第一話 戦い
彼、黒淵政孝は感じ取っていただろう。
これがドッキリなどではないことを。
まず彼が異変に気付いたのは匂いだ。
この場に漂う汗臭さ、土まみれの男たち。
何日も風呂に入っていない人間が漂わせる独特の悪臭がこの場には充満している。
そして発展途上国よりも未開の地から出て来たと思われる貧困者独特の匂いが彼の視覚の至る所で見受けられる。
そして、突然の怒号と、血の匂い。
「何をしている、仲間割れは許さんぞ!」
一人の鎧を着た兵士が叫んだ。
別の所でも叫び声が上がる。
その場所は彼と同じ場所で上がった。
「ひっ、た、助けてくれ!」
何かに怯える様子が彼には伝わってきた。
彼は気になって首を伸ばして人波をかき分けて前へ進んでいくと、そこには首から上が切り取られた一つの死体があった。
「気をつけろよ馬鹿ども、次に私のケツを触ったらバラバラにしてやるからな」
何やら物騒なことを言っている女がいた。
その女の手からは両刃のブレードが生えていて血が滴っている。
(どうやらセクハラを働いた馬鹿が死んだらしい)
政孝はそう考えた。
「お姉ちゃんここどこ、僕おなかすいた」
「しっ、静かにして」
何やら子供の声まで聞こえる。
声の方が気になってそっちに彼は顔を向けてみると10歳前後のボロを身にまとった姉弟がその場に縮こまっていた。
この時になって彼は彼が呼ばれたときの言葉をよくよく思い出していた。
(『絶望しているならこちらへ来い』だったか?アレはもしかして、本当にそういうことなのか!?)
目の前でのことが全て現実で、あの言葉が本当だとするならばという憶測の元、彼はある一つの推測に辿り着いた。
(ここは、日本じゃない、ましてや東京でもない。俺は東京からワープしてここに来た。ってことになるんだけど、そう考えるのが妥当なのか?)
まだ彼はドッキリの可能性を否定していない。
しかし彼の頭の中では徐々にドッキリではないと整理がつき始めていた。
(芸能人相手ならこんな大掛かりなドッキリもあり得るだろうが、一般人相手にこんな大掛かりなドッキリを仕掛けるだろうか?そもそもだだっ広い公園からこんな薄暗い地下室に俺はどうやって入ったんだ?下に降りていくような感覚は全く無かったぞ)
考えれば考えるほど混乱させられる状況に政孝は…。
(分からん、とりあえず今から何をさせられるのか。サバイバルか?デスマッチか?デスマッチだったら俺、あの女と対戦させられたら確実に死ぬんだが…)
と、自分の心配をするようになっていた。
そんな心配をよそに壇上に上がったものが声を張り上げる。
「勇者諸君、とりあえず私の話に耳を傾けてくれ、諸君らはエルメニア王国の先兵として異世界からやってきたのだ。そして悪の帝国、アズファルド帝国と戦ってもらうことになる。その為の武器はこちらで用意しておいた。剣でも槍でも弓でも好きなものを手に取ってくれたまえ、勿論、自前の物がある者はそれで結構だ」
壇上の人物がそう言った後、政孝と同じ層に居る者が手を挙げて質問をした。
「報酬は?」
「一人兵を殺した者にはこの金の粒を一つ約束しよう」
すると会場はどよめいた。
敵を一人殺すと金が手に入ることがどれほどの事なのか。
政孝は馬鹿なのでこれがどれほど破格の内容なのか分かっていない。
もし日本の戦国時代に一人兵を殺した褒美に金が一粒貰えるようなら戦に行きたがるものが続出するだろう。
それほど今回の報酬は高額なのだ。
ただ政孝はもっと別のことを考えていた。
(戦争だけで食っていけるかどうか分からないが、死ぬかもしれないと言うのなら自殺のついでには丁度いい。戦争って言うのは人殺しが合法化されてるような場所だし、最後には派手に散れるかもしれない、なんだ、最後の最後で運が向いてきたじゃないか)
