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仮面の公主  作者: 紅咲 いつか
二、暴く炎槍は夜陰を裂き
15/46

乙女心は乱気流

 薄桃色の衣に水色の裳を合わせた麗花は、仮面も衣の色に合わせて薄桃色の海棠(かいどう)の花が描かれている。偶然か、奏栄が今手にしている冊子の題にも「海棠」の名が記されていた。

「ただいま内膳司から戻りました」

 奏栄はかしこまって、立ち尽くす麗花に一礼する。

「麗花様、実は門前にて挙動の怪しい宦官が――」

 麗花は奏栄が言い終わらぬうちに、彼が手にした冊子をひったくった。

 突然のことに、奏栄は目を丸くして言葉を飲み込む。こちらを見上げる仮面が静かな怒気を含んで微笑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。

「……見ましたか?」

 麗花の低い声が、奏栄に問う。

 奏栄は思わずたじろいだ。

「も、申し訳ございません。冊子の表紙のみを確認いたしました。麗花様に害があってはならないとの一心でして……」

「忘れなさい! 今見たこと、全部! 今すぐ!」

 ひったくった冊子を胸に掻き抱き、麗花がまくし立てる。

 麗花の焦った様子に、奏栄は思わず小さく声を上げた。

「もしや、贈り物の中身をご存知だったのですか?」

 奏栄の視線を受けた麗花が、ふいっと顔をそらす。もはやそれだけで十分だった。

「おかしいと思ったのですよ。突然、大棗が食べたいとおっしゃるから……」

 ここ数日、尊麟宮へ届けられる贈り物はすべて奏栄が中身を確認している。麗花としては娯楽本を贈られていることを奏栄に知られることが恥ずかしかったのだろう。

「市井の書を読むことは何も恥ずかしいことではございますまい。民の暮らしや今の流行を知ることもまた、麗花様にとってもいいことでしょう。麗花様が今手に持っておられる『海棠の花下で』は女性に人気の恋愛物語。私めの妹も愛読しております」

「もしや、奏栄殿も読んだことが……?」

 奏栄の言葉に、麗花がずいっと身を乗り出してきた。

 先程とは打って変わり、声色がどこか嬉しそうな様子だ。

「下級妃と武官の恋愛物語でしょう? 身分を超えた二人の恋が双方の努力で叶う、という……」

 奏栄はおぼろげな記憶からあらすじを思い起こす。

 正直、奏栄はそういった方面の話には興味がなく、ほぼ妹の手紙に書かれた感想でしかこの物語を知らない。奏栄がそう続けようとしたところ、麗花が大きく頷いた。

「そうなのです! 直向きに出世を目指し、想いを寄せる下級妃を妻に迎えようと努力する武官と、親の意向で後宮入りした下級妃がいかにして皇帝のお渡りを阻止するか。そして皇帝も下級妃の才覚に気づき、彼女に興味を示してしまうのです! そんな三つ巴の宮廷恋愛物語!」

 麗花は胸に抱いた冊子を手のひらで愛おしそうに撫で、熱弁する。

「やはり見どころは下級妃と武官の芝居の場面ですよね。皇帝が二人の仲を疑い、春節の宴の席で粗相をしてしまった下級妃を殴るよう命じるのです。皇帝はそこで武官に下級妃への下心がないか試すわけですが……武官からすれば、たとえ皇帝の命令でも妃相手に暴力を振るうことはできません。そこで武官は咄嗟に下級妃が身に着けていた髪飾りを奪い、それを踏みつけるのです! 皇帝や周囲の者は妃の髪飾りを踏みつけたことで、武官が皇帝に対して誠実であると納得するのですが、実はそれこそが下級妃の狙いだったのです! 下級妃は二つの簪を身に着けていました。海棠の花飾りと牡丹の花飾りです。武官が踏みつけたのは牡丹……すなわち、皇帝を牡丹に見立てた花飾りの簪の方だったのです!」

