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(三)都の富豪

(三)都の富豪

 太郎の数奇な体験は、村中の話題となった。そしてほどなく遠く都の貴族たちの耳にも入るようになった。都人たちは太郎を「浦島太郎」と呼んだ。

 貴族は暇を持て余している。

「浦島太郎を都に呼び寄せて、貴族の館で竜宮城の珍しい話を聞かせて、ご祝儀の金品をもらおう」

 そんな商売を思いついた目端の利いた男がいた。都の西北に住む竹細工職人であった。竹細工職人の目論見は見事に当たった。

 物好きな貴族たちが、「興行主」の竹細工職人を通じて浦島太郎を屋敷に呼び寄せて竜宮城の物語をさせるようになった。

 太郎には分かっていた。貴族たちが何を求めているのかを敏感に察して、実体験に虚構を付け加えて、竜宮城での事実を面白おかしい物語に作り変えた。太郎は話が上手かった。身振り手振りを加え、龍神の言葉を声色まで使って再現し、聴衆の貴族たちを魅了した。しかも若くて男ぶりもいいのである。太郎はたちまち洛中の人気者になった。貴族からはご祝儀をもらい、ついでに興行主の竹細工も飛ぶように売れた。

 竹細工職人には一人娘がいた。気が強いがなかなかの美人であった。名を貴子という。太郎と身近に接するうちに、いつしか恋仲になっていた。

 貴子と深い関係になった太郎は、婿になって父親に屋敷を建ててもらった。もしかしたら、太郎は計算づくで興行主の娘に近づいたのかもしれない。

 太郎は漁師のころよりもはるかに裕福な暮らしを手に入れることができた。


 太郎の洛中での評判は、梅の耳にも入った。信じ難いことだった。

 太郎はこの五十年、竜宮城で遊び惚けていたというではないか。その間、自分はどれほどの辛酸を舐なめたというのか。そして今、富豪の若い娘の婿となって、栄耀栄華をほしいままにしているというではないか。

 太郎の女房は、梅をおいて他に誰がいるというのだ。梅は死んでもいないし離縁もしていないではないか。

「許せん」

 梅は都へと向かった。

 明日の食にも事欠く浮浪人の梅が、はるばる都まで行くのは命がけだった。当時、多くの貧民があてもないのに都をめざしたが、梅もその一人となった。

 ボロ着のままで、裸足のままで、ごみをあさり、畑の物を盗み食いして地主に殺されそうになりながら、半年かけて、ようやく都に辿り着くことが出来た。

 浦島太郎は洛中の有名人である。屋敷の場所はすぐに分かった。梅は門前に立った。


「門前に乞食婆ぁが居座っております。何でも御屋形様に会わせろ、我は御屋形様の女房だと、訳の分からんことを口走っております」

「すぐに追い返せ」

(梅だ)

 太郎には分かっていた。浜辺で会った老婆は、あれは梅だったのだろうと、後になってから気付いていた。今、屋敷を訪ねて来たのもおそらく梅だろう。

 だが、今更会いたくもなかった。竜宮城では若い美女に囲まれて長年生活した太郎には、浜辺で会った老婆の姿は、ただただ気持ちが悪かった。そして今、こうして若い新妻を迎え、貴族の屋敷に出入りしている自分が、あのような老婆とかかわりがあると思われたくなかった。顔も見たくなかった。まして貴子に「あれが女房だ」と知られたくなかった。

「立ち去らなければ、棒を持って殴り殺せ。逃げたなら追わなくてもよい」

「玉手箱を持っております。ただの浮浪とは思われませぬが」

(あの浜に置き捨てた玉手箱だ)

 竜宮城でもらった玉手箱を惜しいという気持ちもあるにはあったが、それよりも梅との関わりを絶ちたい気持ちが勝った。

(しかたない。玉手箱はあきらめよう)

「どこぞの屋敷で盗んだのであろう。泥棒じゃ、泥棒。追い払え」

 門が開いた。梅の頬に一瞬だけ笑顔が浮かんだ。だが一瞬だけだった。

 太郎は門前に姿を見せなかった。現れたのは六尺棒を持った髭面の中年男が二人、言葉も交わさず、いきなり棒を振り上げた。

 梅の顔に、首に、腹に棒がめり込んだ。切り傷と痣が肉体に刻まれていく。吐血と泥と涙と抜け落ちた歯が、門前を汚した。

 倒れこんで動けなくなった梅の頭と両足を二人の男がつかんで体を持ち上げると、路地から少し離れた藪の中に放り投げた。男二人は後ろも見ずに門の中へと引き上げて行った。


 遠のいていた意識がやっと戻った。全身が熱を帯びている。痛い、というよりは熱かった。抜け落ちた歯のあった穴に、泥交じりの血が溜まっている。

 もう何も考える気力もなかった。ただ、一つのことだけは分かった。今、ここで倒れたままでいれば、野犬か猪に食い殺されてしまうであろう。

 歩くことさえままならない激痛と疲労をおして、梅は今夜のねぐらを探して彷徨った。どのくらい歩いただろう、梅の耳に心地よい川のせせらぎが聞こえて来た。

 その河原には同じ境遇の貧民が多数居ついていた。

「やっと寝られる」

 梅の心に絶えて久しい安堵感が芽生えた。転がり落ちるように、河原に降りると、疲れ切った体をその場に横たえた。積もり積もった疲労と苦痛が肉体を重たくした。

「くそ婆ぁ。あっち行け。ここは我の縄張りじゃ」

 痩せこけた中年男の汚い足が、梅の腹を踏みつけた。二度も三度も踏みつけた。

「あっち行け、この婆」

 都では宿無しにも決まった縄張りがあるらしい事を、梅は初めて知った。新入りの梅には居場所が与えられない。宿無しの社会ですら爪はじきにされた梅は、放心状態のまま、どこをどう彷徨ったのかも分からなかった。

 気が付くと竹林にいた。古ぼけた地蔵が三体鎮座している。夜空に満月が明るく灯り、まっすぐに伸びた無数の竹の隙間を照らしている。

 もう何も考えられなかった。ボロ布のようになった梅は、太郎が置き捨てた玉手箱をしげしげと見つめた。中には宝物どころか何も入っていなかった。

 それでも玉手箱そのものは売り物として値がつくだろうが、太郎の品を梅は手放すことができなかった。手放せば太郎との縁が切れてしまうのが嫌だった。どんなに困窮しても、どんなに太郎を憎んでも、玉手箱だけは大切に持ち続けて都までやってきたのは、太郎への未練かもしれない。

 玉手箱が月光に照らされている。竹林の隙間から漏れる月光は、驚くほどに明るかった。

 梅の下腹に圧迫される強烈な痛みが走った。うつぶせに倒れこんだ梅は、多量の血を吐いた。

「地獄へ墜ちろ、太郎…」

 次第に意識が遠のいていく。大量の血に赤く染められた玉手箱に煌々と月光が反射している。それを古ぼけた三体の地蔵がじっと見つめていた。

「太郎。太郎、地獄へ墜ちろ」

 かすれた声で、かろうじてそれだけを言うと、梅は息絶えた。苦労ばかりの人生だった。遺骸は誰にも葬られることなく、野犬の餌となり地上から消えた。

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