25.吠えよ斬鉄剣
「は?」
ヒマワリは、突然の台詞にぽかんと口を開けた。
聞こえてきたのは、いつも『スキルレベル』の上昇を知らせてくる、幼い子供の声だった。
『スキル≪斬鉄≫の習得に足りないのは、鉄を斬ろうとした経験! 鉄鉱石じゃないわよ。鉄よ。鋼鉄でもよし!』
「えっ、ちょっ……!」
『身近な鉄はー、あ、ちょうど手に持っているじゃない。それを斬れば完了ね!』
「ちょっと、誰?」
『私? スキルレベルの女神! あなたには、期待しているからねっ!』
「ええっ……」
ヒマワリは、自分の手元の剣を見て、どうしたものかと悩んだ。
鉄を斬る。そうすれば≪斬鉄≫というスキルが覚えられるらしかった。彼女が今、手に持っている『ダンジョン炭素鋼』製の剣鉈を斬れば、『バッファローマン』への決定打になる『スキル』が取得できるのだと。
しかしだ。この剣を斬るための剣は、どうすればいいのだろう。しばし頭を悩ましたところで、ヒマワリは不意に気づいてハッとした。予備武器として、木刀を持ってきているのだ。『デンキヒツジ』との戦いで、出番があったばかりだ。
ヒマワリは、あわててリヤカーへと向かい、中の荷物を漁る。
そして、トレント木材製の木刀を手に取ると、もう片方の手に持った片刃の剣を見つめた。
木刀で、鋼鉄製の剣が斬れるのか?
いや、あの声は言っていた。鉄を斬ろうとした経験だと。鉄を斬った経験ではない。
そしてヒマワリは、意を決して剣を宙に放り、木刀を両手に握って闘気をほとばしらせ、上段から木刀を振り下ろした。
すると――
「斬れた!」
木刀が剣の刀身を真っ二つに切り裂いていた。
そして、脳内に再び声が響く。
『スキル≪斬鉄≫がレベル1になった! ……さ、頑張りなさい』
一瞬、驚き入るヒマワリだったが、すぐさま思考を戦闘に切り替え、『バッファローマン』の方を見る。
すると、そこにはたった一頭で、『バッファローマン』相手に奮闘するホタルの姿があった。
ヒマワリが急いでそちらへ駆けていくと、ホタルが『バッファローマン』に棍棒で殴り飛ばされた。
それを見てさらに気力を込めて全力で走っていくヒマワリ。すると、彼女の足音を聞きつけたのか、『バッファローマン』がヒマワリの方を見て、盾を構える。
そして、ヒマワリは走りながら木刀を上段に構えた。
「うああッ! ≪斬鉄剣≫!」
巨大な盾によるシールドバッシュと、闘気をまとった木刀がぶち当たる。
すると、木刀はまるでバターをナイフで切り取っているかのように盾を切り裂いた。そして、その勢いのまま振り下ろされた木刀は、床を大きく穿った。
真っ二つになったオーラの盾は霧散し、『バッファローマン』は防御手段を失う。
そこに、一つの声が響く。
「≪ケミカルニードル≫……!」
地面に倒れていたサツキがチャンスを逃さず、魔法を放ったのだ。巨大な針が『バッファローマン』に突き刺さり、麻痺薬が『バッファローマン』の動きを止める。
さらに――
「≪マジックアロー≫にゃ……」
完全に動かなくなっていたと思われたミヨキチからも攻撃魔法が飛び、『バッファローマン』の盾を持っていた方の腕を消し飛ばした。
さらに、先ほど吹き飛ばされたホタルが戻ってきて、『バッファローマン』の残った棍棒を持つ腕に全力で噛みつく。
これで相手は完全に無防備になった。
そこに、木刀を再び構えたヒマワリが、闘気を練ってスキルを発動させる。
「もういっちょ、≪斬鉄剣≫!」
その一撃は、木刀による攻撃だというのに、『バッファローマン』の腹を横に切り裂いた。ショッキングピンクの返り血がヒマワリの顔を汚す。
だが、ヒマワリはそれを気にも留めず、返す刀で今度は≪遠当て≫を放った。三メートルの高さにある、『バッファローマン』の頭部に向けてだ。
