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第四話

 思いも寄らぬ事態に茫然と立ち尽くすほかないシグナスであったが、胸中の戸惑いはすぐに焦燥へと変わった。


 しまった、まずは謝罪から入るべきだった…!


 そもそも両者の顔合わせが婚礼の3日前という異例の日取りとなったのは全てルナリアに非があった。輿入れ道具の準備が難航したうえ季節外れの大雪が追い討ちをかけようやくガルドに辿り着いたのが昨日の深夜。当然城の主はとっくに床に就いており目通りは叶わなかった。


 彼女からすれば己はこれから歩みを共にする伴侶ではなく無礼な遅参者なのだ。 彼女の存在に気圧され好感を得ようとするあまり礼を欠いてしまったのは紛れもなくシグナスの落ち度である。


 シグナスは唇を引き結び今一度背筋を正した。彼女の瞳の揺らぎが何を意味していたのか、今となっては知る術はない。恐らくは言葉を交わす前から幻滅されたに違いないが、それでも二人は夫婦として生きてゆかねばならぬのだ。ならば己がすべき事はただ一つ。シグナスは扉が再び開かれるその瞬間を待った──彼女がもう一度だけチャンスを与えてくれることを願って。 


 果たしてその願いは届いた。ゆっくりと開かれた扉の向こう側から人影が差し込み、空気が慄くように揺らぐ。黒衣を纏ったその背は先程までの威厳をわずかに緩めていたが、それでもなお獅子の如き気高さを保っていた。


「先程は失礼をした。お初にお目にかかる。我が名はアルマ・エルフリーナ・フォン・ガルド…そなたがシグナスだな?」


 初めて耳にしたアルマの声は冷徹で厳かな響きを纏いながらも僅かな緊張を孕んでいた。その声音に怒りの気配はなく、シグナスは安堵しながらもそれを決して表には出すまいと深く頭を垂れた。


「この度はお会い出来て光栄に存じます、アルマ陛下。シグナス=ハイロ・ド・ラ・ルノンと申します。この度は私共の不手際により陛下に多大なご迷惑をお掛けしましたこと深くお詫び申し上げます」


 アルマを待つ間幾度も心の中で反芻した言葉であったのに、いざ口に出した瞬間シグナスは己の声が震えていることに気付いた。…いい歳をして謝罪一つままならぬ男と思われたに違いない。


「面を上げよ」


 シグナスはその言葉を額面通りに受け取るべきか逡巡しながらも躊躇いがちに姿勢を正す。その最中、ふと彼女が身に纏う鎧の表面に無数の小さな傷跡が刻まれていることに気付いた。それら微細な刻印の一つ一つが、これまでアルマの歩んできた苦難の軌跡を静かに物語っているようだった。


「…そう謝らずともよい。到着が遅れたのは雪のせいだと聞いておる。さしものルナリアも天候までは操れぬようだな。それともそなたはこの我を、天の気紛れが意に沿わぬからと駄々をこねる幼子とでも思うておるのか?」


 そのひねくれた物言いは兄のコルバスとよく似ていた。しかしそこに猜疑の影はなく、むしろ目の前の男が己を侮るはずがないという一種の甘えすら伺える。シグナスは先程まで胸を締め付けていた緊張がほどけつつある事を感じながら、思わず唇の端を緩めた。


「いえ、決してそのような事はございません。…陛下の寛大なお心遣いに感謝いたします」


 シグナスが微笑みを零しながら謝意を示すと、アルマはその目を僅かに見開き視線を宙へ逸らしてしまう。今ならば分かる。彼女は怒っているのではない、照れているのだ。もしかすると案外人見知りをする質なのかもしれない。その仕草に、シグナスは厳めしい鎧の奥底で眠る十六歳の少女の姿を垣間見た気がした。


 …自分は、そんな少女との婚姻を利用して心の安寧を得ようとしていたのだ。


 自分はついぞ「良き弟」にはなれなかった。ならばせめて「良き夫」としてアルマの傍らにありたい。例えその愛を得ることが適わずとも、せめて幻滅されることはないように。彼女の期待と信頼を己の愚かさゆえに裏切るような真似だけはすまい、と。シグナスはそう心に誓うのだった。

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