5.犬の本能
ダンジョンの門をくぐりながら、ヒマワリは言う。
「いやー、お母さんの許可が出て、本当によかったよ」
そのヒマワリの手にはリードが握られており、リードの先には一匹の犬がいた。
芝谷寺の飼い犬ホタルである。柴犬のミックス犬で、メスの三歳。芝谷寺家が飼う犬としては二代目である。先代のジュンは十四歳でこの世を去った。
「おおらかそうなお母様だったにゃ」
ヒマワリの横を歩きながらそう話すのは、猫のミヨキチ。白い日本猫で、年齢は十二歳。
猫としては高齢だが、モンスターを倒してジョブを得た恩恵で、≪長寿≫のアビリティを手にしている。そのアビリティの効果とレベルを上げた基礎能力の向上により、肉体は全盛期を維持していた。
「いやいや、私の説得のたまものだよ。寿命が上がって知能も上がるって説明したおかげだねー」
「ダンジョン黎明期に十歳の犬がジョブを手に入れて、現在二十歳になってもまだ衰えていないと話に聞いたにゃ」
「人間も、ダンジョンで積極的にレベルを上げている村の人達はピンシャンしているし、みんなもっとダンジョン潜ればいいのにね」
「ダンジョンだけでは人間の世界は回らないにゃ。仕方ないにゃ」
「難しい話だねーっと、どうしたのホタル」
リードの先のホタルが急に足を止め、うなり声を上げだした。
そのホタルの目線の先には、ぽよぽよとスライムが跳ねている。
ダンジョン一階のモンスターは、どこのダンジョンでも例外なく、自発的に人へ襲いかかってくることはない。
ノンアクティブと呼ばれるその性質があるため、ダンジョンの一階では一匹ずつモンスターを狩って安全にレベルを上げることができる。
このスライムもこちらから手を出さない限り安全なノンアクティブモンスターなのだが、ホタルは警戒心をむき出しにしていた。
「レベルを上げていない動物は、モンスターが倒すべき敵だと本能的に理解できるにゃ。レベルを上げさせるためのダンジョン側からの誘導にゃ」
「私は、そういう感じのなかったけど」
「人間は、言葉で他人からダンジョンの仕組みを伝え聞けるのにゃ。だから、ダンジョンも本能に訴えかけるようなことはしないと言われているにゃ」
「へー……っと、ホタル、めっちゃうなるなぁ」
今にも襲いかからんと体勢を低くするホタルだが、実際にはその場から一歩も動いていなかった。
「よくしつけされているにゃあ。きっとお嬢さんの許可を待っているにゃ」
「おー、よし、ホタル、ゴー!」
ヒマワリはホタルの横にしゃがみ、リードを手放してスライムに向けて指さした。
すると、ホタルは瞬時に加速し、スライムに食いついた。
噛みつかれたスライムは一瞬で弾け飛び、光になって消え去る。
そして、スライムを倒したホタルの足元から、光が渦になるように立ち上った。レベルアップを知らせるエフェクトだ。
光が収まると、ホタルはしばらくその場でたたずみ、十秒くらいしてから身をひるがえしヒマワリのもとへと戻ってくる。
しゃがんだままのヒマワリの前で止まったホタル。尻尾は千切れんばかりの速度で左右に振られており、頭を上げて全力で褒めてくれと主張していた。
「おー、ホタル、よくやったよー。よしよし」
ヒマワリはホタルの頭をわしわしとなでてやる。そして、肩掛けカバンの中から犬用おやつジャーキーを取り出すと、ホタルの口元に持っていく。
それをホタルがくわえ、嬉しそうに食べ始めた。
はぐはぐとジャーキーを食べるホタル。その間に、ヒマワリは立ち上がり、スライムが居た場所に落ちていたドロップアイテムを回収した。それは、ぷにぷにした弾力のあるボール。スライムコアと呼ばれる素材で、化学分野で需要がある一品だ。一個あたり、十円ほどで売れる。
アイテムを回収したヒマワリがホタルのもとに戻ると、ホタルはジャーキーをまだかみ続けていた。
それをほほえんで見守るヒマワリ。そして、横にいるミヨキチに向けて言った。
「これでホタルもしゃべれるようになったかな?」
