(七)復讐
(七)復讐
月から来た一行は音もたてずに宙へと舞い上がり、徐々に高度を上げて屋形の屋根の真上で静止した。
「屋形に火をかけよ」
牛車の中でかぐや姫が低い声で命を下した。
軍勢は眼下の屋敷に松明を投げ落とした。竹取の翁の屋敷は、あっという間に紅蓮の炎に包まれていく。黒煙があがり、木が爆ぜる音が響き、焼け落ちた屋根が、梁が崩れ落ちて火の粉を散らした。
「太郎。思い知ったか。我の恨みは、我の苦しみは、こんなもんじゃない。五十年もの長い間、ずっとずっと、ただ生きていくだけで地獄だった。この程度の火が、なんだというのだ。苦しめ、もっと苦しめ太郎、貴子」
煙に巻かれた太郎は、ゴホゴホと咳込んだ。喉が痛くなり、煙が目に染みて涙が止まらなくなった。熱波が体を蒸し、汗が全身から噴き出して流れ落ちた。
屋敷から逃げなければ死んでしまう。だが、どちらに行けば外に出られるか、判断できないほど視界は悪くなっている。
「貴子、貴子、どこにいる」
かぐや姫の膝蹴りですでに意識を失っていた婆は、目を覚ますことなく、炎に飲み込まれて生きながらに火葬されつつあった。皮膚が焼け落ち、筋肉の脂が溶けはじめ、白骨に炎が触れた。
妖術にかかって身体が動かせない兵たちは、炎が迫っているのに逃げられない。その顔は恐怖に引きつり、だがその場に突っ立ったまま微動すらせずに、やがては焼け死ぬのをただ待っている。
雑兵の一人の烏帽子に炎が燃え移った。直垂を焼き、皮膚を焼き、雑兵は棒のように倒れた。手も付かず、受け身もとらず、薙刀を持ったまま、まっすぐ後ろに焼けながら倒れた。
近くにいる侍大将は、大弓を脇に抱えたまま微動だに出来ずに、その光景をただ目で追っている。鎧の金具が熱波を浴びて高温になって、直垂の下の皮膚に火傷を作ったが、ただ耐え忍ぶしかなかった。
「くそ爺ぃ、くそ婆ぁ、苦しめ、苦しめ、まだ死ぬな」
梅は牛車の窓を大きく開けて、首を出して眼下の炎を凝視した。漆黒の闇夜にただ一点、深紅の光が赤々と周囲を照らしている。黒煙が夜空を焦がしている。
この日を待っていた。この時をずっとずっと待っていた。やっと願いがかなった。長かった。今まで本当に長かった。
浦島太郎の屋形が焼け落ちていく。梅の積年の恨みを飲み込んで、激しい炎と真っ黒な煙と悪臭をまき散らしながら。
梅の頬に、笑みが漏れた。数十年、笑ったことなく死んでいった梅は、かぐや姫に生まれ変わって今、やっと心から笑うことが出来た。
辛かった、辛かった。今まで本当に辛かった。太郎の今の苦しみなど、どれほどのものであろう。
牛車は再び動き始めた。上へ上へと浮き上がり、地上から見ると、どんどん小さくなっていく。成層圏から大気圏外へ、そして月へ向かって牛車は進む。やがて地上からは見えなくなった。
梅は再び牛車の窓を開けた。眼下には闇に包まれた地球が見える。すでに太郎の屋形を焼く火は見えない。大きく首を出して下を向くと、あらん限りの大声を発した。産まれてこの方これほどの大声を出したことはなかった。
「地獄へ墜ちろ浦島太郎」
(了)
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