29.ダンジョン商店
ダンジョン内に設置されて二十四時間経った非生物の物体は、ダンジョンの床や壁に吸収されて消えてなくなる。
だが、ダンジョン商店はダンジョン内に設置された実店舗であり、商品も棚に置かれたまま動いている様子はない。
まさしく、このダンジョン商店は、ダンジョンの神からダンジョン入場者のために提供されている特別な施設なのだと言える。
「はー、いろいろあるなぁ……」
ヒマワリは店内を見て回りながら、次から次へと目に飛びこんでくる不思議なアイテムに感嘆していた。
美味しい水が無限に湧き出てくる水筒、内部が異空間になっており入れた品の重さも感じなくなる小容量のバッグ、月経の負荷を完全に抑える魔法錠剤、ダンジョン外部と連絡を取れるようにするそろいの腕輪、サイズを自動調整してくれる魔法裁縫の防具各種。
値段はピンからキリまであるが、それでもヒマワリが視界に入れて確認できるのは商品の一部だけ。より多くの商品を確認したいならば、六階からさらに奥深くまでダンジョンを潜る必要があった。
ダンジョン商店は、その支店が設置されているダンジョンの到達階層によって購入できる品が変わるのだ。
その証拠に、防具コーナーに並んでいる品のうち、全体の一割ほどの商品しかヒマワリは正しく認識できていない。商品がそこにあることは理解できるが、目に見える形として捉えられない。
「不思議ー。あ、サツキちゃんは、何か面白い物見つけた?」
ヒマワリが広い店内をさまよい歩いていると、棚の一角で立ち止まっていたパーティーメンバーのサツキを見つけた。
そのサツキが、目の前にある棚の商品を指さして言う。
「神アイテムを見つけたよ」
「なに? ……あはは! 本当に神アイテムだ!」
サツキが示した品。それは、二十センチメートルほどの小さな女神像だった。素材は銀であろうか。背中に大きな翼を生やした、麗しい若い女性を象ったまばゆい金属像である。
「女神様のアイテムという意味だけじゃなくて、効果も神だよ」
「なになに……あっ、これが『転職の女神像』!?」
『転職の女神像』は、世間で有名なアイテムだ。
その効果はというと……。
「ジョブを再抽選する転職アイテムだよね」
ヒマワリがそう言うと、サツキもうなずいて、今度は女神像が置かれている棚のポップを指さした。そこには、手書での商品説明が書かれている。サツキは、ヒマワリも目を通したポップに書かれていた日本語の説明を読み上げた。
「『新しいジョブに就きたいアナタへ』。『転職の女神像』に違いないよ」
『転職の女神像』。このアイテムは、ダンジョン研修を受けて確定した『ジョブ』をもう一度抽選し直して、新しい『ジョブ』に変更することができる。
しかも、新しい『ジョブ』に就き直しても、それまで上げていた『レベル』は下がらない。ただし、『ジョブ』が変わることで『アビリティ』も一新されるため、個別の『アビリティ』を鍛えて高まった熟練度はリセットされてしまう。
ちなみに、転職しても『レベル』が下がらない理由は、『レベル』が個々人の魂の洗練度合いを表している数値であるからとされている。
『レベル』を上げれば、その人物の魂は磨かれ強固になり、綺麗になる。強固になって綺麗となった魂の持ち主は、善良さを身につけ、高潔な人物になっていく。そのため、日本の政府は国民に『レベルアップ』を積極的に行ない、魂を磨いていくことを推奨している。
日本が公共の場での『アビリティ』使用を法で禁止していなかったり、公務員に『アビリティ』を使用した副業を許可したりしているのは、この理由があるからだ。
「思春期特有の『ジョブ』選択を大人になってから後悔したときに、役立つアイテム……だっけ?」
この像が、なぜそこまで神アイテムとされているのか。その理由を思い出しながら、ヒマワリが言った。
『ジョブ』は、本人の願望が反映されて抽選されるものだとされている。そして、人間が『ジョブ』を手に入れられる年齢は、十五歳を超えてからだ。
自分はどんな人間になりたいかという想い。それは、年月と共に変化していくものだ。
さらに思春期ともなると、なりたい自分の人物像に、若さゆえの情熱が交ざることも、よくあるのである。その事実に、サツキも笑って女神像を見つめる。
