包子と茶
「せっかくですし、お茶も入れましょう」
「お茶を?」
麗花は首を傾げた。麗花の様子に奏栄はあっと声を上げた。思わず冷や汗が流れる。
「失礼いたしました。王都では食事の際にお茶を喫することはしないのですよね」
皇族や貴族の間では、茶はその香りと味を、甘味とともに味わうことが一般的だ。食事の際は料理の味に混じらないよう白湯を飲む。
「鸞州では食事の際に茶を喫する習慣があるのですか?」
「はい。私は王都の南、鸞州の生まれでございますが、鸞州の北部一帯は茶葉の生産が盛んです」
真璃国には国王の直轄領である王都、そしてその周囲を取り巻く八つの州で構成されている。東に琴海が広がり、西には竜の背を思わせる険しい山脈、竜背山脈が横たわる。その竜背山脈から二本の大河――北の雲豹、南の雨鏡が大陸を横断し、琴海へと流れ込む。北西の渓州から先は広大な砂漠地帯が続いており、その砂漠を超えた先には真璃国とはまた異なった文化を持つ国々が存在すると聞いた。
王都からちょうど南に位置した鸞州では、州北部で茶の栽培が盛んであった。
真璃国に出回る茶葉はほぼ全て鸞州産だと言われるほどである。しかし、それも皇族や貴族、金持ちの商人などが飲むものであり、市井の者が日常的に飲むものは白湯が基本だ。
「鸞州では平民向けの安価な茶葉も普及しております。そのため、食事の際に茶を喫するのが習慣となっており、皆が茶を飲みながらゆったりとした時間を過ごします。そうして家族との団らんを楽しむのです」
過去に、疫病が猛威を振るった時代があった。王都、七つの州が大きな被害を被った中で、ただ一つ、鸞州だけは疫病による死者数が極端に少なかったという。
調べてみたところ、罹らなかった者は皆、日常的に茶を飲んでいたということがわかったのだ。酒を飲めない子どもでも、お茶なら一緒に飲むことができる。
鸞州を治める王は代々、茶の薬効に着目し、普及を進めた。そうして根付いた習慣だった。
いつも父上や兄上が大量の茶葉を送ってくるものだからつい忘れてしまっていた。
麗花の後に続き、奏栄は自分の故郷の食習慣を懐かしむと同時に自戒する。
「……鸞州のお茶は、もう大丈夫なのですか?」
麗花の、どこかこちらを案ずるような声音に、奏栄はハッと息を呑んだ。
自然と表情が和やかになる。
「覚えていてくださったのですね」
一昨年の夏前のことだ。鸞州を襲った水害の影響で、その年の茶葉の質が落ち、水害前の鸞州の茶葉の値が高騰したのだ。
「ご心配、痛み入ります。未だ復興の途上とはいえ、鸞州の皆は力を合わせて茶葉をもとの 品質に戻そうと励んでおります」
奏栄は運んできた大皿を卓案に置く。
麗花に向き直ると、奏栄は胸の前で両手を重ねる。そうして深々と麗花に頭を下げた。
「麗花様には、感謝してもしきれません。鸞州に住むすべての民を代表し、謹んで御礼申し上げます」
突然頭を下げてきた奏栄を前に、麗花が一歩身を引いた。
「わ、わたくしは、何も……」
奏栄が感謝の言葉を述べる意図がわからないらしい。
そんな彼女の奥ゆかしさに、奏栄は好感を抱いた。
「『我々仙騎隊を被災した州へ派遣できるようにしていただきたい』……その嘆願を受理するよう陛下に進言してくださったのは、他ならぬ麗花様であったと伺っております」
仙騎隊が災害救助に参加できるようになったのは、実はごく最近のことである。
仙騎隊は妖魔討伐を主目的に創設された皇帝直属の実戦部隊だ。禁軍同様、その活動には常に皇帝の御意が示される。
しかし、妖魔退治が減ってきた昨今で、ただ悪戯に王都に留め置かれるだけでは異能を持つ仙騎隊の意義はないのではないか。苦しんでいる真璃国の民を救い出すためにこそ、我々の異能は使われるべきだ。
奏栄は仙騎隊の隊長に就任してからずっとそのように考えていた。そこで再三にわたり、軍令部を通して嘆願を出してきたが、聞き入れられることはなかった。
