03 キノコが見せた前世の記憶と残念なスキル
ラネ9歳の夏。
エラン村の30人近くもいる同い年の子供たちは全員もうスキルを授かったらしい。
ラネが9歳以上で一人だけスキルが無い少年となってしまった。さらに年下も授かるようになってきてラネは焦り始めていた。
スキルに目覚める時期は個人差があるが子供と言える年齢だ。
しかし、その子供たちもスキルに目覚めた後、将来を見据えて職人に弟子入りしたり、街に出る準備をしたりと将来を見据えて動き出す。
そう大人の世界に一歩踏み入れるのだ。
仮に授かったスキルが好ましいものでなくても、スキルを授かるというのは大きな転機である。スキルを活かさずに自分の努力で生きていく覚悟をして自分の将来を見据えて動き出すのだ。
長兄も7歳で狩人のスキルに目覚めてからは村で狩りをして暮らしている男に弟子入りしたというし、次男は8歳で皮革を扱うスキルだったので皮をなめす作業の手伝いを始めるようになったのだとか。
そう言えば、三男はいつの頃からか母にくっついて農作業をするようになり、母も厳しく教えるようになっていた。
一方でラネのようにスキルにまだ目覚めていない子供は家事や家業といった自分の家の手伝いをしている。
9歳という年齢になり、スキルに目覚めた同い年や年下が大人に混じって働き始める中、自分だけ父に引っ付いて家事をしているのは、ラネとしてはちょっと恥ずかしい。実際は誰もラネの現状を気にしていないのだが見栄っ張りのラネは気にしてしまう。
一人だけオムツが取れない気分に近いだろうか。
少しばかりスキルに目覚めるのが遅くとも、結局は子供のうちに誰しも授かるものだと分かっている。わかってはいても、
「オレさ、上手くできなくて叱られてばっかりだ。おやっさんさ、優しく見えてかなり厳しいんだよ。」
と失敗談や苦労話を自慢してくる幼馴染に置いてきぼりをくったように感じ、気にする質のラネには悔しく歯痒いものがあった。
そんなある日の出来事だった。
ラネはいつも通りに父のお手伝いをする。
ラネの父は自身の得意な家事ばかりしているわけではない。畑仕事も手伝うし、薪集めもするし、山菜採りもする。
その日、彼はラネを連れて薪集めとキノコ採りをしに村の共有林の奥の森に入った。
共有林は村の共有財産でいろんな種類の樹木が生えている雑木林。
ここでのドングリやキノコは村のモノとされていて採取したら村全体で分けないといけない。
そして共有林の木は勝手に伐採してはいけない。鉈で枝打ちして薪を得ることは許されているが、バッサリと切り倒してはいけないことになっている。
その共有林の奥には鬱蒼とした森が広がっていて、そこが村人の狩猟や採集の場になっている。ここではたまに魔物が出てくるし、貴重な薬草も採れる。
魔物というのは人の命を奪う危険性が高い生物や得体の知れない恐ろしい生物の総称で、狼も野良犬も巨大なヒルも大蛇も魔物として扱われる。
ラネはまだ遭遇したことがないから魔物についてはよくわからない。
ラネと父の二人は共有林を越えて一時間ほど奥に分け入った先のキノコの群生地で赤いキノコをたくさん収穫して無事に家に戻ってきた。
森のご馳走だ。
夕暮れ前。
彼ら一家の食卓には小麦を水で捏ねて焼いたナンのようなものと山鹿の肉とキノコを煮て塩で味を調えた汁物が出された。長兄が森での狩りが上手くなっていて、最近は鳥や獣の肉が頻繁に食卓に並ぶ。二品であるが、量も多く、この村では比較的贅沢な夕食である。
母も兄たちも食料確保の面でスキルが有能で父もこうやって採集が得意であり、普段ラネは次男と三男にやり込められているが食事を奪い合って取り分が少ないということは滅多になかった。
この村では、ほとんどの家でまだ日が暮れない明るいうちに夕食を済ましてしまう。
ここでは獣の油を加熱して一度融かしたものに芯を浸して火を灯したものを灯りとして使うが、ニオイが強いために食事の際に灯すことはあまり好まれないのだ。
ニオイが気にならない植物油は光も強く明るいが高いし、ロウソクはもっと高い。
食卓を囲みむラネの兄たちは食べものが多いので機嫌が良い。お互いに一日の出来事をしゃべり合いながら食は進む。
ラネは椀の中のキノコを啜り飲み込んで、楽しい気分で筋張った肉を口の中で咀嚼していると、目の前がぼやけてくる。