「『黒歴史』消去アイテム。うん、神アイテムに違いないよ」
サツキがしみじみと言うので、ヒマワリも釣られて笑ってしまった。
そして、ヒマワリが、ふとした考えをポツリとつぶやく。
「こういう、『ジョブ』用のアイテムを『スキル』持ちの私が使ったら、どうなるのかな?」
その言葉に、ハッとするサツキ。
ヒマワリは、『ジョブ』を取得していない。ジョブレベルの神から『ジョブ』を授かっていないのだ。代わりに、スキルレベルの神の恩恵をその身に宿している。
この女神像が、想定外の状況でどんな挙動を起こしてしまうのか、不安と興味を覚えたヒマワリとサツキ。
すると、いつの間にかヒマワリたち二人に近づいていたウサギ耳の支店長が、背後から「ご安心ください!」と満面の笑みで告げた。
「商品のセーフティーは万全なので、変な動作はしません! 世界によっては、複数の神々が生物に恩恵を与えていることもありますからね! 『ジョブレベル』用のアイテムは『ジョブレベル』持ちの人のみに、『スキルレベル』用のアイテムは『スキルレベル』持ちの人のみに作用します」
ウサ耳少女支店長のその説明に、ヒマワリは「それはよかった」と言葉を返した。アイテムの仕組みにバグがあって、取り返しの付かない事態に巻き込まれる心配は、おおよそしないで済みそうだと彼女は安心した。
「お客様は、ダンジョン神様から通達のあった、スキルレベル神様の恩恵を授かった方ですね? 当店と、隣町の花祭町ダンジョン支店では、『スキルレベル』タイプの商品も取りそろえておりますので、どうかごひいきに願います!」
「ひいきにしたら、何かあるの? 支店長さんの『スキルポイント』の評価値がよくなる以外で」
営業スマイルを浮かべる支店長に、ヒマワリが斬り込むようにそんなことを尋ねた。
すると、支店長は笑みを崩さずに返してくる。
「いえ、特にはー。私のお給料は、売上に関わらず一律ですしー。でも、ダンジョン神様からは営業努力を欠かさないよう、通達はされてますね!」
「なるほどね。じゃあ、『スキル』持ちの私向けのアイテムで、何か良い商品あったら紹介してくれる?」
「はい、では、こちらにどうぞー」
支店長の先導に、ヒマワリと、ついでにサツキも付いていく。
向かった先は、書籍コーナーだ。
「こちらです。スキルレベル神様の担当世界から発売された、『スキルの覚え方と使い道』を研究した書籍です! ちゃんと日本語訳されていますよ!」
それは立派な革張りの本だった。書籍名は『スキル大全』。
価格は、ダンジョン内の宝箱から獲得できるダンジョンコインで『15000』ポイント分。現在のヒマワリの全財産は『18000』ポイントだ。ギリギリ買えるが、正直なところ高いと彼女は思った。
「ちょっと商品を手に取っていいかな?」
ヒマワリが支店長にそう尋ねると、支店長は「どうぞ」と笑顔で答え、さらに告げる。
「購入しないと、中身はぼんやりとしか読めないですけどね!」
それに関しては、ヒマワリは別に構わないと考えた。それよりも、どれだけの情報がこの本に詰まっているかの方が重要だ。
彼女は本を手に取り、開いてみる。すると、ページは上質の植物紙であり、文字もどうやら手書きではなく印刷されているようだ。
「地球に匹敵する程度には、文明レベルの高い世界の本なのかな?」
「ああ、いえいえ。その本は、スキルレベル神様の恩恵を与えられた世界から、弊社が販売権を取得したんです。そのうえで、弊社の印刷技術で増産したものですよ。ライセンス販売ってやつです」
「なるほど。日本語訳したのも、ヘグサット商事ってことかな?」
「そういうことです」
そんなやりとりを支店長としながらも、ヒマワリは本に書かれた内容を可能な限り読み取ろうと努める。
どうやら、書かれている『スキル』は一ページ二、三個で、それが一二〇ページほどあるようだ。本のサイズは、大判の単行本に近い。
「『大全』を名乗るわりには、情報量少ないね」
「お客様、それは仕方がないのですよ。なにせ、この本が書かれた世界も、スキルレベル神様の恩恵を受け取れたのは十年前から、ようやくなのですから」
「あっ、そっか……」
