8.サムライマスターヒロシ
初めての本格パーティー狩りを経験した翌日の早朝、ヒマワリは庭で木刀の素振りをしていた。
素振りはヒマワリにとって、ダンジョン研修を受ける前からの日課だ。彼女は≪片手剣≫と≪両手剣≫の二つのスキルを持つため、今では右手の素振り、左手の素振り、両手の素振りをそれぞれこなしていた。
五月の早朝はまだ肌寒いが、素振りを続けるヒマワリは額に汗を浮かべている。一本一本、スキルが育つよう気合いを入れて素振りをしているので、かなりの運動量になっていた。
そんなヒマワリのもとに、なにやら人が一人近づいてくる。
芝谷寺家のご近所に住む老人、ヒロシだ。
「ヒマちゃん、おはよう。精が出るな」
「あ、おはよーっす。ヒロシさんも朝から元気そうだね」
「ああ。ヒマちゃん、少し話があるんだがいいかい?」
「いいよいいよー」
ヒロシがあらたまって話をしたいと言うので、ヒマワリは素振りを止めて首に巻いていたスポーツタオルで汗をふいた。
ヒマワリの息が整ってきたところで、ヒロシが話を切り出す。
「実は、離農することに決めてな」
突然の宣言に、ヒマワリは目をしばたたかせた。
「あれ、ヒロシさん、まだピンピンしているよね。農業止めちゃうの?」
レベルを上げると人間は活性化する。ダンジョン好きのヒロシは、八十を過ぎた老齢だというのに背筋も真っ直ぐだ。村では農家を営んでおり、毎年元気に北海道米を育てている。
ヒマワリが普段家で食べている米は、ヒロシを始めとした村の米農家が作った米だ。ヒマワリは、毎日美味しくいただいている。
ヒマワリの父が彼女に語ったところによると、北海道米はここ十数年で飛躍的に美味しくなったらしい。だが、そんな父も米農家出身の日本酒製造業なので、ヒマワリはひいき目による発言だと思い、話半分に聞いていた。
「実は、ヨシコちゃんが最近なかなか立てなくなってきてなぁ……介護に専念したいんで、離農することに決めたんだ」
「そっか、ヨシコさんが……」
ヨシコはヒロシの妻だ。こちらも、年齢は彼と同じく八十歳を超えている。
「それで、札幌の息子夫婦が一緒に住まないかって言ってくれたんだが、ヨシコちゃんはこの村で骨を埋めたいって言ってな」
「なるほど、村をそんなに愛してくれるなんて、ありがたいことだね」
「ああ、ヒマちゃん、村おこしするんだってな。それ、俺もちょっと乗らしてもらうぞ」
突然の宣言に、ヒマワリは驚く。
ヒマワリは普段から村おこしをしたい旨を周囲に告げているが、他の村人から村おこしの話題はほとんど聞かないのだ。
「農家を引退するんで、田んぼが丸々あまるんだ。これを一部、ダンジョン用の駐車場にしようって村役場と話していてな」
「わー、本当に!?」
「ああ、息子に土地を残してやるにしても、あいつだって田舎の田んぼを貰っても困るだろう? だから、今後も需要が見込める駐車場にしちまおうってな」
「わあー、村おこし、これは上手くいくかも!」
ヒマワリは、昨日学校で幼馴染みのサツキと話していたことを思い出していた。村の土地の有効利用についてだ。
ただの女子高生でしかないヒマワリは村の土地を勝手にどうこうすることはできないが、仮定の土地利用案の一つとして駐車場を考えていたのだ。村にある広い駐車場は、現状、役場と小中学校にしか存在しない。
村の診療所や雑貨屋にも一応駐車場はあるが、ダンジョンのために長時間車を駐められる場所では無い。
ダンジョン用の駐車場ができれば、遠くから村へダンジョン攻略に訪れる人も増えるだろうと、ヒマワリは喜ぶ。
そして、ダンジョンのよさが知れ渡れば、ゆくゆくは若いダンジョンシーカーが村へ移住するかもしれない、と妄想した。
「ヒマちゃん、張り切ってくれているところ悪いが、村おこしってもんは、村の大人達が考えるのが筋だ。子供のヒマちゃんが一人で頑張ることじゃない」
「えっ、でも……」
「まあ、それはそれとしてだ……。俺が今回したい話は、村おこし云々じゃないんだ。実は、離農のついでにダンジョンシーカーも引退することにしてな」
「えー! ヒロシさん、あんなにダンジョン好きだって言ってたのに!」
「十年間、仕事の合間にほとんど一人で頑張ったが、これ以上は年寄りの冷や水ってやつさ」
ヒロシはサムライマスターのジョブを持つ一流の剣士だ。かつて、村の老人達で集まって作った臨時パーティーでリトルドラゴンというモンスターを倒したことがある、ドラゴンスレイヤーである。
なお、一般的なステータスウィンドウには称号欄がないため、ドラゴンを倒したからといってシステム面で何か優遇があるわけではない。ドラゴンスレイヤーは役所が認定する名誉称号なのだ。