そして一昨年、各地で長雨が続き、鸞州で大規模な川の氾濫が起きた。
奏栄は絶望した。自分の故郷が水没していく様を、ただ王都から眺めていることしかできない。奏栄の仙騎隊への入隊が決まり、心から喜んでくれた家族たちに、自分は何もできないのかと己の無力さを嘆いた。
そんな奏栄を鸞州へと向かわせてくれたのが、目の前にいる仮面の公主である。
奏栄は、皇帝にどんな思惑があれ、与えられたお役目を必ずや全うすると心に決めていた。
奏栄は顔を上げ、麗花に柔らかな笑みを向けた。
「麗花様のおかげで、鸞州は救われました。私がこうして公主様の護衛として陛下に遣わされたのも、きっと天が公主様への御恩をお返しせよとの思し召しなのでしょう」
奏栄が顔を上げると、蔓草の装飾が美しい仮面が微笑みかけてくる。まるで草木の仙女が奏栄に微笑みかけてくれているように感じた。奏栄は口角を上げる。
「ですので、『実らず』『枯れゆく』つもりは毛頭ございません。どうぞご承知おきくださいますよう」
挑むように見つめると、麗花は息を呑んだ。
「……知っていたのですね」
「『花神舞いて風神歌い、その喜びに天は雲を払う。されど悲しき実を結ばぬ蔓草は、ただ頭を垂れるのみ』……『天仙経』の一節です」
奏栄はじっと麗花から目を離さずに告げた。
「さらにその後、こうも続きます。『実は結べねど、伸びる蔓草は大地を覆い、か弱き獣をその腕に抱く』。公主様の慈悲深さはまさに真璃国の至宝と言えましょう。そのような高貴な方にお仕えできることはこの身の栄誉にございます」
麗花は奏栄の指摘には答えず、仮面越しに彼をじっと見つめてくる。奏栄は無意識に重ねた両手を握りしめる。
仮面の公主に見られている。この感覚を、人々は嫌う。
仮面の公主は「千姫眼」という、悪意を見抜く両目を持って生まれるという。
人々の悪意を見抜き、それを帝に伝えることで、これまで真璃国は争乱を未然に食い止めてきた。そのため、人々は仮面の公主に見つめられることを最も恐れる。自分の内心に潜む、卑しい心が白日の下にさらされるのではないか、と畏怖するのだ。
しかし、奏栄はあえて仮面の公主を真っ直ぐ見つめ返した。
奏栄自身を知ってもらうのに、これほど手っ取り早い方法もないだろう。
麗花の護衛の任を全うするには、他ならぬ彼女からの信頼が必要不可欠だ。
「あなたは誰よりも真っ直ぐ、わたくしを見つめてくるのですね……」
視線を外したのは、麗花だった。彼女の視線が大皿に盛られた包子の山に向く。
「……また、包子を作ってくれませんか? 鸞州のお茶と一緒にいただきたいわ」
「もちろんです! 気に入っていただけたようで私も嬉しゅうございます!」
奏栄は弾けるような笑顔になった。麗花が、小さく息をつく。
「茶器をご用意いたします」
一度厨に戻り、必要な茶器と茶葉を用意して再び麗花のいる庭園側の一室へ戻った。
麗花は包子を片手に、のんびりと庭の景色を眺めている。その佇まいはまるで奏栄が傍にいないかのような振る舞いだった。
今は、これでいい。
少なくとも、奏栄の覚悟は麗花に伝わったはずだ。自分の作った料理を気に入ってもらえたことも、純粋に嬉しかった。
厨から戻ってきた奏栄に、麗花は自分の対面を手で示す。
座れ、という意味だろう。
「一人でこの量は食べきれません。一緒に食べてください」
「あ……申し訳ございません」
麗花は食が細いようだ。奏栄の家族や仙騎隊の部下たちはよく食べるから、つい量を多めに作ってしまった。
今後はもっと公主様のことを知る機会は増えるだろう。
麗花とともに包子を頬張りながら、奏栄は気長に行こうと自分に言い聞かせた。
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