13.日常にひそむ魔物
「ぬおおおお! いてえええ!」
ダンジョン一階の草原にて、ヒマワリは叫び声をあげていた。
その彼女の周囲にはスライムが大量に集っていて、地面に座り込むヒマワリに向けてボコボコと体当たりを続けている。
「頑張って、ヒマちゃん! ≪ヒーリング≫!」
そんなヒマワリの行動をデジカメで動画撮影しながら、ときおり回復魔法を飛ばすサツキ。
「わうわう」
そして、ヒマワリの横では犬のホタルが、これまた大量のアルミラージに突撃を喰らいながら、お座りの姿勢で耐え忍び続けていた。
「みんな頑張るにゃあ。≪物品鑑定≫。うーん、やっぱり一階には薬草はないにゃ」
ミヨキチは一匹でそこらを歩き回りながら、雑草に≪物品鑑定≫のアビリティをかけていた。
彼女達が何をしているかというと、スキルレベル上げとアビリティの熟練度上げだ。
先日、ヒマワリが剣の師匠のヒロシに「五階突破を目指す」と告げたところ、ステータスウィンドウの開示を求められた。そこで基礎能力のページを見せると、能力の一つである『頑強さ』が低すぎると言われたのだ。
曰く、タンクがいても、攻撃を受けるときは受ける。そのとき、怪我で動けなくなっては戦線が崩壊してしまう危険性がある、と。
通常ならジョブのレベルを上げていけば、頑強さも比例して上がっていく。しかし、ヒマワリの場合はスキルを育てるしか、基礎能力を上げる手段がない。
なので、モンスターの攻撃をわざと受けることで、頑強さの向上に繋がるようなスキルを育てるべきだ。そう、一流のダンジョンシーカーであるヒロシに伝えられたのだ。
そういうわけで、本日はスキルレベル上げをすることに決めて、モンスターの攻撃を一方的に受け続けているヒマワリ。
ついでに他のパーティーメンバーのアビリティも鍛えようということになり、こうしてパーティー全員でモンスターを倒すことなくダンジョン内で過ごしているのだ。
「ぬぬぬ、だんだん痛みがなくなってきた! いろんなスキルのレベルがガンガン上がる!」
ヒマワリは先日覚えた≪痛み耐性≫や≪頑強≫のスキルだけでなく、≪体幹安定≫や≪ノックバック耐性≫、≪忍耐≫といったスキルも新たに手に入れて、スキルレベルを上げていた。
「≪ヒーリング≫。あ、ちょっと、めまいがしてきたかも……」
「魔力切れにゃあ。座って休むと早く回復するにゃ。アビリティの熟練度が上がっていけば魔力の消費も少なくなるにゃ。だからその調子で頑張るにゃ」
ふらりと頭をゆらすサツキに、ミヨキチがそんなアドバイスをする。
それを聞いていたヒマワリは、足元に置いてあった木刀を手にして立ち上がった。
「よし、ホタル。休憩するよー。モンスター倒しちゃっていいよ」
「わん!」
またたく間に倒されていくスライムとアルミラージ。
全てのモンスターが駆除されたところで、ヒマワリは離れた場所に置いてあったショルダーバッグを取りに行く。そして、バッグの中から敷物を出して、草地の上に広げた。
ヒマワリはバッグから犬猫用の飲み皿を二つと水が入ったペットボトルを取り出し、飲み皿に水を注ぐ。
サツキも背負っていたリュックサックを下ろし、中から魔法瓶とお菓子の箱を取り出した。
それを見て、ヒマワリは目を輝かせる。
「わ、ノコノコの谷じゃん」
「うん、疲れたときには甘い物かなって」
ノコノコの谷は、市販のチョコレート菓子だ。
同一メーカーのチョコレート菓子であるクリクリの村と人気を二分している。
「ごちになりまっす! でもこれ、自分でお小遣い使って買うには地味に値段しない?」
「これからはダンジョンで稼げるでしょう?」
「確かに!」
紙コップに魔法瓶から飲み物を入れてもらい、ヒマワリはお菓子を食べ始めた。ちなみに魔法瓶の中身は冷えたレモンティーだった。
優雅なティータイムを楽しみながら、ヒマワリは先ほどのスキルレベル上げについて言葉を投げかける。
「私はスキルレベル上げをすれば基礎能力も上がって行くけど、みんなはアビリティの熟練度上げをしても、レベルの上昇はゆるやかだよね。モンスターを倒さないのに、このまま付き合ってもらっちゃっていいのかな?」
ヒマワリのその言葉に、サツキは答える。
「ダンジョンシーカーの間では、熟練度上げをサボるのは三流の証だって言われているみたいだよ」
すると、ミヨキチも飲み皿から水を舐めとる動作を止めて、顔をあげる。
