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仮面の公主  作者: 紅咲 いつか
三、凝る心は陰を食む
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長期戦

「よもや、ここまで事が大きくなるとは思いませんでしたよ」

 一夜明けた早朝。まだ日の出前の薄暗い庭園内で、奏栄は一匹の黒猫と対峙していた。

 黒猫はひどく人間じみた苦い表情を浮かべ、前足で顔を洗う仕草をしている。

「今度の妖魔は『呪い』に近い。麗花様によると、賢妃様が来訪された後、仮面が一つなくなったらしい。最初に妖魔に襲われた際に被っていた仮面だ」

 奏栄は眉根を寄せ、苛立たしげに鼻を鳴らした。

「今も妖魔の陰気が、常に麗花様の周辺に蟠っている。何度祓っても、すぐに沸いて出てくるからキリがない」

 奏栄は麗花の寝所をふり返り、表情を曇らせた。

 結局、麗花が寝付いたのはつい先程のことである。

 奏栄の陽気を込めた仙石の首飾りを握らせ、ようやく束の間の安息を得たのだ。

 夜の間、妖魔たちは麗花に纏わりついて離れず、眈々と麗花を(なばり)へと引きずり込もうとしている。奏栄は常に己の傍に麗花を引き寄せ、妖魔たちを牽制し続けるしかなかった。

「依り代となった仮面をどうにかしない限り、事態の収拾は難しいでしょうね」

 黒猫も神妙な顔つきで頷いている。

「こちらも報告がございます。意識を取り戻した近衛兵たちは今朝方、無事、陛下のもとへ送り返しました。後遺症も見られません。ただ……妖魔に襲われた前後の記憶はないようです」

「そうか。よかった」

 心から安堵の表情を浮かべた奏栄に、黒猫は気まずそうに頭を下げた。

「それともう一つ報告が……。『裏切り者』を見つけました」

 晃燕の報告に、奏栄はすぐに険しい表情になる。

「しかし、情報を聞き出すには至りませんでした」

「自害したのか?」

「はい」

 黒猫は頷くと、その細い髭を震わせた。

「北部、凜州の出身でした。記録の断片を見る限り、恐らく、身内か何かを盾にされたのでしょう」

「……そうか」

 奏栄はそっと目を閉じ、しばし黙考する。再び目を開いた時には、迷いのない青い瞳が黒猫を見据えた。

「適切な処置を施した後、人知れず処理せよ。陛下には折を見て、俺から報告する」

「はい」

 黒猫が神妙に頷く。奏栄はこの話題は終わったとばかりに早々に話題を次へと移す。

「晃燕、陛下への書状は無事、届けたか?」

「もちろんですよ。あんな事件があった後ですからね。『緊急事態』と言うことで、陛下の寝所に忍び込んでどうにか手渡しましたよ」

 黒猫がニッと牙を見せながら不敵な笑みを浮かべる。

「正直、首切り覚悟で赴いたのですが、逆にお褒めの言葉を賜りました。なかなか話の分かる御方のようで安心しましたよ」

「おい、晃燕。さすがにその言い方は不敬だぞ」

 奏栄は呆れ顔でため息をつく。

 晃燕なりの冗談なのだろうが、こんな状況下では軽口を叩く気分にもなれない。

「とにかく、尊麟宮の状況をお伝えしたところ、陛下より『事が解決するまで、仮面の公主は宮での療養という形で公の場へしばらく出なくてよい』とご許可をいただきました。無論、尊麟宮へ誰も近づかぬよう命じてくださるとお約束もいただきました」

 黒猫が居住まいを正す。にゃんっと一声鳴き、奏栄の反応を窺っていた。

「わかった。晃燕は白夜宮へ潜入して盗まれた仮面がないか探ってほしい。それと、麗花様が不在の間の、宮中の動向も詳しく知らせてくれ」

「無論です。隊長もどうか、お気をつけて」

 晃燕の声音が低くなる。

「妖魔との根競べは気を抜いた途端、即刻喰われますよ」

「ああ、心得ている。晃燕も油断するなよ」

 黒猫は一声鳴いて門の外へと出て行った。

 奏栄はすぐさま麗花の寝所へ戻る。

 案の定、奏栄が少し離れていただけで、妖魔たちは麗花の横たわる寝台の周りをうろついていた。朝日が差し込むせいでその姿はだいぶ薄いが、その顔に麗花の仮面を身に着けているせいで夜でもないのに姿を現している。

