がゆっくりと顔を上げた。
虚ろな瞳が、焦点の合わないまま私を映す。
いつもは涼しげな目元が赤く充血し、頬は不自然なほど紅潮していた。
「……森……さん?」
カサカサに乾いた声。
「瀬川くん、すごい熱じゃない!? 大丈夫!?」
私が慌てて覗き込むと、彼は申し訳なさそうに眉を寄せ、力なく笑おうとした。
「あー……わり。ちょっと、寝落ちしてて……大丈夫、だから」
大丈夫なわけがない。
彼が、頭を押さえながら、グラリとよろめく。
「わっ!」
私は咄嗟に彼の腕を掴み、身体を支えた。
ドシリと重い、男の人の体重。
彼の熱い吐息が、私の腕にかかる。
彼の香りと混じって、少し汗と、熱っぽい匂いがした。




