仮面の裏側
―――無言で糸を切る彼の手には、迷いは微塵も感じられない。鋏の音が街の喧騒に溶け込み、人々は何事もなかったかのように過ぎ去っていく。アガタは静かにその場を去り、カフェへと向かう。仮面で顔を隠した彼の姿は、どこか孤独で無機質な印象を与える。
カフェでは、依頼人が待っている。アガタは依頼人の前に座り、無事に運命の糸を切ったことを報告する。
「終わりましたよ」
「縁切りご苦労。報酬は所定の方法で送らせてもらうよ。しかし、さすがに早いね」
「また何かありましたら、任せてください」
「そうだね…次は縁結びを頼もうかねぇ」
「太客なので安くしますよ」
ライタを探すアガタに対し依頼人は火を差し出し
前々からの疑問を問いかける
「ところでアガタくん」
「ふぁい?」
「なぜそんな被り物を被ってるだい?」
依頼人はアガタの仮面に興味を示し、なぜ仮面をつけているのか尋ねる。そう、この男―アガタはウサギの被り物をしていた。それはどこかのホラー映画でにも出てきそうな見た目であるが、通行人が気にしているようすはない。そんな依頼人をよそに、アガタはタバコをくわえながら、無愛想に答える。
「これが俺と他人を隔てる壁なんで」
仮にも依頼人に対してそんな態度を取っても等の依頼人は特に気にするようすもなく「そうかい」と言いながらコーヒーを飲む。
―――
その後、アガタは車に戻り、ミシマと合流する。車内でミシマは苛立ちを隠せず、アガタに対して辛辣な言葉をぶつける。アガタは車内に戻ると「戻りました~」と間の抜けた声で言う
その時、ミシマが「遅い!」と怒鳴りながらエンジンを吹かす―――車は激しく発進し、アガタはシートに頭をぶつけるが、慣れたようで動じた様子はない。
「どれだけ待たせるつもりなのよ!」
「すいません、話が長引いたもんで」
ミシマは舌打ちをし、車を走らせながら苛立ちを隠さない。その様子を見たアガタは、いつもの軽い口調で彼女をからかう。
「そういや、先輩の彼氏さん元気にしてます?」
ミシマはムッとした顔でアガタを睨む。
「は?何?」
「いや、暇だからさ。話してくださいよ」
「私はあんたの暇つぶしじゃないわよ。黙って外でも見てなさい。」
「あ~、またダメだッだったんすね」
「うっさい!本当ッと鬱陶しい」
ダッシュの彼氏との写真に目をやり、苦い顔をするも、一瞬の出来事でアガタには気づかれなかった。
「だいたいあんた、先輩に対する口の聞き方じゃないでしょ、それ」
「ハイハイ、それはわる~ございました」
「後、その仮面何?顔見えないし、お客さんに失礼なんだけど」
「さあ、何なんでしょうね」
「気持ち悪いからやめろって言ってんの!」
アガタはそのまま話をはぐらかし、次の依頼について話を切り出す。
「それより次の仕事はナンすか?」
ミシマは書類を彼に突きつける。
「これ見ろアホ。次は恋愛関係の案件よ」
「うわー、また縁切り案件すかねー」
―――
アガタとミシマは依頼人の鈴木と向かい合って座る。鈴木は緊張した様子で、話し始める。
「それで、今回はどうされました?」
「は、はい。実は……妻に浮気されまして。探偵を雇ったら事実だと判明したんです。でも、私は彼女を失いたくないんです」
「私は献身的に彼女を支えてきたッ!」
鈴木の声は震えており、感情が溢れ出る。
「まぁまぁ、落ち着いて」
鈴木の肩に手を置き宥めるが、どこか冷ややかな感じがする。
冷静さを取り戻したようで、ミシマは対応する。
「私たちの仕事をご存知ですか?」
鈴木は戸惑いながらも頷き、
さわりだけは…あなた方には見えるのですよね?運命の糸が」
ミシマは冷静に「見えます」と言う。
「運命の糸にはいくつか種類があります。愛情の糸、仕事の糸、金運の糸…そして悪縁。私たちはそれらを自在に操れるので――「話むじぃよ」
と、アガタが遮るように言い放つ。
「俺達の仕事は『縁切り』『縁結び』
繋げたい人と繋げて。切りたい奴を切る。それはもちろん他人同士にも可能っす」
「ライバル会社の社長の縁を切って人生崩壊させたり…。大金持ちと縁結びしてセレブを味わったり…。やりたい放題って訳です」
アガタの説明が終わるとミシマはアガタを一瞬睨み付け、視線を依頼人に向け直す。
「あなたはどちらを望みですか?」
「私は取り戻したい…もう一度あの幸せな日々を取り戻したいんです……どうか妻との縁を結び直してください…!!」