地球人に『ジョブ』の力を与えたジョブレベルの神と、ヒマワリに『スキル』の力を与えたスキルレベルの神は、病み上がり。その病が癒えて世界に恩恵を与えられるようになったのは、十年前という、ごく最近のことなのだ。
それはつまり、スキルレベルの神の担当世界で、その世界の住人たちが『スキル』の研究を始めたのも、十年前からということ。
本にまとめられる情報も、まだまだ少ないというわけだ。
「この『スキル大全』は今後、年を経るごとに内容が充実していくでしょう。しかし、それでも現段階で十年分の叡智は詰まっています。お客様一人で手探りに『スキル』を探していくよりは、今この本を購入した方が有意義に思えますが、いかがでしょうか?」
「はい、買いまーす」
「ありがとうございます!」
『15000』ポイントの商品をダンジョンの外に持ち込み日本円で換金しようとすると、五万円は確実に超える高値が付く。よってこの大全を手に入れようと思うと、高校生のヒマワリにとって大きな買い物となる。だが彼女は、ポイントを貯めておくよりも、ここが使いどころだと判断した。
新しい『スキル』の覚え方は、複雑怪奇。
≪斬鉄≫のスキルを覚えるためには『鉄を斬ろうとした経験』が求められるなど、ヒマワリ一人で条件を見つけていくことは困難である。五万円の本を買うだけでその困難を回避できるならば、安い買い物だと彼女は思った。
「はあ、今日までの稼ぎが、すっからかんだよ」
支店長にその場で購入の意思を伝え、商品をあらためて手渡されたヒマワリ。彼女は本を片手に、『ステータスウィンドウ』を開き、ポイント残高を見てため息をついた。
「うふふ、六階以降はモンスターを倒したときにも、まれに宝箱が出現するようになります。ですので、頑張って『ダンジョンコイン』を稼いでくださいね! まあ、罠も階を進むたび、厳しいものになっていくのですけど」
そんなことをのたまう支店長の笑みに、ヒマワリは宝箱の罠解除に失敗してきた日々を思い出す。
パーティーメンバーに、罠解除が得意な斥候系の『ジョブ』がいればなぁ。などと、なかなか上がらない≪罠解除≫≪鍵開け≫のスキルレベルを思い出しながら、ヒマワリは目を伏せた。
それから、しばしの時間が過ぎる。
店内に散っていた他の面々も、それぞれ商品を見て回り購入する品を決めた。
サツキは、初心者向けの魔法の杖を。魔法の威力が向上するという触れこみの木製の杖だ。
ホタルは、微弱な魔力の防御フィールドを発する首輪を。防具としては最下級で、タンク用としては心もとないので、さらにコインを集めてより上位の品へアップデートしていく予定だ。
ミヨキチは、到達階層六階相当では欲しい品がなかったらしく、何も購入していない。すでに防御性能がそれなりに高い魔力の首輪も持っているため、今回はウィンドウショッピングで終えたようだ。
「ありがとうございましたー。また来てくださいね!」
そんな支店長の声に見送られながら、ヒマワリたちはリヤカーを引いて、ダンジョン一階へつながる転移魔法陣へと歩いていく。
「うーん、欲しい物が多すぎる! コイン頑張って集めないとね!」
ヒマワリは『スキル大全』の他にも細々とした便利グッズやオシャレアイテムを買い込んだため、見事にポイント残高が『0』になっていた。
その散財っぷりにサツキは「いつものヒマちゃんだなぁ」と思った。サツキが買ったのは『8000』ポイントの杖一本のみだ。
だがこれで、ヒマワリたちのパーティーに、一通りの武器と防具がそろった。
夏休みも、あとひと月とちょっとで訪れる。いよいよ本腰を上げて村のダンジョンを攻略していくときが来たか、と、ヒマワリは気合いを入れた。
そして、本日の成果を役所の買い取り所に披露したところで、彼女は思わぬ言葉を買い取り業者の斎藤から告げられる。
「で、ヒマちゃんたちのパーティー名って、どんなのに決まったのカナ?」
「えっ、パーティー名?」
「うん。もしかして決めていないのカナ? ダメダヨ、決めないと」
「確かに!」
斎藤の台詞に目を輝かせ始めたヒマワリを見て、サツキは「これ、思春期が暴走して『黒歴史』になるやつだ!」と内心で思い、不安を覚えた。
そして彼女は、ダンジョン商店で見かけた『転職の女神像』の御姿を思い出しながら、「どうか妙なパーティー名が付きませんように」と真摯な祈りを捧げた。




