奏栄の思惑
「さぁ、冷めないうちにお召し上がりください」
いつの間に用意したのか。
庭を眺めることができる開けた場所に卓と椅子を並べ、奏栄は麗花を誘った。
麗花は奏栄に促されるまま椅子に腰かける。奏栄が焼いた餅を一つ、手に取った。餅の表面に描かれているのは「盃」だった。
――どんな望みも受け入れてみせましょう。
麗花の仮面に対する奏栄の返答であった。
こちらへの嫌味か。腹立つ。
麗花はふんっと鼻を鳴らした。
本日、麗花が被る仮面は晩春の月夜を模した意匠を施した一品である。
黒く塗りつぶされた面に散り行く海棠の花が描かれていた。海棠の花は美しく、縁起の良い花とされるが、麗花の纏う仮面の意味はまったく真逆のものである。
麗花は卓上に置かれた翳で顔を覆う。これも奏栄が用意したものだ。
「食事の度に広袖で顔を覆っていては袖が汚れてしまいますから。こちらをお使いください」
そう言って差し出されたものは、赤い布地に金糸で鵬が刺繍された翳だった。赤い房飾りもついた、一目見て一級品とわかるものである。
「このような品、どこで手に入れたのです?」
麗花が思わず、翳を手に入れた奏栄に尋ねたほどである。
しまったと思った時には、奏栄がひどく嬉しそうな表情を浮かべていた。
「鸞州の東部地方は染色を行う職人が多くおり、職人たちが染めた刺繍糸を使って仕上げた逸品でございます。絹織物に関しては北部の凜州に一日の長がございますが、鸞州の染色と刺繍の技法も負けてはおりません」
しっかり故郷の宣伝も忘れない。地方出身の貴族の令息が、王都にて皇帝に仕えるともなれば、故郷の産業を売り込むには絶好の機会である。ましてや、皇族や貴族が気に入ってくれたならばよい宣伝になる。熱の入り用によっては産業を後押ししてくれる後援者ともなってくれるだろう。
だが、麗花は苦い思いで献上された翳を見つめる。
何が腹立たしいかと言えば、こちらが「こうしてほしい」と思っていることを奏栄は何となく察して行動で示してくる点である。餅を焼いたのも、今朝の朝食が塩気の多いものばかりで、麗花の食事の手が滞りがちだったためだろう。
相手の所作をよく見ている。
麗花は仮面越しに、のんびりと庭を眺めている奏栄を見据える。
この男、一筋縄ではいかない。
「何か私めに伝えたいことがあるのですね?」
麗花の視線に気づいたのか、奏栄は庭から麗花へと顔を戻す。
ほら、これだ。
麗花が人目を気にせず食事できるよう、わざと庭を眺めて視線を外し、こちらがじっと相手を観察しようとするとすぐこちらに意識を戻す。
なんと優秀で、心優しい青年なのだろう。
だからこそ、麗花は彼を遠ざけねばならない。麗花が必死になって築き上げた心の砦に、奏栄は難なく入り込んできてしまう。
「……まるでわたくしの心のうちを見透かすかのような物言いですね。それが奏栄殿の異能なのですか?」
少しでも奏栄に関する情報がほしい。
麗花は目の前でくつろいでいる青年を睨みつけた。
「いえ、私の能力は心理戦には向きません。もっと直接的な、武力行使を得意としています」
奏栄は首を横に振って真面目に答える。
彼が手のひらをこちらに差し出すと、小さな炎がぽっと燃え上がった。
「いいのですか? わたくしなどに手の内を明かして……」
「問題ございません。私は麗花様の護衛です。むしろ私の得意とするところ、また不得手な部分を把握していただき、必要な時は采配を振るっていただければと存じます」
あくまでも事務的な口調だが、こちらを見つめて微笑む表情には麗花への信頼がうかがえる。
ああ、この瞳が忌々しい。
せっかく収まった胸の痛みが、麗花を苛む。身の内よりわき起こる罪悪感から、思わず顔をそらした。
「随分と自信がおありのようですね。やはり妖魔と相対してきた御仁は、今までの護衛とは違いますね」
多分の皮肉で返す。
麗花の立場では、こちらの後ろめたい感情を奏栄に悟られてはならない。
「お褒めいただき光栄です」
いや、褒めてないから。遠回しに揶揄しているんですけど。
嬉しそうに頭を下げる奏栄に、麗花は呆れた。
「私もこの三日の間に麗花様への印象を改めました。やはり噂は信用できませんね」
「わたくしへの印象? 噂?」
思わず声が硬くなった。おおかた「腹の内が読めない不気味な公主」だとか、「仮面ばかりが豪華な変わり者」とか辺りだろうか。
「まぁ、そういう話も確かに聞きますが、たいていは公主様への畏怖の類ですね」
麗花が首をひねりながら自分が知っている噂を口にすると、奏栄は苦笑を浮かべた。
「ですが、噂と違い、麗花様は実に愛らしいお方であるとわかりました」
「あ、愛らしいっ……ですか?」
思わず裏返った声を上げてしまい、慌てて声量を元に戻す。
今までのやり取りのどこをどう捉えればそのような解釈になるのか。
麗花の反応を奏栄は微笑ましそうに眺めている。
「そういうところです」
のんきに茶をすする奏栄に、麗花は殺意に似たものを覚える。
「知った風な口を……」
「私は麗花様の優しい一面を存じています。ですから、この宮を出て行こうなどとは思わないのですよ」
奏栄の双眸が一瞬、鋭くなったように思う。
追い出そうとしても無駄だぞ、とでも言われているみたいだ。
こちらを牽制する奏栄に、翳を握る麗花の手に自然と力がこもった。
うまく奏栄の態度を叱る口実があればいいのだが、その隙を奏栄は麗花に与えなかった。麗花が拒絶や嫌悪を示す直前、絶妙な間合いで身を引き、麗花の機嫌を取って事なきを得てしまう。
「……何が望みなのです?」
麗花の低い声が、仮面の下からもれ出した。麗花が傍に人をつけることを疎んじていることを知っていてなお、ここまで頑なに「護衛」の立場に縋ろうとしている。
皇族に取り入るために、何か思惑があると考えることは普通だ。
「そうですね……私めの願いを叶えるには、その前に解決せねばならない問題が山積みですので」
明らかに、奏栄の態度が変わった。それまでのにこにこと和やかな雰囲気が鳴りを潜め、その双眸に薄ら寒いものを漂わせている。
ついに本性を現したか。
麗花は身構えた。
仙騎隊と禁軍の諍いはよく耳にする。
ならば、仙騎隊の地位向上だろうか。
それとも、一昨年の水害に見舞われた奏栄の故郷・鸞州への資金援助だろうか。
あるいは、より個人的な、この宮中での立場を固めたいという出世に関することだろうか。
どの望みが奏栄の口から飛び出たとしても、麗花は決して首を縦に振るつもりはなかった。
仮面の公主は、特定の誰かの肩を持つことはない。
警戒する麗花に、奏栄が真面目な表情で口を開く。
「目下のところ、まずは食事ですね。麗花様は痩せ過ぎです。もっとしっかり栄養価のあるものをたくさん食べていただかねばなりません」
「……はい?」
自分の全身から急激に力が抜けた気がした。
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