殺人鬼
「やめろやめろやめろ! なにしてんだ!」
俺がネイルハンマーを片手に学生服を着た少年に近づくと、人気のない路地裏に少年の大きな悲鳴が響く。少年の体は赤く伸縮する物体に強く締め付けられていてなにひとつの身動きがとれずにいる、その赤い物体からはやけに明るい少女みたいな声がした。
「今の内だ、頭を砕け。ちょいとガツンとやるだけだ」
「おぉ、ずれないようにしっかり押さえておいてくれよ」
赤い物体は伸びた体からさらに腕の部分を伸ばして、胸だか腹だかよく分からない場所を軽くたたき。
「任せなって」
と言って笑ってみせた。筋トレ用のゴムチューブみたいに伸びてるせいで眼は限界まで細まり口も裂けたみたいになっている。少年はどうにか脱出しようと足掻くが、完全に拘束されている、俺も試しに拘束されてみたので分かる。人間の力ではこいつは引き剝がせない。
「近づくなおっさん! おい誰かいないのか!」
さらに近づくと、悲鳴はもはや絶叫に変わっていたが今更どうしようもない。さっきまでと違って口が悪いな、こっちのほうが本性なのか。
「おっさんだってよ、ぎゃははは!」
「俺はおっさんだよ」
今年で四十になるのだから間違いなくおっさんだろう。頭頂部の髪もずいぶん薄くなってきたしほうれい線もかなり深くなった、それでも高校生にそう言われるとやはり中々くるものがある。
「いくら叫んでも無駄だよ、周りには聞こえないんだ、そういうチカラがあるから」
「なんなんだよあんたは! なんかしたのか僕が!」
「いやなにもしてないな」
「じゃあどうして……」
こいつと俺は同類だ、俺も昔はこんなんだった。なにも変わりはしない、顔のシワと薄くなった頭髪以外は。
「さっきスマホで見てたよな昔のアニメ。そういうのが好きなんだろ」
「それがどうしたって」
「異世界転生させてやる」
「やめっ」
少年の懇願を無視してネイルハンマーを振り上げて勢いよく脳天へと下ろした。叩かれた部分の少年の頭蓋骨は完全に陥没して、俺の顔面にはべっとりと血と脳みその切れ端みたいなものがへばりつく。俺は脳専門の学者ではないのでこれが脳だとは断定できない、偶然このあたりを浮遊していた特定不明のゼリー状の物体かもしれない。脱力、脱出しようと力の限り暴れようとしていた四肢と頭はだらりとしている。
「お見事! 苦しまずに即死だ。こいつの魂はあっちがわに行ったよ。これからサイコーの生活が待ってるぜ。良いことしたなぁ」
少年がもう身動きしないのを確認すると赤い物体は拘束を解き、離れてから言った。
「それは良かった」
少年は異世界に行った、らしい。俺は異世界など行ったことが無いし行くこともできないらしいので本当にあるのかどうかも分からないのだが……。なんせ死体はいまだにここにある、転移ではなく転生だからだとこいつは言う。なるほどなぁと思った。
「じゃあお待ちかねの能力追加の時間だ」
「待ってましたよ」
「ジャジャーン! アイテム収集空間! 念じるだけで小学校のプール位のもんまでならなんでも収まって何時でも出し入れ可能なちょー便利な場所だぜ~! 生きてるもんはいれらんねーけど。それ以外なら基本なんでもイケるし、重さも感じねぇ」
「あーゲームとかでもある、特に説明とかないけど存在してるあれな」
「話が早くていいね~、さっすが~」
「まぁよくある設定だしな」
「さっそく試してみてくれ!」
「出し入れしたいもんとか別にねーんだけど」
「じゃあとりあえずそれでやってみ」
仕方がないので壁に向かい念じると、壁一面が水面のようにたわんで別の存在になったと感じた。俺はそこに今しがた少年の頭蓋骨を粉砕して血の滴るネイルハンマーを放り込むと。特に感触もなく、そのまま吸い込まれていった。消えた、殺人を行った唯一の証拠品が一瞬で消え去った。そして願えば、タイムラグなどもなく初めからそこにあったかのように右手に戻ってくる。