という世間一般の考えからズレにズレていた。
まぁ、ここまでズレてるからこんな場所に居るのだと言えよう。
「あの、すみません、ちょっといいかな」
と、どこからか気の弱そうな声が聞こえてくる。
そちらの方に目を向けてみると、長身銀髪の肌の色が浅黒い男だか女だか見分けがつかない人物が小さく手を上げていた。
だが声からして男であろうと言うことは政孝には理解できた。
「僕はいいんだけど、その、どう見たって戦えない子供とかはどうしたらいいのかな?」
「大丈夫だ、心配はない、子供はこちらで面倒を見ておく」
短くそう告げられたが手を挙げた人物はどこか心配そうに上段に登ったものを見ていた。
政孝も面倒を見ておくと言うのがどうにも胡散臭いような気がしてならなかった。
だから政孝は自転車のスタンドを立てて、長身銀髪の彼に近づいて脇を肘で突いた。
「そんなに心配なら、お前が子供の面倒を見といてやってくれ。戦いの方は俺たちでなんとかするから」
「えっ?」
「連中どうにも胡散臭い。子供を面倒見ておくなんて言っておきながら殺す可能性だってある」
「そんな!?」
「静かに」
「あぁ、ごめん」
「兎に角、お前は俺たちと一緒に戦場に向かうフリをして子供達についていてやれ」
「いいの?」
「良いも悪いもねぇよ、餓鬼を守るのが大人の役割だろうが、それにあんたは戦力になりそうにないからな、餓鬼のお守りの方が似合ってる、と、俺は思うわけなんだが」
「うん、そう言ってくれると、助かるよ」
「さて、それじゃあボチボチ行こうか」
そい言って政孝が出入り口の方に首をやる。
そこには獲物を持って出口に殺到する異世界人たちがいた。
政孝は少し戻って自転車のスタンドをガコンとあげると、槍を借りて出口に向かった。
外に出ると雰囲気は一変して広大な草原が見える。
そして後ろには大きな城下町が見えた。
政孝はその城下町に違和感を感じる。
なんだろうと思ってよくよく見てみると、城下町なのに城壁がないのだ。
視界には住宅らしき建物がいくつも見える。
とても今から戦争をするような国の町ではないなと彼は思った。
(まぁ、別にどうでもいい。俺たちが負ければ後ろの建物に火がつけられることになって大勢死んだりするんだろうけど知った事じゃない)
と、言った具合に彼にとってはこの国の事情は完全に他人事だった。
ふと彼は街道沿いの森の中を見てみると、先ほど会話をした青年が静かに森の中から子供達の元へ戻っていくのを確認することができた。
するとどうやら、向こうも政孝に気づいたらしく、手を振ってくる。
政孝は後ろにいる督戦隊(逃げていく味方の兵士を殺す部隊)にバレないように小さく手を振って青年の健闘を祈った。
政孝は部隊の先頭を歩いた。
何故なら後ろにいる督戦隊が何となく気に入らないからである。
それとさっさと死ねる場所のほうがいいと思ったからだ。
持たされた獲物の槍だが実に心許ない。
柄の部分は全て木製でできており、先端に刃がついているだけのとても簡素な代物だ。
こんな物を振り回して果たして人が殺せるのかと不安になってきた。
だから彼は一度足を止めて、腰を落として構え、槍を突いた。
「おい、どうした。まだ敵はいないんだぞ」
と、近くの味方から笑い声が聞こえてくる。
「なんでもねぇよ」
と、彼は少しイラだって返事を返した。
(なんだよ、人が素振りしたくらいで笑いやがって、最初は誰だって初心者だろうが)
と言う言葉を彼は飲み込んだ。
周囲の人間を見る限り、そのような言葉が通じるような空気ではなかった。
みんな、金の粒欲しさに目が血走っている。
要するにやる気満々なわけだ。
(士気が高いのは良い事だよな?)