「な、なるほど……」

 奏栄は麗花の勢いに気圧されつつ、相槌を打った。奏栄が尊麟宮へ来て以来、ここまで饒舌に、熱を入れて語る麗花を見たことがない。

 その熱弁たるや、己の妹と同じものを感じる。

 なんだ、可愛いところもあるんじゃないか。

 奏栄はどこかホッとしたような気持ちで麗花の言葉に耳を傾けていた。

「麗花様は我が愚妹と話が合いそうですね」

 奏栄は微笑ましい心地で麗花に笑いかけた。

「麗花様のお話されている感想が、いつも妹が私に聞かせてくれる内容とほぼ同じです」

 すると、それまで饒舌だった麗花が石のように固まる。

「そ、奏栄殿も読まれているのでは……?」

「いえ、私めはこういった色恋の話は読みません。もっぱら愚妹が読後の感想を手紙で寄越してくるため、なんとなく内容を存じているに過ぎません」

 奏栄は妹と娯楽の趣味が似ている麗花に親近感を抱いた。

「へ、陛下に勧められて仕方なく読んでいるのです!」

 突然、麗花は肩を震わせ、怒気をはらんだ声で叫んだ。

「別に、恥ずかしがることもございませんよ。あれほど詳細に物語を読み込んでおられているのです。後宮の妃や侍女たちが定期的に読書会を開いていると聞きますし、よろしければ一度そういった催しに参加してみるのはいかがでしょう? きっと皆、麗花様を歓迎なさるはずです」

 奏栄は麗花に提案する。もちろん、思惑あってのことだ。

 麗花が嫌がらせを受ける原因の一つは、公の場以外に他者との交流を持とうとしないためではないか。

 奏栄はそのように考えたのだ。

 何を考えているか腹の内が読めない、ましてや素顔もわからない人間相手に、周囲の人々は恐怖や不信感から相手を排除しようとする。

 だからこそ、麗花が後宮の妃や侍女たちと共通の趣味を持っていると知れれば、麗花の味方を増やすことができるのではないか。

「わ、わたくしには不要です!」

 奏栄の提案に、麗花は金切り声を上げた。

「わたくしはただ、下々の者の考えを知るために参考にしているにすぎません!」

「れ、麗花様、落ち着いてください。私はただ、麗花様の思慮深さを皆に知ってほしいだけで……」

「それこそ余計なお世話です! あなたといい、陛下といい、何故そうもわたくしの心や行動を勝手に決めつけようとなさるのです!」

 普段の彼女からは想像できない、激しい怒りの感情を前に、奏栄の方もたじろぐ。

 麗しい花海棠の仮面が、キッと奏栄を見据える。

「そもそも、私の許可なく贈り物を開けるとは何事ですか!」

 麗花は怒りの論点を変えてきた。

 これはまずい、とさすがの奏栄も慌てる。

「申し訳ございません。しかし、腐肉入り餅のことがありましたし、私めは麗花様の護衛……何かあってからでは遅いのです。どうか、ご理解ください」

「あなたが来る前より、わたくしは自分の身は自分で守ってきました! わたくしが「千姫」の(ちから)を行使し続ける限り、害悪がわたくしを飲み込むことはありません! 今までも、そしてこれからも、その事実に変わりはありません!」

 麗花の言葉に、奏栄は頭を激しく殴られたような感覚を味わった。

 護衛(お前)など必要ない、と面と向かって言われたのだ。さすがに気分が落ち込む。

「今後、わたくしへの贈り物を勝手に開けることは許しません! 運んできた相手が、どれだけ怪しく見えても、です!」

 麗花は強い口調で奏栄に命じると、手にした冊子を小さい方の櫃とともに抱えて踵を返した。

「れ、麗花様!」

 奏栄が慌てて麗花の後を追う。

 しかし、麗花は奏栄のことなど無視して、ばたんっと自室の扉を強く閉ざしてしまった。

「麗花様! たとえあなたに悪意を見抜く才があろうと、悪意を持つ者は御身を害するに手段を問いません! どうか、お考え直しを――」

「大きい方は適当な部屋に運んでおいてください! 無論、中身を確認することも禁止です! 昼食も不要です! しばらく一人にしてください!」

 焦る奏栄に、麗花は閉ざした扉の向こう側から声を張り上げた。

「しょ、承知いたしました……」

 しばし呆然と立ち尽くした奏栄は、踵を返して大きい櫃の前へ戻ってくる。

 くしゃりと己の前髪を掻き上げ、盛大なため息をついてその場にしゃがみ込む。

「あー……やってしまった」

 麗花の言動が、故郷にいる妹と重なってしまったこともあり、奏栄としては細かな配慮を欠いた態度で接してしまった。それが、麗花の自尊心をひどく傷つけてしまったようだ。

 これは、晃燕へすぐさま相談した方がいいかもしれない。

 麗花の信任を得るどころか、不信を抱かれるような事態になったのだ。何か麗花の心を慰める方法がないか急いで話し合わなければならない。

 今後、護衛としてやっていく上でも、麗花の理解を求める場面は増えてくるだろう。

 主従間の良好な関係こそ、護衛の任務を全うできるというものだ。

 奏栄は深いため息を落とし、残された大きい方の櫃を抱え上げる。

 麗花に命じられた以上、もう中身を改めることなどできない。もどかしい思いを抱えたまま、奏栄は肩を落として、空き部屋へと歩を進めるのであった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2024

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