隠に入る
「ですが、わたくしの身を案じてくれるあなたの言葉は嬉しかった」
「麗花様……」
麗花は奏栄の前で自身も両膝をついて奏栄と視線を合わせる。
「蘭奏栄。あなたはわたくしの護衛。その忠義に、偽りがないと言い切れますか?」
「無論です」
奏栄は迷わなかった。今までも、奏栄は麗花にその思いを行動で示してきたし、麗花も理解しているはずだ。案の定、麗花はすぐさま頷いた。
「蘭奏栄。わたくしを手伝いなさい」
麗花が淡々と命じる。
「この衣を全て処分するのです」
「っ! 麗花様、それは……っ!」
麗花の命令は、奏栄にとってこの身を剣で突き刺されたような痛みを伴った。頭から冷水を浴びせられたように、自分の身体から血の気が引いていく。
「ねぇ、奏栄殿。わたくしを守ってくださるのでしょう?」
麗花の赤い両手が、今度は直に奏栄の頬に触れた。咄嗟に身を引いた奏栄の鼻先に、麗花の仮面の冷たい鼻筋が触れる。
「『穏に踏み入る』とは、そういうことですよ」
「麗花様……」
震える奏栄の顔から、無機質な仮面の冷たさが離れる。立ち上がった麗花は、奏栄に焚火の傍で山積みにされた衣を指し示した。
「さぁ、奏栄殿。お願いしますね」
衣の数は上下を合わせてざっと五、六着になるだろうか。絹製の滑らかな衣は、それ一つで小さな屋敷を構えるだけの土地が買える一品である。
これらすべてに、漆が塗られているのか。
せめて誰が贈ってきたものなのか、調べる手段として残しておきたい。
そんな奏栄の思惑を読んだように、麗花が奏栄の名を呼ぶ。
「全て焼き捨てるのです。いいですね? 奏栄殿」
奏栄は反論しかけた口を閉じ、ただ諾と答えることしかできなかった。
覚束ない足取りで立ち上がると、奏栄は麗花に言われるがまま、衣を火の中へ焼べる。
その際、何か黒くて小さなものが衣の袖から転がり落ちた。
目で追うと、草むらに落ちた小さな影はささっと草を揺らしてどこぞへと逃げていく。
まさか、鼠まで仕込んであったのか。
奏栄は苦い表情で次の衣も火の中へと投げ入れる。半ば、自棄になっていた。
俺は、なんのために麗花様の傍にいるのだろう。
奏栄はまた一つ、衣を火の中へと焼べる。その度に、自分の心の中で、これまで過ごした麗花への印象が崩れ落ちていくような気がした。
甘い物が好きで、控えめに笑う、恋愛物語が好きな、妹と同じ年ごろのか弱い少女。
皇帝を思いやるために、妃や侍女たちからの嫌がらせを一人で耐えている少女。
そんな奏栄がよく知る麗花が、次の瞬間、冷たく、残酷な命令を下す「公主」の姿へとすり替わる。自分を傷つける相手すら放置し、真実が明るみに出ることを恐れ、証拠となりうる品を護衛に消させる麗花。
そのあまりにかけ離れた二つの麗花の「顔」に、奏栄が愕然とした。
麗花様、本当のあなたは一体どれなのですか?
最後の衣を投げ入れ終えると、奏栄は灰となって虚空に舞う衣の残骸を見つめる。麗花もまた、奏栄の傍らで衣が燃えて消えていく様を眺めている。
奏栄は麗花の横顔へと目を向けた。
今、麗花様は仮面の下で、いったいどんな表情をしているのですか。
奏栄は虚しい思いを抱えたまま、麗花の傍に立ち尽くしていた。




