表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮面の公主  作者: 紅咲 いつか
二、暴く炎槍は夜陰を裂き
20/46

 奏栄はそのまま踵を返して門の方へと歩き出す。

「どこへ行くのです?」

 麗花の焦った声が、奏栄の足を引き留めた。奏栄はそっと息を吐き出し、自分の中で暴れる怒りを鎮めようと試みた。気持ちが落ち着いたところで、体ごと麗花に向き直る。

「陛下にご報告申し上げ、宮中を調査できるよう嘆願いたします。麗花様の身に危険が及んだのです。これらの贈り主には相応の処罰を受けていただかねばなりません」

 皇帝の威光の下、仙騎隊が動くことさえできれば必ずや麗花を害した人間を引きずり出して罰することができる。麗花の存在を疎んじる者への見せしめとして、十分効果があるはずだ。晃燕にも状況が変わったと伝えれば、きっとうまくやってくれるはず。

 奏栄はこれ以上、麗花が傷つき続ける姿を見ていることができなかった。

「私も……陛下に罰していただかねばなりませんからね」

 奏栄のこの言葉には、麗花の方が息を呑んだ。

「何故です? 奏栄殿は護衛としてわたくしに尽くしてくれたのですよ?」

 奏栄はギリッと歯を食いしばった。

 麗花の慰めは、今の奏栄にとっては火に油を注ぐばかりである。

「あなたは私を、そんな非情な人間だと思っていたのですね……」

「違います。わたくしはただ事実を――」

「護衛を勤める人間にとって、己の主が傷つく様を見て平気でいられる者などおりませんよ! それで己が務めをしっかり果たせていると主張するような輩がいては、誰もそんな輩に命を預けたいとは思わないでしょう!」

 奏栄は声を張り上げる。彼の目は自然と、赤く腫れあがった麗花の両手に向く。白い玉肌に、痛々しい赤みが浮き上がる様は、奏栄の胸をひどく締め付けた。

公主(ひめ)様、お優しいことがすべてを円満に解決する術ではございません。それは時として、処罰よりもずっと残酷だ……」

 どうしてあなたは怒らない?

 麗花が被る仮面は絶えず微笑を浮かべている。その下の素顔は未だに秘されたまま、麗花の物言いも淡々としている。

 あなたは辛くないのか?

 仮面の微笑が、反応の薄い麗花を覆い隠してしまう。今、目の前にいる彼女は本当に、奏栄の知る「麗花」なのだろうか。

「私は『仮面の公主』様ではなく、『麗花』様の本心を知りたいだけなのです!」

 それは奏栄の心からの叫びだった。

 一度口からこぼれ出た言葉の流れは、もはや奏栄の意思で止まってはくれなかった。

「公主様、どうして自分に仇成す者を庇うのですか! 護衛である私にどうにかしろと命ずるばかりか、ご自身ですべて背負い込んでしまわれている!」

 証拠となりうる物品を消し去り、すべてを「なかったこと」にしようとする。

 そんな麗花の思惑が、奏栄は気に入らない。皇帝は麗花の身を案じて奏栄を傍につけたというのに、当の本人が自分のことを軽んじるような態度が、奏栄には我慢できなかった。

「私は陛下の命令でここに来ましたが、あなたに仕えると誓った言葉は嘘ではない! どうして命令してくださらないのです! 『私のことを守れ』と! 『私に牙向く存在を排除しろ』と! 傷つき続けるあなたを傍で見続けることが、どれほどの苦痛を伴うか! 一度でも考えたことはおありですか!」

 どうして、俺を信じてくれないのですか。

 麗花とともに過ごすうちに奏栄の中で膨れ上がった叫びが、胸の内からどんどん溢れてくる。それでも足りないと、己の荒ぶる感情が奏栄の全身を震わせた。自分の心が、自分の思うように静まってくれない。