と思いながら周囲の風景を確認していた。
先ほどから通っている場所は周囲の場所が切り立った崖になっていて、その谷の下を彼らは行進している。
政孝は両側の切り立った崖の上に弓兵が潜んでいないか確認したがどうやらそれらしき人物は確認できそうにない。
そういえば、戦闘はどのような形式で行われるのだろうかと、今更そんなことを考え始めている。
もし彼が迎え撃つ側だったらこの切り立った崖の上に弓兵を配置して一斉射撃を行うだろう。
そんな事を考えていると、少しガスっている崖の上にチラリと人の姿を発見した。
「おい、アレ!」
と言って政孝が指を刺すと、崖の上の人物は慌てて身を隠した。
「どうした?」
と、後ろの督戦隊が彼に聞き返す。
「人がいた、敵かもしれない、どうする?」
「このまま進む」
「は?上から矢が降ってきたらどうするんだ?」
「どうもこうもしない、ひらけた所まで進軍するぞ」
「どこからか崖を登れないのか?」
「五月蝿い黙れ、お前はただ私たちの命令に従っていればいい」
そう言われた瞬間、政孝の中で何かがブチギレた。
(あとで絶対に督戦隊を殺す)
彼はそれを胸に誓って歩き続けた。
そうして歩き続けると、ようやく目的のものが見えてきた。
敵だ。
敵はあろうことか平原で待ち構えていた。
(何でさっきの崖の上で弓持って待ち伏せしてないんだよ)
どうやらアレは非戦闘員とか偵察部隊とかそう言った人間だったらしい。
(味方もアホなら敵もアホか、こりゃ負けられないな)
死ぬ予定だった彼の心に生存欲求への火が付いた。
「突撃!」
督戦隊が号令をかける。
わーっ!と言いながら味方全員が敵に向かっていった。
敵もこちらの突撃に合わせて足を速めてくる。
政孝は置いてかれまいと、最前線のほんの少し後ろの方で駆けていく。
お互いの最前列が激突した。
味方のベテランの戦士が槍を振るう。
それは突く動作よりも叩くことを優先していた。
敵はしっかりと兜をかぶっているがお構いなしだ。
確かに槍には叩きつけて相手を怯ませるという役割もある。
その効果は絶大で叩かれた敵は脳震盪を起こして地面に倒れた。
だが倒れた敵にトドメを刺そうとするものはいなかった。
何故か、勿論そんな余裕なんてないからである。
しかしそこはベテランだった。
敵は倒れた仲間を救出しようとして焦ってこちらに少し不用意に近づいてくる。
その焦燥感が生んだ隙を歴戦の戦士たちが見逃すはずがない。
彼らは間髪を容れずに槍で敵を殴り倒し続けた。
たちまち2人、3人と敵が倒れていく。
その様子を見て政孝は意を決して最前列に出た。
瞬間、相手の槍が政孝に振り下ろされる。
左右に躱わすことは絶対にできない。
何故なら両側の味方に挟まれているからだ。
だから咄嗟に柄の部分でガードをする。
バチっと木と木の部分が当たる音。
ガードは上手く決まった。
敵の槍の先端が地面に吸い寄せられていく。
「オラっ!」
槍の矛先を上にしていた政孝はそのまま相手の顔面に槍を叩きつけた。
怯む相手に何度も槍を叩きつける政孝。
この時の彼の脳には敵が可哀想だなんて思う事は全くなかった。
それよりも興奮状態でただ生きる事に必死だった。
アクションゲームをそれなりにやってきた彼であったが、ここまで興奮したことは人生において一度だってない。
死ににきたとはいえ、タダで死んでやれるほど彼は気前の良い人間ではないのだ。
彼は迫り来る敵を死に物狂いで叩き続けた。
脈拍が上がり続け、視界が白黒になり、大勢の人間が怒号を飛び交えすなかで、彼は自分の心音だけしか聞こえなかった。
人間は極限状態になるとリミッターを解除することがある。
日常では力を出しすぎないようにしているのは、自分を傷つけない為だ。
行きすぎた力は破滅をもたらすことを人間は本能的に理解している。
しかし今は一大事だ。
その時になってリミッターを解除するものがいる。
リミッターを解除したものは力を得る代わりに、音や色彩や嗅覚を失うことがあると言われている。
政孝は今まさにリミッターが外れている状態だった。
今の彼はもはや殺意すらどこかへいっていた。
そして敵を槍で叩き続けなければならないという強迫観念のみに突き動かされている。
人間性が欠落し、まるで機械のように敵の頭を叩き続ける政孝。
だがそれは意外な形で終止符が打たれた。
ベキっと音を立てて彼の槍が折れたのだ。
(あれ、俺の槍、折れてね?)