急いで肉を飲み込むと急に吐き気がしてきて、今度は気分が悪くなる。
「母ちゃん、気分悪い。」とラネは訴える。
ギョッとした目をした母は、
「皆、食べるのをやめな。」と高い声を上げる。
「キノコか?キノコか?」と父が焦った声を上げている。
母はラネに急いで近づいて、口に手を突っ込んで無理矢理吐かせようとする。
ラネは食べたものをほとんど吐き出したが、そこで意識を失った。
エラン村ではない場所、見たこともない服装をした知らない大人たちに殴られて苦しむラネ。
母ちゃんごめん、母ちゃんごめんと知らない女性を思い浮かべながら謝り、ボーっと暗くなり意識を失った。
ラネは苦しんで意識を失ったと思ったが、なぜかラネはハッとして目が覚めた。
< ラネの視点 >
寝かされている俺のことを不安そうに見ている母。なぜか見慣れた母の顔が知らない人のようにも思える。
「ラネ、気分は大丈夫かい?キノコに当たったんだと思うけど、あんただけ合わなかったかね。」
「う、うん。今は何ともないかな。」と俺は体調をありのままを答える。
父も兄たちも心配そうな顔を向けてくる。
頭の中がこんがらがっている。ここは俺の家だけど俺の家じゃない。この人たちは俺の家族だけど俺の家族ではない。言葉にはできないような家族への違和感を俺は抱いている。
「気持ち悪くなったら、すぐに言うんだよ。」
母は兄たちにも俺の様子を注意してみているように告げて、食べ残しを父と捨てに行く。
片付けられる鍋を見やりながら、
(あのキノコはベニテングダケに似ている。だからおかしな幻覚を見ているのか?)
なぜか赤いキノコを思い出してベニテングダケという言葉が俺の脳裏に浮かんでくる。
「ラネ、大丈夫か?気分が悪くなったら兄ちゃんたちに言うんだぞ。」と三男がいつもにもなく優しい。
「俺らは何ともなかったんだけど、キノコは当たる人もいるんだって、さっき父ちゃんが言ってた。」と次男が説明してくれる。まだ次男は覚えたことをすぐ使いたがる年齢だ。
少し離れて見ている長兄は「ラネ、もう寝ような。寝床まで歩けるか?」と聞いてくる。
キノコに当たったことで食事をしたい気分は吹っ飛んでいて、今夜は無理せずにもう寝ることになった。
その晩、俺は夢の中で長い長い夢を見た。自分が白く明るく綺麗な世界に生まれ、大事に育てられたのに浅はかな思い付きで行動して人生を終える夢。
もう二度と会えない両親がいたこと、取り戻せない時間があったことをこの長い夢は俺に自覚させた。
長い夢が終わり、俺は新しくラネとして生きるということをすんなりと受け入れた。
ああ、そうか、俺はこの世界でやり直すチャンスをもらったのか。
今度は逃げずにちゃんと働こう。そうだ、赤ちゃんのオムツを洗い、赤ちゃんの世話をして、赤ちゃんの匂いを嗅いで幸せになりたいと思った瞬間、目が覚めた。
ラネとしての俺は赤ちゃんの世話をしたいという意味が夢の記憶を辿りわかってしまった。俺に与えられたスキル適性はいわゆるベビーシッターだと。
理由がわからないが俺はベビーシッターというスキルが与えられたことに動揺している。
気持ちが落ち着かない。隣に寝ている兄たちの寝息が気配で分かる。周囲を見回すが真っ暗だから余計に胸が不安定に感じる。
あとどれくらい待てば明るくなるんだろうと考え、今何時なのか確認しようと暗がりに目を細めるがほとんど何も見えない。
だから俺は照明器具のスイッチを探そうと思いつくが、ここに電灯のような照明器具はないことを思い出す。
真っ暗を我慢しなければいけない。
手元が見えない暗い夜を過ごすことなど慣れているはずなのに不便だなという感想しか出てこない自分に俺は違和感を持ち始めていた。
暗がりで目を開けていると落ち着かないので目を閉じる。すると段々と頭が冴えてきて、この家には時計が無いことも思い出す。
夢の記憶を前世とするのならば、前世の世界とは文明の水準が違う気がする。
例えば、寝具。夢の世界の記憶では合成素材のマットレスや木綿の布団などに毛布や掛布団だが、ここでは藁か萱のようなものを編んで大きな袋としてそれに藁を詰めてクッションとし、それに厚手の麻布を被せて座布団のようなマットとしている。