赤い衝撃波が『バッファローマン』の頭部をゆらし、『バッファローマン』は後ろ向きに大きく倒れた。
さらに、ヒマワリはとどめとして、横たわる『バッファローマン』の目に≪魔法剣≫を突き刺す。すると、『バッファローマン』は通常モンスターとは比にならない量の光を発して消滅していった。
やがて地面には、ドロップアイテムである『ダンジョンスイギュウの高級ヒレ肉』が残された。
『称号≪ビーストスレイヤー初級≫を取得した! スキル≪斬鉄≫がレベル2になった! ……やるじゃない! さすが私の子ね!』
またもや『スキルレベルの神様』の声が聞こえてきて、ヒマワリは意思疎通とかできるのかなと疑問に思った。
『ひいきはいけないんだけど、この星での私の担当は、まだあなた一人だけだからね! ……ってあれ、ちょっ……!』
『おやおや、面白そうな子がいるね』
女神様の幼い声に集中していると、突然、ヒマワリの脳内に別の声が響いた。
それは、優しそうなお兄さんの声。その声の主に、ヒマワリは混乱しながらも当たりをつける。『スキル』を司る超常存在と同じ方法でコンタクトしてくる相手。すなわち、こちらもなんらかの神。
「もしかして、『ダンジョンの神様』……?」
『うん、そうだよ』
「実在していたんだ……!」
『ダンジョンの神様』は青年の姿を取るという噂話をヒマワリは思い出していた。ダンジョンシーカーの間で広まっている都市伝説の一種だ。
ちなみに、普通の人がレベルアップしたときに聞こえてくる脳内音声は大人の女性のもので、そちらは『ジョブレベルの神様』の声だと言われている。
『そこは青熊村ダンジョンだね。ちょっと向かうね』
「えっ?」
すると、次の瞬間、空から巨大な光の柱が降ってきた。
怪我が深いミヨキチを治療していたサツキが、何事かと飛び上がる。
やがて光が収まると、そこには豪奢なローブを身にまとった一人の美青年が立っていた。
だが、その青年は普通の青年ではなかった。なんと、頭から犬の耳を生やし、猫のものと思われる肉球つきの毛深い手をしていた。
「おや、人間以外も居たから、いろいろ混ざってしまったね。あはは」
犬の耳を持ち、にゃんこハンドをしたダンジョンの神様が、ヒマワリの前で笑っている。
美男子がそんな姿をしているものだから、ヒマワリ思わず笑いそうになる。神の顕現というには、いささかコミカルであった。
「ヒマちゃん、何事!?」
サツキが突然の事態に混乱して、あわあわとあせりだす。
「あー、『ダンジョンの神様』が来たみたい」
「ええっ!?」
「どうも、ダンジョンを司る神だよ。ときどきこうして人前に顔を見せて、会話を楽しんでいるんだ。何か、聞きたいこととかあるかな?」
その神様の言葉に、サツキが困ったようにヒマワリを見た。
ヒマワリは戦闘時の高揚感がすっかり消え失せており、代わりに彼女の心はワクワクに包まれていた。ヒマワリは、神様を前に、心から満面の笑みを浮かべる。そして、『ダンジョンの神様』に向けて言った。
「ダンジョンを作ってくれて、ありがとうございました! おかげで、毎日が楽しいです!」
すると、神様は心底面白いという顔をして、笑い始めた。
「あはははは! どういたしまして! でも、毎日が楽しいのはダンジョンのおかげかな? それとも『スキル』のおかげかな?」
「両方です!」
「うん、ありがとう。スキルレベルの女神にも伝えておくよ」
『伝わっているわよー』
ヒマワリの脳裏にそんな声が響く。なんともフレンドリーな神々だな、とヒマワリは思った。
そして、ミヨキチの介抱を終えたサツキが、遠慮がちに言った。
「あのー、私からも一つ質問いいですか?」
「うん、構わないよ」
「あの、なんでヒマちゃん一人だけ、『スキル』の力を手に入れられたんですか?」