そうして白黒の世界が色を取り戻す。
息を呑む政孝。
脳裏には死がよぎる。
彼は止まっていた足を即座に後ろにやる。
脱兎の如く最前線から身を引く彼は、督戦隊のいる場所まで引き下がると苦しげに息をした。
何故ならリミッターを外したせいでまともに呼吸をしていなかったのだ。
呼吸を整える政孝だったが、非情な言葉が彼に襲いかかる。
「おい貴様、何を休んでいる。さっさと前へ出て戦え!」
「見て、なかったのかよ、槍が折れたんだ、戦えるわけねぇだろ」
呼吸を整えながら訴える彼に対して、かけられた言葉は容赦がなかった。
「だったら落ちている槍を拾ってさっさと前線に戻れ、殺されたくなかったらな」
その言葉を聞いて彼は本日何度目になるかわからない堪忍袋の尾が切れる音を頭で聞いた。
そして、無言で督戦隊の1人が持っていた槍をぶんどった。
「き、貴様!?」
「使わねぇなら俺に貸せよ」
そう言って政孝は槍を持って最前線へ戻っていった。
今度は折れる心配がなさそうな柄の部分までもが金属製の物だ。
それで彼は最前線で戦った。
先ほどのでどういう動きが有効なのかは掴んだ。
やはり槍は叩きつけるのが1番有効だと言うことだ。
何故なら刺されば引き抜くと言う動作が必要になるからである。
その隙は死を招くことになるだろう。
それがわかっているからベテランでも滅多に刺すことをしないと政孝は直感的に察知した。
それからの彼はまた何度も敵の兜の上から槍を叩きつける作業に戻った。
数では劣勢だった味方だが、指揮の高さではこちらが優位になっている。
それに敵の兵士たちは何だか少し疲弊しているように見られた。
痩せ細っているものも多数いる。
明らかに顔色が悪いものが多い。
それを大勢の味方は肌で感じ取っていた。
戦局は終始、味方の優勢で終わることとなった。
それなのに敵には逃げ出す気配が全くない。
それは彼らには守るものがあったからだろう。
しかし残酷にも味方は勝利し敵は散っていった。
全てが終わった後だというのに勝利に酔いしれる味方は1人もいなかった。
彼らの後ろに残ったのは地面で呻く敵。
そんなことを知ってか知らずか、我らが黒淵政孝は敵にトドメを刺すか刺さないかで迷っていた。
味方が次々と倒れた敵にトドメを刺していく中で、その光景を目に焼き付けながら、一度は槍を掲げて刺そうとするも、どうしても踏ん切りがつかず、敵の首ではなく、地面に矛先を突き立てる。
そして「はぁーっ」と、長いため息をついた。
(なんか知らんが、終わった。なんか知らんが、生きてる)
命をかけた戦いを終えて、まだ実感がなかった。
彼は敵の最後の1人がトドメを刺されるまで見届けた。
だがその間になんの感情も湧き上がってこなかった。
「貴様ら、何をチンタラやっている、急いで町に向かうぞ!」
督戦隊が声を荒げる。
味方はその特選隊員を一度睨んだ後、罵詈雑言を飲み込んで歩き続けた。