「では前金として500万、それでもよろしいですね?」
再度、確かめるようにミシマが言う。だが、鈴木の意思は固いようだ。
「お願いします……!」
―――
依頼を終えて車に戻ると、アガタはため息をつきながら、現金の金額を思い出したように独り言を漏らす。
「500万か……。そこまでして運命を変えたいものかね」
ミシマはその言葉に冷たく返す。
「運命を確実に変えられる。そうなれば誰だってするでしょう」
彼女は少し苛立ったように続ける。
「あんた、この仕事向いてないんじゃない?」
アガタは肩をすくめ、苦笑しながら答える。
「ああ、他人の運命はね。……でも、俺たち自身の運命は見えないんだよな」
その言葉に、ミシマは一瞬視線を落とし、複雑な表情を浮かべる。
「そう、自分たちの糸は見えない。どんなに他人の糸を操れても、自分たちの未来は手探りってわけ。」
アガタは仮面越しに虚空を見つめながら、静かに呟く。
「結局、俺たちは運命に踊らされているに過ぎないのかもな。」
窓の街を見ながらアガタは思いにふけっていた。ふと彼の心に浮かぶ。子供の頃、父親が母親に暴力を振るう現場を目撃したこと。それが運命の糸に繋がっていると気づいたのは、だいぶ後になってからだった。父親の運命の糸と母親の糸が絡まり合い、母親はずっと耐え続けるしかなかった。アガタはその糸を切りたいと何度も思ったが、切っても母親の傷が癒えるわけではないことを痛感していた。
仮面をつけている理由も、その痛みから逃げるためだ。仮面を通して、他人の運命を感じ取ってきた自分を保ってきたのだ。しかし、あの時、自分を守るために仮面をつけ続けたことが、他人との繋がりを断ち切る結果を招いているのではないかと、最近になって思い始めた。
アガタがまだ小さかったころ、家の中で何度も繰り返された光景が浮かぶ。父親の怒鳴り声、母親の震える声。アガタは何度も父親に言った、「やめろ」と。しかし、父親は笑いながら言った。
「お前が悪いんだよッッ!」と。
アガタは母親のそばに駆け寄ろうとするが、父親に一蹴され、床に投げ飛ばされる。痛みが体を走り、心に深く刻まれた。「俺がいないと何もできないくせに」という父親の冷たい言葉が、アガタの胸を締め付ける。
そのとき、アガタは決意した。母親を守るため、父親の運命の糸を切ると。運命の糸が何をもたらすのか、その力を手にしたとき、アガタは静かに父親と母親を繋ぐ糸を切った。その瞬間、母親は涙を流し、抱きしめてくれたが、アガタの心は晴れないままだった…
アガタはふと目を閉じ、深呼吸をする。その時、車の中でミシマが静かに話しかけた。
「どうしたの?」
「いや、ただ…俺、何をしてるんだろうって」
三島はアガタの言葉に少し疑問を持つが、黙って彼を見守る。
―――
アガタとミシマが依頼人の話を終えて車に戻る。アガタはポケットを探ってタバコが切れたと嘘をつき、軽い調子で言う。
「先輩、タバコ無くなったんで、ちょっくら買いに行ってきます」
ミシマは苛立ちを抑えながら、冷たく返す。
「仕事中なんだけど」
アガタは肩をすくめ、「ヘイヘイ」と気楽な声で応じる。
彼はそのまま車を降り、タバコを買いに向かう。ミシマはため息をつき、ひとり車内に残るが、ふと視線の先に依頼人の妻の姿を見つける。
ミシマが街中を歩いて行くと、信じがたい光景が目に飛び込んできた。
――「九条」
その九条という男はミシマの彼氏だった。鈴木の妻は九条と親密そうに並んで歩き、笑顔で楽しげに話している。九条は鈴木の妻の肩に手を回し、彼女を引き寄せていた。その姿を見たミシマは、体が凍りついたかのようにその場に立ち尽くす。
ミシマの胸が張り裂けそうな痛みで満たされ、九条との思い出が一瞬にして砕け散るような感覚に襲われる。涙をこらえようとするが、その震える肩は彼女の悲しみを物語っている。
その時、アガタが戻ってきて、そっとミシマの後ろに立つ。彼は優しく彼女の肩に手を置き、何も言わずに寄り添う。その静かな優しさが、ミシマの胸に深く響く。
アガタは仮面越しに、どこか心配そうに彼女を見つめているが、彼の手から伝わる温かさが、ほんの少しだけ彼女を支えているようだった。
―――
車内には重たい沈黙が漂っている。アガタは窓の外をぼんやりと見つめ、仮面の縁に指をかけて小さくミシマに話しかける。
「先輩…あの」
「うるさいッ!!」