「その通りにゃあ。最後にものを言うのは、レベルよりも日頃の鍛錬にゃ」
「でも、基礎能力って大事じゃない?」
ノコノコの谷を口にしながら、ヒマワリは再度疑問を口にした。
スキルを鍛えれば基礎能力が上がるヒマワリと違い、サツキたちはレベルを上げなければ基礎能力は変動しない。そして、モンスターの討伐に比べて、アビリティの使用によるレベルの上昇速度はゆるやかだ。
「能力が高くても、身体を上手く動かせなかったら意味ないにゃ」
「運動音痴は不利だね」
「運動音痴は魔法系ジョブに就いて、魔法の熟練度を上げるべきにゃ」
「そういうものかぁ」
紙コップの紅茶を飲みきり、ヒマワリは紙コップを脇の草地にポイッと捨てた。
それを見たサツキは、目を細めてヒマワリに向けて言う。
「もう、ヒマちゃん、ゴミ捨てちゃ駄目だよ」
「ダンジョンが吸収してくれるから大丈夫だよ」
「でも、ダンジョンの中に粗大ゴミの不法投棄をしようとした業者が、ダンジョンに入場を拒否されたって話を聞いたことあるよ」
「マジでー」
ヒマワリはいそいそと立ち上がって、捨てた紙コップを拾いにいく。
そんなヒマワリに、ミヨキチが言う。
「明確にゴミを捨てる目的でダンジョンに入るのがアウトにゃ。攻略の最中に出るゴミを放置するくらいは、ダンジョンも受け入れてくれるにゃ」
「んー、基準がいまいち判らない!」
「ダンジョン神が、その場の気分で判断しているんじゃないかにゃ」
「ワイズマンとは思えない適当な見解!」
そんな会話をして、しばしの休憩時間は終わった。
それからヒマワリはスキルレベル上げを再開し、夕方になるまで痛みに耐える時間が続いたのだった。
◆◇◆◇◆
「それでね、今日はずっとスライムに殴られ続けたんだー」
その日の夕食、ヒマワリは家族そろっての食卓で今日の出来事を報告していた。
食卓に着いているのは、ヒマワリの他は父と母、妹だ。これに飼い犬のホタルと、新しい家族のミヨキチを含めた六名が、現在の芝谷寺一家である。
「大丈夫かい? ダンジョン内だから怪我は残っていないだろうけど、お父さん心配だよ」
ヒマワリの父が、晩酌用のおちょこから手を離しながら、ヒマワリに向けてそう言った。
「大丈夫だよー。私、もうダンジョンシーカーなんだから、痛いのくらいどうってことないよ」
「お姉ちゃんいいなぁ。私もダンジョン行きたい」
夕食のアジフライを食べながら、ヒマワリをうらやましそうに見る妹の芝谷寺アイ。彼女は十一歳の小学六年生で、ダンジョン研修が受けられる十六歳になるにはまだまだ時間が必要だった。
「高校生になるまで待ちなー」
「あと五年は長いよ。どうせなら、ジョブに就けるようになる十五歳で研修受けられたらいいのに。なんで十六歳からなんだろう」
ヒマワリの言葉を受けて、そんな疑問を投げかけるアイ。
それに答えたのは、ヒマワリではなく父だった。
「昔、それで世間が揉めたんだよねぇ。アイが言った通り、本来ジョブが得られるのは十五歳の誕生日からだ。だけど、十五歳に一律でダンジョン研修を受けさせると、高校受験が不公平になるからね。だから、十六歳からになったんだよ」
「えっ、受験が原因なの?」
「そうだよ。十五歳の中学三年生で研修を受けさせると、受験までにジョブがある人とない人に分かれてしまう。すると、ジョブがある人だけ自分のジョブに合った学校を選べてしまうから、不公平になるんだよ」
「そっかぁ。確かに、料理系ジョブとかに就いたら、普通の高校じゃなくて調理師学校を選ぶかも」
「ちなみに、ちょうど今、国会で、高校一年生に該当する年齢帯の人なら、どの月の生まれでもダンジョン研修とダンジョン入場試験を受けられる法案が審議されているよ」
「知らなかった……!」
ニュースを見ないヒマワリは、初めて知る事実に驚きの声をあげた。
確かに、高校受験を終えて不公平さがなくなったのに、わざわざ十六歳の誕生月を待たなくてはいけないのはおかしいと、彼女はうなずく。
そんな彼女に父は語る。誕生月を待たないといけないのは、かつて国民全員にダンジョン研修を受けさせるときに、一時的に決められた仮のルールだと。全国民にダンジョン研修を受けさせるために、五月生まれならば五月度に研修を……と人員の分散をしていた名残であると。
「なるほどね。でも法案が通ってみんな一斉に研修受けられるなら、学校のダンジョン部も部員集めに苦労しなさそうだねぇ」
