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仮面の公主  作者: 紅咲 いつか
一、閉ざす隠に揺らめく灯火
12/46

調査開始

「晃燕、至急調べてほしいことがある」

 その日の夜、夜間の見張りの兵以外、すでに宿舎に戻っている刻限であった。

「やはりまだいたな。晃燕」

 人気(ひとけ)のない退魔寮、仙騎隊の殿舎に入るなり、奏栄は執務室でまだ机に向かっていた己の副官に声をかけた。

 奏栄の視線が長椅子から落ちかかった厚手の掛け布団に向く。また布団を持ち込んで……、と思わず呆れ顔になった。

「隊長こそ、このような刻限に一体何事ですか?」

 晃燕は平然とした態度を崩さず、椅子から立ち上がった。

 幞頭(ぼくとう)は被らず、黒に近い藍色の髪を頭の高い位置に結い上げた青年は、浅葱色のややくたびれた缺胯袍に身を包んでいる。

「随分とご立腹のようで」

「……そんなにわかりやすいか?」

 奏栄が思わず自分の頬に触れる。

「ご安心を。私以外、気付かぬくらいには表向き平静です」

 一応、擁護してくれているつもりらしい。奏栄よりも三つ年上の副官は、いつだって奏栄の中で渦巻く激しい感情を正確に読み取ってしまう。おかげで、少しだけ冷静になれた。

「妖魔退治の時ですら平然としているあなたが、そこまで感情的になるなど珍しいですね。何があったのですか?」

 晃燕はわざわざ机を回って奏栄に向き合った。

 奏栄は努めて、自分の気持ちを落ち着けるように短く息を吐いた。

「昼前、尊麟宮へ焼き菓子を届けた者を調べてほしい」

 奏栄は腕を組むと、声を潜めた。

「畏れ多くも、公主様に腐肉入りの焼き菓子を送り付けた、不遜な輩を見つけ出す」

 腐肉と聞いて、晃燕も事態の深刻さをすぐさま理解したようだった。

 彼の表情から戸惑いが消える。

「わかりました。五日……いえ、三日の猶予をください」

 晃燕はすぐさま請け負うと、自分の机上に置かれた紙を一枚手に取る。筆を使って文字を用いた絵を描く。晃燕の筆先から紙面に一匹の黒猫が姿を現した。すると、白紙から墨がにじみ出るように足元に一匹の黒猫が降り立つ。みゃうっと一声鳴くと、黒猫はサッと身を翻して僅かに開いた扉の隙間から外へと飛び出していった。

「公主様相手にそのような嫌がらせとは、いよいよきな臭い状況となりましたね」

「嫌がらせなんてもんじゃない。下手をすれば『猛毒』よりも厄介な代物だ」

 黒猫を見届けた後、晃燕は未だに不機嫌な顔の奏栄を振り向く。

「ちなみに、隊長の推測は?」

「公主様のお立場から、政敵の類と睨んでいる」

「最近の噂ですと、北部派の貴族と公主様が意見の相違から論争を繰り広げたという話を聞いた覚えがございます」

 一昨年の水害の影響で、農作物に甚大な被害を受けた真璃国の南部四州――東から順に豊州(ほうしゅう)鸞州(らんしゅう)広州(こうしゅう)牧州(ぼくしゅう)に対し、皇帝は五年間の減税ないし免税の処置を講じた。これに異を唱えたのが、北部四州――西から渓州(けいしゅう)凜州(りんしゅう)歴州(れきしゅう)海州(かいしゅう)出身の貴族たちである。

