悩みの種
食えない人……。
麗花は自室の窓辺で一人、ため息をついた。
奏栄が尊麟宮へやってきて、まもなく三日は経とうとしている。
「皇族相手に臆するような相手ではないとは思っていたけれど……」
仮面に施した意匠の由来まで看破してみせるなど、一体誰が想像できただろうか。
仙騎隊は異能によって選ばれる。
裏を返せば、卑賎の出だろうと異能さえあれば仕官できるのだ。
「わたくしが彼の故郷を救う政策を進言したからだ、とは言っていたけれど……」
麗花としては皇帝に意見を求められ、万民のためになる施策の模範解答を示したつもりだった。ただそれだけのことだというに、奏栄は麗花に対して恩義を感じ、尽くそうとしている。
そんな相手をどう宮から追い出すべきか。
麗花も考えあぐねていた。
これまで皇帝が寄越した人たちには、どういう態度で接しただろうか。
麗花は仮面の覗き穴を虚空へ向ける。
奏栄の前にやってきた侍女は、麗花が薬草を差し出しただけで尊麟宮を飛び出していった。
その前の護衛には「夜には火種を用意せよ」と助言をしたら、翌日には煙のように門前から消えていた。
さらにその前は、麗花が姿を現しただけで失神していた。
そのさらに前は――
「……まったく参考にならない」
今まで皇帝が寄越した連中は、麗花を恐れて三日と経たずに尊麟宮を飛び出していった。麗花が纏う仮面の意匠を察する以前の問題だったのだ。
しかし、あの蘭奏栄という男は麗花を恐れるどころか、親身に接してくる。
どれだけ麗花が冷たくあしらっても、奏栄は健気なほど世話を焼きたがるのだ。
「それほどまでに、故郷やそこに住む家族や友人を大切に思っているということなのでしょうね」
麗花の胸が鋭い痛みを訴える。
真冬の水が皮膚を刺すような、寒々しい痛みだ。
その痛みを無視するように、麗花は視線を窓の外へと向ける。
晴天が続く王都では、この時期がもっとも過ごしやすい。
山頂にある尊麟宮では遮るもののない陽光が惜しげもなく庭や池を照らすので、草花がまるで自ら輝いているかのような光景を見ることができた。
そのひどく眩しい光景を、麗花はいつも自室から眺めている。
光の下に出ようとは思わない。ただ、こうして明るい世界を眺めているだけでも、麗花には過ぎた幸運なのだ。
その明るい世界の中で、動き回る者がいる。
明るい茶髪に、深みのある青い双眸を持つ奏栄が、麗花が窓から見ているとも気づかず、忙しなく立ち働いている。
……よくもまぁ、一日中動き続けていられる。
日が昇る前の刻限に起き出し、自分の背丈ほどの長さの槍を離れの近くで振るって鍛錬をする。日課が終わると厨へ行って朝食の準備と麗花の身支度の手伝い。加えて麗花が戻ってくるまでに宮内が綺麗に掃除され、今の刻限では躑躅や石楠花の手入れをしている。
「仙騎隊隊長の自覚がないのかしら?」
少なくとも、先代の仙騎隊長は厳格な武人であった。
皇帝の命令を忠実にこなすため、手段を問わない残忍さとその類まれな武術の才で、禁軍の兵士たちですら恐れた人物である。皇族相手とはいえ、雑用の類を率先して行うようなことはない。
奏栄も若いながら、先代の隊長の推薦を受けて今の地位にいる。武術の優れた御仁であることは、麗花も皇帝から何度も話を聞いていた。
本当、先代とはまったく違う……。
麗花が呆れていると、庭の草むしりをしている奏栄の頭に一羽の小鳥が降り立った。奏栄が顔を上げる。しかし、追い払うこともせずそのまま草むしりを続けている。
すると、どうだろう。
奏栄が自分たちを無碍にしないと悟った途端、小鳥たちが一羽、また一羽と奏栄の頭や肩、果ては丸めた背中にまでやってくるではないか。
「ふふっ、なんて間抜けな姿……」
小鳥たちの山に埋もれた奏栄を見て、麗花は思わず笑ってしまった。
そこで我に返る。
何を和んでいる、穏麗花。わたくしは彼を一刻も早く尊麟宮から追い出さねばならない。
自室に引きこもり、考えを巡らせて早三日。
いよいよ、麗花は困り果て、焦っていた。
「いっそのこと、適当な難癖をつけて追い出すべきかしら?」
冷たくあしらうだけでは、奏栄は堪えない。威圧的に、こちらの敵意を剥き出しにして、奏栄のすること成すことすべてにただ「気に入らない」と伝えるのだ。
「……いいえ、それはふさわしくない」
逡巡した後、麗花は首を横に振る。
それではただの駄々っ子だ。
仮面の公主は皇帝の最側近。
常にその傍らに控え、政を補佐する存在である。
仮面の公主としての威厳と振る舞いには気を配らねばならない。奏栄一人を追い出したいがために、これまで麗花が築き上げた仮面の公主としての心象を失墜させるようなことがあってはならないのだ。
「麗花様、お目通りを希います」
麗花が唸っているところへ、部屋の外から奏栄が声をかけてくる。
「どうぞ」
慌てて背筋を伸ばすと、麗花は仮面の位置を整え、返事をした。
「失礼いたします。麗花様、本日は日差しも暖かいので、外でお茶をいたしませんか? 久しぶりに餅を作りましたので、一緒に食べましょう!」
茶器と餅を載せた盆を手に、奏栄が微笑む。
間を読んだように、麗花の腹が小さく鳴った。
「……いただきましょう」
麗花のか細い声が、そっと答えた。
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