「でも、なんでジョブをゲットできるのは、十五歳からなんだろ?」
姉の感想に割り込むように、アイが追加で疑問の声をあげた。
「それは父さんにも分からないね。でも、この前、ネットで調べたら、犬は犬種によってジョブが得られる年齢が違うみたいなんだ。だから、ある程度身体ができあがる頃を基準に、ジョブレベルの神様が時期を定めたのかもしれないね」
「女の子は成長早いって言うんだし、十二歳からにしてくれないかなぁ」
父の推測の言葉に、アイがそんなぼやきをもらした。
そんなアイに、父が尋ねる。
「そんなに早くジョブに就いて、どうするんだい?」
「ダンジョンシーカーになるの!」
「アイもかい? まったく、誰に似たんだろうね」
「お父さんとお母さんじゃないのは確かだね」
アイのそんな言い草に、ヒマワリは確かにと同意した。
ヒマワリの父、そして今もニコニコしながら話を聞いている母の二人は、ほとんどダンジョンにもぐった経験がない。
父のジョブは『酔拳士』で、≪酔拳≫という攻撃系アビリティを持つが、普段活躍するのは≪丈夫な肝臓≫と≪泥酔回避≫、≪利き酒≫、≪味覚上昇≫といった酒飲み用のアビリティばかりだ。彼は村にある日本酒の酒蔵勤務であり、アビリティを活かして酒のクオリティを保つ役割を担っている。
母の方はというと、『ハンドクラフター』という生産系のジョブで、≪器用な指先≫や≪ハンドメイド≫といったアビリティを活かして、趣味の小物作りをして日々を過ごしている。ダンジョンなんて怖くて行けないと常日頃から言っており、かつてのダンジョン研修も嫌々参加した口だ。
そんな父と母をヒマワリは「せっかく村にダンジョンがあるのに勿体ない」と思って見ている。
だが、ヒマワリの父と母はダンジョンシーカーという職業に理解があり、ヒマワリがこの仕事を選ぶことに一切反対しなかった。ヒマワリは、そんな両親のことが大好きだった。思春期特有の親への反抗心などは、全く存在していなかった。
そして食卓の話題はヒマワリのダンジョン攻略関連に戻り、アイがヒマワリに様々な質問を投げかけていく。
「お姉ちゃん、五階のボスはどのルートのを倒すの?」
「うーん、まだ決めてない。まずは植物ルートでお金を貯めて、リヤカーを買って金属ルートで銅を集めてさらにお金を貯めて、装備をそろえてからあらためて決める感じかな」
「リヤカー? そんなのお父さんに買ってもらえばいいじゃん」
アイが父の方を見るが、父は首を横に振った。
「駄目だよ。ヒマワリはダンジョンシーカーになったんだ。プロになった以上、装備は自分でそろえるんだ」
「お姉ちゃん、プロなの!?」
「え、プロなのかな?」
ヒマワリは自分の立場を理解しきれず、首をかしげた。
そんなヒマワリに、父が言う。
「もうモンスターのドロップアイテムを売ってお金を貰っているんだろう? そして、バイト感覚で簡単にシーカーを辞めるつもりもない。じゃあ、プロだね」
「そっか、私、ダンジョンのプロだったんだ」
ヒマワリは、父に認められた気がしてちょっぴり嬉しくなった。
ただ、最低限の装備品くらいは買い与えてくれてもいいだろうとも思っていたが。
「だから、収入が多かった場合、確定申告は自分で頑張ってね」
「かくていしんこく」
父が発した不穏なワードに、ヒマワリの思考がフリーズした。
ヒマワリは十八歳未満なので親が代理で確定申告を行なえるのだが、父はそれはしないと言っているのだ。
ダンジョンシーカーの税制に関しては、ヒマワリもダンジョン入場免許を取る際に学んでいる。学んではいるのだが、ヒマワリは正直、正確に税制を把握しているとは言いがたかった。
「ミ、ミヨキチさんにヘルプを頼むから……」
弱々しいヒマワリの言葉を食卓の横で聞いていた猫のミヨキチ。食事皿のドライフードを食べるのを止めて、ヒマワリに向けて言った。
「手伝ってもいいけど、手数料はもらうにゃ」
「ペロペロールでいいかな……?」
「確定申告だと、高級缶の気分になりそうだにゃあ」
ヒマワリは、確定申告という魔物に未知の恐怖を覚えた。全容が見えない分だけ、ダンジョンのモンスターよりも恐ろしい。
そんな姉の様子を見た妹のアイは、ダンジョンのプロって大変なんだな、とキャベツの千切りを食べながらのほほんと思うのであった。
次回更新は8月11日(金)です。