声をかけようとするアガタをよそに三島は言葉を遮りダッシュボードを叩き一喝する。
「昔からこの能力があるせいで他人の運命が見えていた。だから私にも運命の相手が現れるって信じてた!けど、結果はどう?彼氏は若い女と浮気……この能力に頼らずに繋がれる誰かを求めてた。私はただ…誰かと繋がりたかっただけなのに……ッ!」
「自分自信の運命の糸が見えないのは……私には居ないからじゃないの…?」
ミシマの悲痛な心の叫びが車内に響く。その言葉は正しく彼女の心からの願いだったのだろう。少しの沈黙の後、アガタが話し始める。
「…皮肉だよな。結局、俺たちみたいな運命をいじくる奴らが、自分の人生すらまともに繋げられないんだからさ」
その言葉は冷たく響き、ミシマの心に鋭く突き刺さる。
ミシマはその言葉を聞いて拳を強く握りしめ、一瞬言葉を飲み込むが、胸の奥に積もっていた怒りが一気に湧き上がってくる。彼女は少し息を詰め、視線を前に向けたまま、低い声で言葉を吐き出す。
「…そんなこと、言われなくても分かってる」
彼女の目には悔しさと痛みが滲んでいる。
アガタは気まずそうに一瞬視線を落とすが、すぐに軽く肩をすくめるような仕草を見せる。
「分かってるなら、なおさら不器用に生きてるな」
この一言が三島の中で何かを弾けさせる。彼女は激しい怒りに駆られて、言葉をぶつける。
「そうやって、あんたはいつも仮面に隠れて安全な場所にいるだけでしょ!誰にも本当の自分を見せないくせに!私は必死で、人と繋がりたくて苦しんでるのに!」
アガタはミシマの言葉に一瞬たじろぐが、すぐに表情を隠すように仮面を直す。ミシマはその様子を見て、怒りがさらに燃え上がる。彼女は感情を抑えきれず、ドアを勢いよく開けて車から飛び出す。
ミシマは怒りと悔しさに背を押されるように、一人で街中に歩き出す。彼女の足取りは早く、心の中で燃えるような思いが彼女を突き動かしていた。
アガタはそんな彼女の姿を見送りながら、仮面の奥で複雑な表情を浮かべる。何かを言おうとするが、結局言葉は出てこない。
「…余計なことを言っちまったな。」
彼の言葉には後悔が滲んでいるが、ただその場に残る。二人の間には、目には見えない壁がさらに分厚くなったようだった。
少しの間アガタは考え、車から降りミシマが向かった方に走っていった。
―――
煌びやかなキャバクラの店内。シャンパンのボトルが次々と開けられ、華やかな音楽と笑い声が響いている。九条は鈴木の妻にシャンパンを注ぎながら、得意げな笑みを浮かべて彼女に話しかけた。
「このシャンパンも、旦那からうまく引っ張り出した金のおかげだな。感謝しとけよ。」
鈴木の妻は九条の言葉に苦笑しながら、軽くグラスを合わせる。
「もう、悪い人ね……でも楽しいわ」
九条は彼女の腰に手を回し、さらに言葉を続けた。
「それに、あの女からも金を引っ張ってやったし、俺たちは最高に楽しめるってわけだ」
鈴木の妻はわずかに表情を曇らせるが、九条は気にせず笑い続けていた。
その光景と九条の言葉を耳にしたミシマは、体が硬直したようにその場で立ち尽くした。胸が締め付けられるような痛みと怒りがこみ上げ、視界がぼやけていく。信じたくない現実に直面した彼女は、震える声で問いかけた。
「どうして……どうして、そんなことを平気でできるの?」
九条はその声に気づいて、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにニヤリと開き直った笑みを浮かべた。
「なんだよ、お前。こんなところまで来るなんて、びっくりしたぜ。ストーカーみたいで気持ち悪いな」
彼は冷笑を浮かべて肩をすくめると、さらに挑発するように続けた。
「てか、そんなの決まってんだろ。女の価値は顔と体と年だろ、ババア」
その言葉がの心を鋭く切り裂き、彼女は涙をこらえながら震える手を握りしめていた。
その瞬間、アガタが仮面越しに鋭い目を光らせながら現れた。怒りに満ちた瞳で九条を見据えると、一言も発さずに拳を振り上げた。九条が何か言う間もなく、その拳は九条の顔面に炸裂した。
九条は椅子から転げ落ち、顔を押さえながら痛みに顔を歪める。驚きと怒りが入り混じった表情で、アガタを見上げた。
「な、何してんだお前。僕を誰だと思っているんだ!」
アガタは冷酷な視線を九条に向け、仮面の奥で鋭い怒りを放つ。