「もうダンジョンに行くこともないだろうが、正直、未練はある」
「それはそうだよね」
「なにより、十年間育てたサムライマスターのアビリティが、もう使われることなくなるというのが、惜しい」
「うんうん、分かるよ」
「そこでだ、ヒマちゃん、俺のアビリティ、受け継いでくれないか?」
「うんうん、うん?」
ヒマワリはヒロシの言葉が理解できず、首をかしげる。
そんなヒマワリに、ヒロシはニヤリと笑って言葉を告げる。
「ヒマちゃんは、俺達のアビリティと違って、レベルを上げなくても鍛えれば新しくスキルが生えてくるんだろう?」
「う、うん。そうだよ」
「ということは、俺が使えるアビリティを練習すれば、スキルとして生えてくるんじゃねえか?」
「……その発想はなかった!」
ヒマワリは愕然とする。
アビリティのスキル化。ありえるのか。あるのかないのか。ヒマワリの脳は、そんな思いに埋め尽くされた。
スキルというものは彼女の経験上、≪片手剣≫や≪疾走≫、≪自転車操縦≫といった行動に関する名称がつくもので、アビリティのように技名がつくものではない。
だがしかし、彼女が思い返すと、≪上段斬り≫が昨日生えたばかりだと気づいた。アビリティならば≪疾風上段斬り≫のような名称になると昨日もヒマワリは考えたが、それでも≪上段斬り≫は他のスキルとは少しおもむきが違う。技名と言われてもおかしくないのだ。
未だ習得していない未知のスキルの中には、技名を冠するものもあるのでは。まだまだスキルには謎が多い。特定の条件を満たさないと生えてこないスキルもある。それならば、サムライマスターの指導でアビリティを訓練してみたら、どうなるか。
ヒマワリは、ごくりと生つばを飲みこんだ。
「俺の十年の集大成、受け継いでみる気はあるか?」
「はい! やります! よろしくお願いします、師匠!」
「し、師匠……? そうか、じゃあ今日から、ヒマちゃんは俺の一番弟子だ!」
芝谷寺ヒマワリ、十六歳。ダンジョンシーカーになった彼女に、新しく剣の師匠ができた。
老練のサムライマスターが師匠という事実に、ヒマワリは内心で歓喜の声をあげた。このシチュエーション、格好良すぎる、と。
ヒマワリは未だに思春期から抜け出せない少女だった。
◆◇◆◇◆
華の女子高生の師匠となったヒロシを村の老人達は、たいそううらやましがった。
そして、俺の技も、私の魔法も受け継いでくれ、とヒマワリのもとへ来るようになったが、ヒマワリは涙を飲んで、これを断った。彼女の身は一つしかない。同時に複数の教えは受けていられないのだ。
だが、一件だけ例外があった。
「感じるにゃ! 魔力はそこにあるにゃ! 肌の表面で感じ取るにゃ!」
「うぬぬぬぬ……分からぬ!」
「右手のところに魔力が集まっているにゃ!」
「うわあ、ふわふわぁ」
「にゃー! なでるんじゃないにゃ!」
老人達の誘いは断っても魔法の習得はしたかったヒマワリは、身近に居るミヨキチに頼んで、魔法スキルを生やす特訓を受けさせてもらっていた。
お礼は、にゃんこのおやつ『ペロペロール』一ヶ月分だ。
五月分のお小遣いが半分消し飛ぶ出費に、ヒマワリはダンジョンで稼がねばと気合いを入れることになった。
「うぬぬ……本当に魔法スキル生えてくるのかなぁ……」
「ちゃんと修行で≪遠当て≫が生えたにゃ。だから、己のスキルを信じるのにゃ!」
「それな。飛ぶ斬撃がありなら、魔法だってありだよね」
ヒマワリは、土日をみっちり使った特訓で、サムライマスターのアビリティをスキル化することに成功していた。
覚えたスキルは、≪闘気熟練≫と≪遠当て≫の二つ。
ヒマワリが使う≪遠当て≫は、剣先から衝撃波が一メートルほど飛んで対象に打撃を与える技だ。そのもととなったヒロシのアビリティ≪飛燕斬≫は、十メートル先の木材を真っ二つに切り裂いた。
ヒロシが語るには、覚えた当初の≪飛燕斬≫もせいぜい二メートルほど先を切り裂くアビリティでしかなかったと言う。つまり、≪遠当て≫も今はただの衝撃波でしかないが、スキルを鍛えれば飛ぶ斬撃に成長する可能性があるのではないかとヒマワリは考えた。
飛ぶ斬撃を使う剣士。格好良い。そこに魔法も加われば、魔法剣士に! ヒマワリの妄想は止まらなかった。
そして、その妄想を形にできるかもしれないと思わせるほど、スキルという力は可能性にあふれていた。
「考えるんじゃないにゃ、感じるんだにゃ」
「ワイズマンが言う言葉に聞こえない!」
可能性が花開くかは、今はまだ分からない。