 麗花の周りをうろつく異形の影に、奏栄は抱いた不快感をそのままぶつけた。

「退け。お前たちのような存在(もの)が近づいていいお方ではない」

 奏栄は仮面を被る妖魔たちを睨みつけた。早足に妖魔の間を抜ける。奏栄が立ちはだかった途端、妖魔たちは波が引くように離れていく。

 やはり攻撃してこない。狙いはあくまで麗花の『心』を壊すつもりなのか。

 奏栄が振り向くと、寝台の上で横たわる麗花はひどくうなされていた。額に汗を浮かべ、眉を寄せ、輝きの弱った仙石を力強く握りしめている。

「奴らの思い通りになどさせるか」

 奏栄は仙石を握る麗花の手に、そっと己の手を重ねた。陽の気を流し込むと、血の気の引いた麗花の顔が赤みを取り戻す。力んでいた手が緩み、寄っていた眉も離れていった。

 穏やかな寝顔へと戻った麗花はあどけなく、少し幼ささえ感じさせる。安心しきった様子で眠る麗花に、奏栄は思わず微笑んだ。

「どうか、今しばしご辛抱ください」

 奏栄の空いている手が麗花の頬に触れる。そうして奏栄が麗花を労わる横で、妖魔たちが遠巻きに徘徊している。赤や青、緑や黄色と色とりどりの彩色を施された仮面たちは絶えずこちらに微笑(わら)いかける。それはひどく不気味で、不快な光景だった。

「麗花様が日々見ていた光景は、こんな感じだったのだろうか」

 奏栄は集まってくる仮面たちの微笑を見つめ、顔を顰める。

 素性も、欲も、本性すらも覆い隠し、自分にすり寄ってくる連中を前に、麗花はさぞや恐怖を感じたことだろう。

「そ、うえい……?」

 麗花のか細い声に、奏栄は我に返った。

 振り返ると、寝起きでぼんやりとした眼でこちらを見上げる麗花の顔がある。

「申し訳ございません。起こしてしまいましたか?」

「いえ、その、手を……」

 麗花がほのかに頬を染めた。奏栄は自分の手元へ目を向ける。

 無意識に、強く握り過ぎてしまったようだ。

 麗花の白い手が、奏栄の指の形に薄っすらと赤く染まっている。

「も、申し訳ございません! 痛かったですよね? すぐに冷やすものを――」

「大丈夫です。それよりも、奏栄も休んでください!」

 慌てて手を離す奏栄に、麗花は奏栄の袖を咄嗟に掴んで引き留めた。

「わたくしに付き添い、一睡もされていませんよね?」

 麗花の気遣いに、奏栄は思わず表情を緩めた。

 一番辛いのはご自身だろうに……本当にお優しい方だ。

「私のことはお気になさらないでください。適度に仮眠はとっておりますし、こうして麗花様とお話しているだけで心が安らぎますから」

 笑顔でそう告げても、麗花は表情を曇らせるばかりである。

「麗花様こそ、あまり眠れていらっしゃらないでしょう? まだもう少しお休みください」

「いえ、あの……大丈夫です。それよりも、何か食べるものはありませんか?」

 麗花の腹から小さな音が鳴る。顔を真っ赤にした麗花は奏栄の腕に顔を押し付ける。しかし、耳が赤くなっている様を見て、奏栄はひどく胸が熱いような、目の前にいる麗花を抱きしめたいような衝動に駆られた。

「結局、昨夜は何も食べずにそのままでしたからね。何が食べたいですか?」

 奏栄は麗花から視線をそらし、早口で聞いた。

 奏栄の腕に顔を押し付け、もぞもぞと動いていた麗花は小さな声で一言――

「包子。山菜の味噌和えのやつで……」

 奏栄と初めて出会った際の料理を所望した。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2024

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