「人語発声のアビリティはレアだから、どうかにゃあ。でも、知能はワイズマンのあちしほどではないけど、上がっているはずにゃ」
「そうかぁ。ホタルー、私の言っていること理解できてるー?」
「がふがふ」
どうやら、ホタルは食べることに夢中で、ヒマワリの言葉は耳に届いていないようだった。
ヒマワリは仕方がないなと笑って、ホタルがジャーキーを食べ終わるのを待つ。食べ物はじっくり味わうことが好きなホタルであった。
それからしばらくして、ヒマワリはホタルに向けて言った。
「ホタル、ステータスウィンドウ出せる? 『オープン・ザ・ステータス』するんだよ」
「わん!」
ヒマワリの指示を受けホタルがひと吠えすると、ホタルの前にステータスウィンドウが展開した。
「おー、出た出た。でも、犬ってステータスウィンドウ読めるのかな?」
「猫のあちしも、日本語を読めるようになる前から、ステータスウィンドウは読めたにゃ」
「そっかー。ホタル、それがホタルの手に入れた力だよ。私にも見せてくれる?」
「わう!」
ホタルは小さく吠えると、宙に浮くステータスウィンドウを口でくわえて、ヒマワリの前に差し出した。
「おー、ちゃんと公開ステータスになってるね。どれどれ」
ヒマワリは、ステータスウィンドウを全員に見えるよう、地面に置いて中身を確認した。
名前:ホタル
年齢:3
ジョブ:クルセイダー
レベル:1
習得アビリティ:堅牢 不動 自己治癒 かばう 聖属性攻撃
「うおお、バリバリのタンクじゃん、ホタル!」
ヒマワリはホタルの頭をわしわしとなでた。ホタルは嬉しそうに鼻息をふんふんとしている。
タンクとはゲーム用語で、敵の攻撃を受けて他の者を守る役割のことを指す。ホタルは、まさにそんなタンク向けのアビリティで構成されるジョブとなっていた。
「よし、基礎能力も見てみよう」
ヒマワリはホタルのステータスウィンドウを操作して、二ページ目を表示させる。ステータスウィンドウには、ジョブやアビリティだけでなく、基礎能力を見るための別ページも存在しているのだ。
「おー、頑強さが高い! 賢さも高めなのは、今後魔法系アビリティの習得にも期待してもいいのかな?」
「賢さが高いのはいいことにゃ。意思疎通がしやすくなるにゃ」
「レベルを上げて賢さを上げれば、そのうち文字を使って会話なんかも……」
「人間と違って、犬のレベルアップによる知能補正は高いから、いけるはずにゃあ」
「うわー、ホタル、頑張ってレベル上げようね!」
ヒマワリがホタルに向けてそう言うと、ホタルは元気よく「わん!」と答えた。
そして、ミヨキチが一ページ目にステータスウィンドウを戻しながら、言う。
「ここまで本格的な防御アビリティが発現したとなるとにゃ……。よっぽどホタルは、家族を守りたかったんだにゃあ」
「それな! 確か、ジョブとアビリティは、本人が心の奥で強く望んでいる想いを反映しやすいんだっけ」
「そうにゃあ。だから、ジョブを手に入れたものの、希望と外れて絶望するってケースはまずないにゃ。もし外れても転職アイテムがあるけどにゃ」
「ワイズマンなミヨキチさんは、よっぽど賢くなりたかったんだね!」
「飼い主とずっと一緒に過ごしたかったにゃ。飼い主を守りたいホタルには親近感を覚えるにゃ」
「そっかー……」
ミヨキチの飼い主は、すでに他界しているとヒマワリは聞いている。レベルの恩恵で人と動物との寿命差が縮まっても、いつかどちらか片方に死が訪れるのは、ダンジョンが存在する現代でも避けられないことだった。
ヒマワリは、かつてホタルを飼う以前に芝谷寺家で飼われていた犬のジュンを思い出して、どこか寂しい気持ちになった。そんなヒマワリをホタルはなぐさめようとしたのか、ペロペロとの手の甲をなめ始めた。
「あ、こら。賢くなっても、行動の基本はお犬様のままだなー」
手をなめられたヒマワリは、両手でホタルの頭をわしわしとなでるのであった。