「北部はもともと、稲や麦などの穀物類の生産が不向きな土地柄。特に北部凜州では一年の大半を解けぬ氷雪に覆われていることもあって、農作物による税徴収は不可能です」

 代わりとして発展したのが、絹織物の生産であった。凜州は林業と絹産業を主軸に収益を広げ、どうにか朝廷に税を収めている。

 けれど、その暮らしぶりは南部の州に比べると困窮している。

「現皇帝陛下の寵姫、賢妃様の存在がなければ、北部四州がここまで発言力を強めることもなかったでしょう」

 皇帝の寵姫である賢妃は、凜州の生まれである。

 そして、麗花の宮に立ち入ることを許された数少ない人物でもあった。

「賢妃様の評判はそこまで悪くはありません。まぁ、中にはやっかみを含んだものもございますが、公主様とは幼少の頃より交流があるようです」

「そうか……」

 晃燕の話を聞き、奏栄は唸る。

 表向きにいくら交流があろうと、裏で嫌がらせをしていないとも限らない。

 それが宮中の、それこそ女の園の恐ろしさでもある。

「皇太子様はどうだ? 公主様と政治的な対立はあるか?」

「さて……少なくとも、不仲説はございませんね」

 晃燕は苦笑まじりにぼやく。

「何せ、あの皇太子様ですので。私どもではそのお心の内を推し量ることは難しいかと……」

「あー……うん、そうだな」

 皇太子と麗花はその性質がひどく似ている。母親が同じであろうとなかろうと、あそこまでそっくりな兄妹はなかなかいないだろう。

「ひとまずは調査結果をお待ちください。そこから範囲も絞ることができましょう」

 寶玉城は広い。そして、その広さの分だけ人の出入りもある。

 せめて調査範囲を狭めることができれば、麗花の身の安全を保障するために人材を尊麟宮へ配属してもらえるよう皇帝に嘆願することも可能になる。

 悪意を見抜くことができる麗花は、その能力(ちから)ゆえに常に命の危険にさらされている。

 麗花のことを理解できる協力者が複数、必要だ。

「結果はいつものやり方で知らせてくれ。これまで通り、事務は晃燕、訓練や采配は志琉(しりゅう)に一任する」

「承知いたしました。志琉には私から伝えます」

 晃燕の返事を聞くと、奏栄はさっそく執務室を出て行こうとする。

 そんな彼の背を晃燕が呼び止めた。

「隊長。隊長が公主様に対して恩義を抱き、そのお心に報いたいというお気持ちまで否定するつもりはございません。ですが、隊長の補佐役として進言いたします」

 奏栄も身体を戻し、晃燕を真っ直ぐ見据える。

「過度な重荷は下ろすべきです。でなければ小さな舟は雨鏡の泥中に沈むことになりましょう」

 状況によっては、護衛の任を退くことも検討してほしい。

 晃燕が案じるということは、麗花を取り巻く状況はまさしく「動乱」の前触れとも受け取れた。情報収集を得意とし、仙騎隊の軍師として長年知恵を絞ってきた晃燕だからこその予感だろう。

「ありがとう。晃燕」

 晃燕の進言を受け、奏栄は穏やかに微笑(わら)った。

「ただ、見極めたいんだ」

 奏栄の言葉に、晃燕はますます眉間のしわを深めた。

「陛下が何故、俺を麗花様の護衛に任じたのか。その理由がなんとなくわかった気がする」

 悪意を見抜く仮面の公主に、人々は真っ向から挑むことを避ける。

 では、己の心を見透かす相手を消し去るにはどうすればいいか。

 巧妙に、密やかに水面下にて張り巡らされる奸計はやがて「毒物」や「暗殺」という形で麗花の身に迫ってくる。あるいは麗花の強い警戒心を利用して彼女が食を絶つよう誘導し、周囲の者への不信感を強めて孤立させる。そうしてじわじわと弱っていくのを見届ける。

 城攻めと同じだ。

 千姫眼のせいで直接的な手段を取れないだけで、麗花を恨む者は彼女を殺そうと思えばいくらでも知恵を絞る。

 表面化しないそれらの「悪意」を事前に察知し、適切に処理する。

 それこそ、皇帝が奏栄に課した使命なのだ。

「賽はすでに投げられたんだ。これから俺たちは公主様を通し、宮中で起こる『何か』に対し、正面から向き合っていかなければならない」

 皇帝もまた、奏栄を麗花の護衛に任じたその時点で、もしかすると仙騎隊の、いや麗花自身の今後さえも左右する大事になると予測していたのかもしれない。

「そしてその役目は、禁軍ではなく、仙騎隊(俺たち)にしか果たせない」

 険しい表情で黙り込む晃燕を奏栄は振り向く。

 奏栄の口角は自然と上がっていった。不敵な笑みとともに、己の副官に告げる。

「晃燕。これは俺たちにしか解決できない『戦い』だ」

「……隊長が進むのなら、私もこれ以上は止めません」

 晃燕は静かに、奏栄に揖礼をとった。

「何より、仙騎隊の名が上がる困難ならば、喜んで受けて立ちましょう」

 晃燕も奏栄に負けず劣らず、その双眸を鋭くさせた。奏栄も満足げに頷く。

「報告を待っている」

「はい」

 短いやり取りを終え、奏栄は晃燕の肩に手を置いた。そうして振り返ることなく、そのまま仙騎隊の庁舎を出た。

 奏栄は暗い夜空で瞬く星を見上げ、その弱い輝きを見つめる。

 今は儚い光だが、いずれは、この真璃国に再び「仙騎隊」の名が轟く日が来る。

 奏栄は御路を登り、静まり返った尊麟宮へと戻っていった。

Copyright(C)Itsuka Kuresaki 2024

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