「オッケー、じゃあその調子で他のガキどもの死体もやっちゃってくれ。本体が吸い込まれりゃ、その辺に飛び散った血液なんかも一緒に吸い込まれるからな」
「俺の限られたパーソナルスペースにいきなり死体が?」
「この場に死体を置いてくつもりか? ゲームの魔物じゃねーんだから、死体は残ったまんまだぜ? 向こうに置いとけば腐らずに済むんだからさ」
「マジカル冷蔵室か。アイスも溶けなくて最高だな」
「おーい、あんま嬉しそうじゃないじゃん。これあれば駐車場にも一生困らないんだぜ?」
「金が無いから車は売った」
「あらら、そりゃ残念。でもよすぐに金なんて手に入るさ。大丈夫だって」
「そーかい」
少年達の死体を掴み念じて異空間に放り込んだ。地面に飛び散った血液と俺の身体に染み付いた血液が吸い込まれ、跡形もなく全てが消え去った。悲鳴は聞こえず、死体も残らない、完全犯罪って奴だ。こんなことになったのはつい三時間前に遡る、僅か三時間で善良な元一市民の俺は捕まれば死刑でもおかしくない殺人鬼の仲間入りを果たした訳だ。
【第二の能力 証拠隠滅】
三時間前、いつもの様に会社に到着したのだが会社は倒産していた。開いているはずの入口のドアは施錠され、プリンター用紙が貼り付けられていてそこにはサインペンによる手書きで、破産の手続きは既に終わっているとかなんとかそんな文章が書かれていた。この所の不景気でうちの会社もやばいんじゃないかと、そういう噂は何度もあったがそれでも週に一度の朝礼の度にうちは潰れないと社長自らが力説していた。だが、やっぱり駄目だったか。
人目もはばからず泣いている奴もいる、入口に蹴りを浴びせている奴もいる、ずっとどこかに電話をかけている奴もいる。この喧騒の中にも昼時になれば一緒に飯を食い雑談する程度の仲の相手も居たのだが、それも会社があった時までの話だ。終わってしまえばもう会う事もないだろう、そう思い俺は一人会社に背を向けた。
帰り道を歩く度に俺の長髪が揺れる、頭頂部は薄い為に落ち武者だと会社で陰口を叩かれることもあったが見ようによってはこれはこれでユニークであり案外営業先では受けが良かった、その為上司にも切って来いと言われた試しもない。俺自身も気に入っている。だが、それはそれとして……。会社なんてものは終わればいいと毎日考えていたし丁度いいのかもしれなかった。疲れていたしゆっくり眠るのもいいだろう。
歩道橋を登り歩くと、下の道ではこれから仕事であろうスーツを着込んだ人々が見えた。俺もスーツを着てはいるが今日から無職で退職金もないし、新しい仕事のあてもない。なんとか入る事ができた会社だった、転職して生かせそうな技術も特にない。落ち武者の経験を生かしてお笑い芸人に転身するのも無謀だろう。
終わってしまえば良いとは思っていたが、実際に終わられるとこうして困るはめになる訳で……。歩道橋の手すりの上に腕を乗せ、ここから飛び降りて上手い具合にトラックにはねられたら異世界転生とか出来ないだろうかと考え始める。
そこで俺は十代の姿に若返って、誰にも負けない最強の能力があって気の合う仲間たちと出会って魔物を倒して……。レベルが上がって、スキルを覚えて、強くなって誰からも感謝の言葉を貰いながら……。
やれやれ、なにを考えてるんだか。空から降ってきたおっさんをはねたトラックの運転手が困るだろうが……。ふいに音程の外れた能天気な鼻歌が聞こえてきたので、馬鹿げた空想に耽るのをやめて現実に戻る。ここは学生さん達の通学路でもあった。無職のおっさんがこんな空想をする場所ではなかった。