「てめえこそ三島先輩の何を知ってんだ、このタンツボ野郎。その口閉じねえと、ちょんぎるぞ」
九条はアガタの言葉に怯え、顔が青ざめる。その恐怖に満ちた表情を見て、アガタは鋏を取り出し、鈴木の妻の運命の糸を慎重に操作し、鈴木と妻の糸を結び直す。
依頼人の妻は九条の無様な姿を見て顔をしかめ、冷たく吐き捨てるように言った。
「……気持ち悪い」
アガタは鋏をしまい、冷静にミシマの方を向く。
「依頼完了だ」
アガタはミシマに優しく声をかけた。
「行くぞ、三島」
ミシマは涙を拭いながら、アガタの言葉に頷く。二人はキャバクラを後にし、煌びやかなネオンが照らす夜の街へと歩いていく。二人の間には、これまでとは違う空気が流れていた。
―――
キャバクラを後にしたアガタとミシマは、夜の街を並んで歩いていた。ビルの間を行き交うネオンの光が、二人の影を鮮やかに照らし出していた。アガタはふと歩みを止め、ポケットに手を突っ込みながら、少し考え込むような表情を浮かべた。
「…さっきはありがとう。あんたがあの男に立ち向かってくれたおかげで…私、少し楽になった」
アガタは少し驚いた表情を見せ、肩をすくめながら軽く答える。
「別に、大したことじゃないっす。あんな奴…ああなって当然だ」
ミシマはその言葉を聞いて、少し黙り込んだ後、静かに言った。
「でも、あんたがいなかったら…私どうなってたか分からない。ほんとに、ありがとう。」
アガタは少し照れくさそうに笑って、ミシマの顔を見た。
「先輩がいたからですよ。俺があいつに立ち向かう気になったのは。」
「子供の頃、家で色んなこと見てたんだ。親父がお袋に……」
ミシマはその言葉に驚き、足を止めた。アガタの言葉は、これまでの軽妙な態度とは違い、重く響いた。
「親父は酔うと、よくお袋を殴ってたんだ。普通のことだと思ってたけど、だんだんと、それが怖くなってさ」
ミシマは言葉を失い、アガタを見つめた。その目には、これまで見たことのない複雑な感情が浮かんでいた。
アガタは仮面を指でつまみながら、続けた。
「でも、どうしていいか分からなくて。どんなに手を尽くしても、お袋の運命はあの男に縛られ続ける。それを見てると、自分の運命って一体何なんだろうって、わけが分からなくなってさ。結局、俺にできるのは縁を切ることだけだった」
ミシマは少し黙ってから、柔らかな声で答えた。
「運命って……それがどうしても避けられないものだって思ってた。でも、あなたの話を聞いて、なんとなく分かった気がする。私たち、運命を切ったり繋げたりできるからって、それを使うことが自分の人生を選ぶってわけじゃないって」
アガタは少し顔を上げ、ミシマを見た。その顔には微かな笑みが浮かんでいた。
「でも、運命っていうのは、見えないところで繋がってるんだよ。俺が切った運命の糸も、きっとあいつの糸と繋がってる」
ミシマは軽く頷き、二人はそのまま歩き続けた。しばらく無言のまま進んでいたが、アガタが静かに口を開いた。
「俺さ、ずっとこの仮面に頼ってきた。運命の糸が見えるからこそ、本当にこれが正しいのか、自分の人生も他人に決められてるんじゃないかって疑ってた。だから、誰とも深く関わりたくなかったんだ」
アガタは仮面に手をかけ、深く息を吐く。冷たい夜風が頬を撫でたが、彼はゆっくりと仮面を外した。
「これが俺の顔。運命なんて、全部決まっているわけじゃないんだって。俺たちがどう捉えるかで、変わることがあるんだって、気づいたんだ」
ミシマはその言葉をしばらく黙って聞き、アガタの素顔をじっと見つめた。彼女の心の中で、ふと感じるものがあった。以前、他人との繋がりを求めていた自分。だが今、目の前にいるアガタの姿に、強い「縁」を感じる瞬間だった。
「そうね、運命は自分たちで変えていけるものだって、私もそう思う」
は少し頷き、アガタを見上げる。彼女の中で何かが軽く弾けたように感じた
二人の間に見えない運命の糸が現れ、ゆっくりと交差して絡まり合っていった。糸はネオンの光に照らされ、静かに輝いていた。
アガタはその光景を感じ取るように一度目を閉じ、深呼吸した後、少し照れ笑いを浮かべた。
「なんか、こうやって素直になるのも悪くないな」
ミシマはクスッと笑い、彼の肩を軽く叩いて再び歩き出す。
「私もそう思う」
二人は夜の街の喧騒の中へと消えていった。新たな決意を胸に、二人の物語はこれからも続いていく。