「そうそう、それを聞いてほしかったんだよ。実はね――」
ヒマワリの方を見ながら、『ダンジョンの神様』はニヤリと笑って言った。
「ただの偶然だよ」
偶然。その言葉を聞いて、ヒマワリは自分の中で何かが崩れるような錯覚を覚えた。
「この星は、本来『ジョブレベル』を司る女神が担当する区域なんだけど、たまたま『スキルレベル』を司る女神の力が世界を超えて混線しちゃってね。そのタイミングで、生まれて初めてモンスターを倒した生物が、ヒマワリ君だったんだ」
「本当に偶然……!」
ヒマワリは、ショックを隠せないような声でそんな言葉をもらした。
実のところヒマワリは、世界で唯一スキルの力に目覚めた自分を特別な存在だと思い込んでいた。自分には、秘められた不思議な何かが眠っている、と。思春期にありがちな思考である。
「これは君たちの星の人間に、何度か知らせているんだけど……、人が『レベル』を上げたら、その分だけ『ジョブレベル』を司る神の力も強まるんだ。『スキルレベル』を司る神も同じで、ヒマワリ君が『スキルレベル』を上げたら、それだけ神としての力が強くなる。で、『ジョブレベル』と『スキルレベル』の女神たちって、病み上がりでね。ヒマワリ君が頑張れば、神様も調子がよくなるんだ」
「神様が病み上がり……! 都市伝説じゃなかったんだ……」
ヒマワリは、ダンジョンシーカーの間でまことしやかにささやかれる、『神様病み上がり説』を思い出して、驚愕した。
「うん、そうだね。それで、君が頑張れば頑張るほど、『スキルレベル』を司る女神の力が上がっていくんだけど……もしかすると女神が本来の区域を超えて、この世界に強い影響を与えられるようになるかもしれない。そうなれば、『スキル』の力を強く望む者が他に出たときに、『スキル』の力を得られるようになるかもしれないんだ」
「わっ、それは責任重大ですね!」
「だから、これからも頑張ってダンジョンを攻略してね」
その神様の言葉に、ヒマワリは少し考えてから言う。
「ダンジョンを攻略すると、『ダンジョンの神様』の力が強くなるとか?」
「あはは、その通り。だから、人がいっぱい入って、どんどん攻略されていくダンジョンは、それだけすごいダンジョンに育っていくよ」
「ダンジョンが育つ! それは……」
ダンジョンを上手く育てられたら、村おこしになる!
ヒマワリはその事実に、気持ちが上向きに変わるのを感じた。
「二人からの質問はもうないかな。そちらの二頭はどうかな?」
「ダンジョンに、地上で死んだ人を蘇生するすべは、あるかにゃ?」
「残念ながら、ないね」
神様に即答され、ミヨキチはしょんぼりとなった。
「わうわう。わう!」
「『ジョブレベル』の力に関しては専門外なんだけど、強く望めばそれに見合った『アビリティ』が発現しやすいのは事実だよ」
「わう!」
ホタルが犬語で何を質問したかは解らなかったが、おおかた欲しい『アビリティ』でもあったのだろうと、ヒマワリは当たりを付けた。
「じゃあ、そういうことで、今回の質問タイムはここまで。また機会があったら会おうね」
そう言って、神様はモンスターが消えるときと同じように光になって消えていった。ちなみにドロップアイテムは残さなかった。
突然の退去に、神様が消えた跡をぼんやりと眺めるヒマワリ。
その間にもサツキは≪ヒーリング≫を続けており、皆の怪我はすっかりよくなっていた。
「えーと、とりあえず……」
ヒマワリは、入念な≪ヒーリング≫を受けてから、『バッファローマン』のドロップアイテムを拾う。
そして、それを空に掲げて、宣言した。
「青熊村ダンジョン五階、制覇ー」
その言葉はどこか気が抜けていて、『バッファローマン』との死闘の熱はまったく感じられなかった。