 どうして、あなたの苦しみや悲しみに寄り添わせてくれないのか。

 そんな身勝手な思いがどんどん膨れ上がっていく。

「奏栄殿」

 すぐ傍で名を呼ばれ、奏栄は弾かれたように顔を上げた。麗花の左手が、奏栄の頬に伸びる。しかし、自分の手のひらの腫れを見て、そっと奏栄の胸に衣の上から触れた。

 奏栄は紅の鳳の仮面に見据えられ、動きを止める。仮面の覗き穴の奥で、揺らめくものがあった。まるで黄金色に色づいた稲穂の海が、風に吹かれて靡いているかのようだ。

 奏栄の中で荒ぶる感情が、波が引くように穏やかになっていく。

 奏栄は覗き穴から見えた黄金に、ひどく惹きつけられた。

「なりません」

 麗花の声色が変わった。今までの、奏栄を突き放すような物言いではない。荒れる心を包み込んでくれるような、ひだまりのような柔らかさのある声だった。

「あなたは誰よりも誠実な心の持ち主です。そんなあなたの未来を、わたくしが奪うようなことはできません」

「……私とて武人の端くれ。主を守るために己の命を惜しいと思ったことはありません。今までも、妖魔から人々を守るためなら、私は喜んでこの命を戦場で散らしてもよいと考えてきました」

「わたくしには、そうは思えません」

 麗花の声がひたりと奏栄の胸を刺した。

「わたくしに家族のことを話すあなたは、心から幸せそうでした。心から、家族や部下を大切にしているあなたには、それだけ背負う存在(もの)も多い」

 目を見開く奏栄の胸に、麗花は仮面越しに額を押し当てる。

「あなたに、己の命をかけることはできません」

 麗花は落ち着いた声音で、残酷な事実を告げた。

「だって……あなたは自分が死んだ後でさえ、己のために嘆く人々を放ってはおけないでしょうから」

 奏栄は目を見開き、何も言えずに顔を伏せた。

 自分が抱える弱さを突きつけられたような気がした。自分が固めてきた覚悟が、麗花の一言で一気に崩れ落ちる。奏栄は力なく地面に両膝をつき、麗花を呆然と見上げる。

「此度の一件は他言無用です」

 奏栄を見下ろし、赤い鳳の顔が厳然と言い放つ。

 仮面の公主が纏う紅き鳳が、主のために動くことすら許さないと告げていた。

「何より、陛下のお立場が悪くなります。浅慮な言動は慎みなさい」

 奏栄は眉を顰め、赤い鳳の面を睨みつける。

「ならば、公主様のお立場はどうなるのです?」

 仮面の公主の眼は人の心の悪しきを見抜き、皇帝はその導きにより世に太平をもたらす。

 人の悪意を見ることができる麗花は、真璃国にとってなくてはならない存在である。仮面の公主に仇成すこと、それすなわち皇帝を、真璃国そのものを敵に回す行為である。

 これはもはや「反逆」だ。

「『見える』からこそ慎重になるのです」

 麗花は奏栄から視線を外す。どこか遠くを見つめる麗花を、奏栄はただ黙って見上げた。

「私が何を言っても、どうせ見える者と見えぬ者とでは分かり合うことはできません」

 麗花の言葉は、奏栄に対して決して歩み寄れない距離を自覚させるに十分だった。

 四年前、妖魔との戦いの中で失った多くの戦友たちの死と向き合った時でさえ、これほどまでに打ちひしがれたことはない。

 麗花の仮面が奏栄に向く。

 赤き鳳はただ、静かに、儚く微笑むばかりであった。

「蘭奏栄。仮面の公主、穏麗花の名の下に命じます」

 麗花がか細く、消え入りそうな声音で続ける。

「あなたは何も見なかった。聞かなかった。……いいですね?」

「っ……御意」

 奏栄は両手を胸の前で重ねると、麗花に深々と頭を下げた。

 そうするより他に、奏栄の選択肢はなかった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2024

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