それをいくつか並べた上に寝転がり、布やゴワゴワな毛布を体の上に掛けて寝るのだ。
どう考えてもここはあの明るく綺麗な日本やその他の先進国ではない。
それに、スキルやギフトという夢の記憶に当てはめるなら迷信にも思える非科学的な概念が現実に存在していることから鑑みて、同じ世界であるとも思えない。
同じ世界ではないとするとこの世界の文明の発展度合いは、服装や食事、道具や衛生観念などを夢の記憶の世界と比較してみると古代か中世の段階である。
そうであれば、この家だけではなく、この世界中を探しても時をきちんと刻む時計があるのかも怪しくなってくる。
砂時計や日時計はあるだろうが、クォーツのような電気を使う時計は言うまでもなく、中世後半に出てきた振り子やゼンマイを利用する機械仕掛けの時計も存在しない可能性が高い。
違和感の理由は文明水準の違いなのか。
そんなことを考えているうちに冷静さを取り戻してきた俺はラネという自分の現状について考える。
不可思議な記憶を得たことに加えて、自分より小さい子供の世話をするスキルをようやく授かったけれど、こんなスキルは期待外れもいいところだ。
自分の将来を考える上でろくでもないスキルを授かったと思う。
同い年の連中にきっと笑われるだろうと思うと、今度はため息が出てくる。
(ベビーシッターが俺の取り柄だと?)
(年長の子供たちが近所の子供を世話するのが当たり前で、保育園も幼稚園もないこの世界で、ベビーシッターって何だよ?)
長兄が狩人で、次兄が革細工職人で、三男が農夫で、俺が父の家事よりも汎用性が低いベビーシッター。なんで自分ばかりこんなスキルになったんだろう。
俺の夢の記憶とこの世界のラネとしての記憶、どちらから想像してみてもベビーシッターを特技としてその専門性を活かして稼いでいくのは難しい。これではスキルが無いのと同じだ。
そうなると、母と兄に助けてもらいながら農家をやっていくことになるだろうか。
(嫌だなぁ。)
(役立たずはとても恥ずかしい。)
そう考えると、このスキルは両親にも隠していこうという発想に傾く。
他のできそうなことを見つけてからそれをスキルとして家族には伝えよう。
嘘を吐くことになるけど、正直に申告して嫌な思いはしたくない。
嘘を吐こうと決めたらスラスラと考えが浮かんでくる。
この前世らしい記憶の中で役立ちそうなことを探してそれにすればいい。料理はいろいろ知っている。他にもここらには無さそうな道具の知識もある。学校で学んだ理系の知識やネットで得た雑学は使えそうだ。
よし、これならなんとかなりそうだ。
そんなことを考えていたら少し外が明るくなりだした。
なんとかなると思えるようになったら安心して急にお腹が空いてきた。
そう言えば、昨日は夕食を吐き出したんだっけ。腹も減るわけだ。
それにしても不便だな。
買い置きしているカップ麺やお菓子も、冷蔵庫に入れてある食材もここにはない。
パンとチーズ、ポテトチップやクッキー、バナナ、ヨーグルト、コーラが恋しいわ。
今までは兄弟間での泣き言だったが、今は不便さへの不満ばかり出てくる。
この環境ではどうにもならないのに、おかしな記憶のせいでつい最近まで便利な生活をしていたような気になってくる。錯覚なのに。
ラネも記憶の男も習慣的に文句を垂れて精神を落ち着けてきたため、自然と「腹減った。」と自分に言い聞かせるように小さく呟く。
すると、夢の記憶にもラネの記憶にもない常識外れの考えが脳裏に閃く。
(そうだ、俺は小麦粉を手から出せるんだから出せばいいか。食塩を手から出せるし砂糖を手から出せる。これで空腹を紛らわそう。)
俺は何でこんな荒唐無稽なことを思い付くのかと自分でも驚いた。
しかし、頭の奥では確信している。これは間違いなくできることで、俺に与えられたギフトなのだと。
できると思ったことをそのままやってみる。
頭の中で甘くて白い砂糖を思い描き、右の手の平に出してみる。すると少しずつ粉らしきものが手の平に出てきたのを感じる。すぐに粉を出すイメージをやめて、左手の指先につけて舐めてみる。
それは舌に触れると溶ける、蜂蜜より優しくて甘い、懐かしいのにラネが食べたこともない粉だった。
このお話は箇条書きにしたプロットに肉付けして書いているので、おそらく30話~40話程度の物語になる予定です。